28話。認められる話。
昨夜のうちに雨は上がったものの、エブンの街の空気はまだ重く湿っていた。
集合場所であるパガス親方の工房「鉄の槌亭」の前に着いた俺の足元には水溜りが出来ており、俺の装備の重量に耐えられないのか、立ち止まっていると、地面にのめり込んでいきそうな妄想にかられてしまいそうになる。
だが、俺の心臓は別の意味でバクバクと音を立てていた。
「おいおい、坊主よ、先輩達が黙ってるからって、後輩が名乗らねーでどうすんだ!」
パガス親方の豪快な声と共に俺の背中にビシャっと強い衝撃が走り、俺はビクッと肩を震わせてしまった。
目の前には、親方が今回の護衛として雇った四人の冒険者達が立っていた。
全員、三十代後半といったところか、若い冒険者のような華々しさこそないが、長年この街で確実に稼ぎ続けている老練さが一目でわかる、脂の乗った渋い顔ぶれだ。
彼らは腕を組んだまま、ギルドで「臆病野郎」と噂される俺を、蔑むでもなく、ただ静かに見定めていた。
「お、オラ・・・ドゥン、と言います。」
俺は顔を真っ赤にしながら、消え入りそうな声を絞り出した。
「オラ、ギルドで言われてる、通りの臆病者だ。
デーモンが怖くて、逃げっちまう、腑抜けだ。
けんど、あいづらが、リオ達が仲間だって、言っでくれたからオラ、あいづらの後ろば、ちゃんと守れる、盾になりたくて。
だから、親方にお願いして、連れてきてもらいました。
臆病者ですけんど、よろしくお願え、くだせえ!」
頭を下げて、ぬかるんだ地面を見つめた。
冷たい言葉が返ってくるのを覚悟していた、その時。
「プっハハハ!!
臆病者か!
正直でいいじゃねえか。
戦場で油断して死ぬのは、大抵ビビることを忘れたガキだぜ。」
頭上から、陽気な笑い声が降ってきた。顔を上げると、前衛職の装備を身に纏った男が不敵に笑っていた。
「俺はザック、このパーティ「高潔な獅子」のリーダーをやっている。
職能は戦士だ。
こっちは戦士のバート、斥候のジフ、回復術師のケインだ。
ああ、言っておくが、俺達はエリート様でもなけりゃ、英雄でもねえ。
実力はそこそこだ。
だがな、そのそこそこなりに、どうすれば大怪我せず、効率よく稼げるかを死ぬ程頭使って考えて、この歳まで生き残ってきた。」
「はっ!
どの口が言ってやがる、頭を使うのはいつも俺とケインだろーが。」
斥候のジフがそう言うと、ザックが間髪入れずに反論する。
「はん?
あに言ってやがる、俺はいつだっていい案出してるだろうが!」
「ザック、君のはいい案じゃ無く、無謀な賭けばかりじゃ無いですか」
「ああ、今まで、大怪我せずに済んでるのが不思議な位のな。」
「あはは、ちげーねー」
「あははは」
彼らは俺の噂を知っていながら、貶めることはしなかった。
ただ、俺という男の言動を見てから判断しようとする、ベテランの余裕と優しさを感じた。
親方が何故この収集に俺を連れて行くのか、少しだけ理解できたような気がした。
「さあ、お前ら出発だ、気を引き締めろよ!」
「はい!」
「おう!」
街を出て、暫く。
深い森の奥へと進むにつれて、周囲の環境は一変した。
生い茂る木々が上空の光を遮り、大雨の水分をたっぷりと吸い込んだ土が、徐々にグズグズのぬかるみへと姿を変えていく。
森の奥は、踏み締めるたびにズブズブと足首まで沈む、最悪の粘土質の泥道になっていた。
巨体の俺は、何度も泥に足を取られて体勢を崩しそうになる。
「おいドゥン、力入れすぎだ! そんな歩き方じゃ、デーモンに会う前にバテるぞ。」
「ほら、木の根が張ってる硬いトコを狙って踏め。
ジフが通った跡は滑らねえからな。」
彼らは泥にまみれながらも、地に足のついたベテランのコツを、惜しむ事なく俺に教えてくれた。
俺が言うのも烏滸がましいが、彼らの動きはトップクラスの実力はなくても、連携と知恵で確実に稼いでいるのがよく分かるいい動きだ。
それに、彼らとパガス親方の信頼関係の深さが、その人間味溢れるやり取りから伝わってきた。
だが、その平穏は、森の奥から響いた地鳴りのような咆哮によって一瞬で引き裂かれた。
草を掻き分け木々を薙ぎ倒し、出現したのは、この森一帯を縄張りにする凶悪な強者、デスベアだった。
立ち上がれば俺よりもさらに一回り巨大な漆黒の巨躯。
大雨上がりのぬかるみなどどこ吹く風と、圧倒的な質量でこちらへ突進してくる。
「すまねぇ、皆、いつの間にか、デスベアの縄張りに入っちまったっ!」
「ジフ!
そんなのは後だっ!
アレの気を逸らせっ!」
「すまん、ザック。」
ジフはそう言うと、腰のポーチから数個の赤い球を取り出し、デスベアの脇に放り投げる。
パン!
パンッ!
球が弾けると、大きな音が鳴り、デスベアの動きが低い唸り声と共に止まった。
「バート迎撃するぞっ!」
「おう!!」
「ドゥン!
お前は親方と一緒に下がってろ、死んでも守れ!!」
「・・・・あ・・・ああ・・。」
俺は動けないでいた、デスベアの大きさとその唸り声に恐怖で足がすくんでいた。
「坊主、呆けてんな、邪魔になる、下がるぞ!」
パガス親方の声は聞こえる、だがどうしても足が動かない。
「しっかりしろ坊主!!」
パガス親方の声がしたかと思うと、グイっと腰のベルトが引かれ強制的に後方に引っ張られる。
ベテラン達が素早く連携しようとステップを踏んだ瞬間、ズサッと最悪の音がした。
バートが、最悪のタイミングで泥に足を滑らせ、体制を大きく崩したのだ。
前衛の陣形が崩れる。
「しまっ!」
バートの悲痛な声が辺りに響き渡る。
デスベアはその隙を見逃さず、体制を崩したバートと、その後ろで俺を引き摺っているパガス親方を目がけて、泥を爆ぜさせながら突進を開始する。
一瞬、俺の脳裏に過去の恐怖の記憶が蘇り、恐怖で身体が更に強張る。
「グルウウウウゥ!!!!」
身を震え上がさせる凶悪な赤黒い瞳、その鋭い牙が並ぶ涎だらけの口が一際大きく鳴る。
その時、俺の耳の奥で、昨日のパガス親方の言葉、そしてリオ達の顔が思い浮かんだ。
『オラの後を、オラの盾でちゃんと守れるようになりてえんだ』
そうだ。
俺はもう、あの時みたいに逃げたくねえ!
この人達を、俺の盾で守る!!
「うおおお、おらあぁぁぁ!!!」
俺は恐怖を薙ぎ払うように咆哮すると、泥道を、弾かれたように飛び出した。
パガス親方の目の前に、俺の巨大な背中が割り込む。
「坊主!!」
昨日、こいつの胸板を拳で小突いたあの瞬間。
俺の職人としての直感が、こいつの筋肉の付き方と、異常なまでの体幹の強さを見抜いていた。
誰もが足元を掬われるこの状況下でも、お前なら、芯の通った一本の大木みたいにビクともせず立ってられんだろ?
ゴオオオオオオオオオオン!!!
激しくそして鈍い、肉と金属がぶつかり合う音。
デスベアの狂暴な一撃を俺は大盾で真っ向から受け止めた。
足元はズブズブの泥だ。
滑りそうになるのを必死で抑える。
グオオオオオオオオオ!!!
デスベアは一撃目の不発をものともせず、俺の目の前で立ち上がり、その巨躯を惜しげもなく晒すと、両手を大きく広げ、何度も振り下ろす。
ガスガスと一撃、一撃が重くのし掛かる。
普通なら後ろに滑って吹き飛ばされるか、転倒するだろう。
だが俺は不思議な事に、まるで地面に深く根を張る大木のように、その場に泥を残して踏み留まれていた。
何にせよ、一ミリも退いてやる気はない!!
「・・・すげぇ。」
「何て力だ。」
「いいぞ!ドゥン!」
「・・・信じらんねぇ、あのデスベアを一人で止めやがった!」
見惚れてる場合じゃねえぞ、お前ら!!
たたみかけろ!!!」
俺がデスベアの猛攻を受け止めたことで、体勢を立て直したザック達が一斉に左右から攻撃を叩き込む。
剣、斧、ダガーが、デスベアの肉を裂き、確実にその体力を削って弱らせていく。
彼らは自分の実力がそこそこだと知っている。
だからこそ、俺が作った完璧な隙を、一切無駄にせず突く。
だが、デスベアもさるもの。
死に物狂いで暴れ狂い、さらに俺の大盾を力任せに押し潰そうと体重をかけてきた。
骨がきしみ、盾の裏で俺の筋肉が悲鳴を上げる。
「ドゥン! 押し返せ!!」
「う、うおおおおおおお!!!」
「ジフ!
足だ、こいつの腱を切れ!」
「おう!」
数秒した後。
「グオオオオオオ」
咆哮が鳴ると同時にデスベアの圧力が緩む。
「ドゥン!
今だ!
押せーーーー!!」
「おう!!!」
俺が顔を真っ赤にして大楯を押し込み、デスベアの巨躯を泥の中へと押し潰すように地面へ叩きつけた。
だが、まだ死なない。
泥まみれで激しく暴れるデスベア。
「おらぁ!
手貸してやる、一気に潰すぞ!!」
その時、パガス親方が俺の大楯にガシッと身体を預けた。
更にザックも大楯の裏へと飛び込み、その体重を預ける。
男三人の体重と全筋力が、大盾を介して、地面に這いつくばるデスベアへと文字通り上から圧し掛ける。
「押せぇぇぇぇぇ!!!」
「うおおおおおおおおお!!!」
泥塗れになりながら、全力で盾をデスベアの首元へと押しつけ、地面へと圧着させる。
逃げ場を失ったデスベアが、泥の中で激しくもがく。
そして。
ベキ、バキキキッ!!!
圧倒的な力と、男達の総重量によって、大盾の縁で限界まで押し潰されたデスベアの首の骨が、鈍い音を立てて完全に圧折した。
ビクン、と大きく巨体が震え、やがて漆黑の熊のデーモンは完全に動きを止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・!」
静まり返った深い森の中、泥まみれになった俺の激しい呼吸音だけが響く。
大楯を握る両手は、今でも恐怖と疲労でガタガタと震えていた。
そこへ、大楯を離したパガス親方がドカドカと歩み寄ってきて、俺の泥だらけの肩を、その大きな手の平でバシッと強く叩いた。
「へっ・・・あの最悪なぬかるみで、芯の通った一本の大木みたいに立ってやがった。
ドゥンよぉ、きっとお前はいい盾になりやがる。
俺が保証する。
エブンの街で一番頑丈な防具を、作ってやるよ。」
ベテラン冒険者達も、泥を拭いながらガハハと笑う。
「おいおい、ギルドの噂を流した阿呆の顔が見てえよ!
最高の盾、、嫌。
城壁じゃねえか!!」
「命拾いしたぜ、ありがとなドゥン!」
「素晴らしい働きでした。」
「ほれ、胸を張れよ、ドゥン!!」
「・・・・ああ・・・・」
俺の目から、大雨の残り雫に混ざって、温かい嬉し涙がボロボロと溢れ落ち、泥だらけの顔に白い筋を作っていった。
こうして、ドゥンは己の力で前衛の資格を勝ち取ったのだった。
「ドゥンさん。
・・・私が気を揉む必要なんて無かったみたいね。」
フードを目深に被った少女が一人、手にかけた柄からその手を下ろした。
「さて、マーサさんとのお茶会に遅れちゃうわね、急いで帰らないと。」
そう言うと彼女は風のようにその場から消えた。
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