24話。 棚から餅が落ちてきた話。
何だ、この・・・惨状は?
「・・・頭が、割れる・・・・。
リオ・・シル・・・ヴィア・・・ざまぁ・・ごべん・・ぎょう・・・む・・・・り。」
翌朝、ギルドの集合場所に指定したテーブル。
そこにいたのは、使い物にならないレベルで机に突っ伏し、緑色の顔をして呻いているラベル君だった。
マジか・・この様子だと集合というか昨日からここにいるんじゃないのか?
この世界ではこれがまかり通るのだろうか?
それなりに広い受付と酒場が併設されたギルド内部、朝早くだからそこまで冒険者はいないが、通常業務は開始しているので、身内の恥を晒すような真似は勘弁して欲しいのだよラベル君。
見れば、二組程似たようなアホはいるみたいだが、それはそれこれはこれなのである。
昨日の、受付嬢ネットワークを活かしたあのプチ有能ぶりはどこへ行ったのだよ、ラベルくーん?
「ドゥンさん、おはよう。
ラベルに・・・さん、相当ひどいわね。」
「リオ・・くん、シルヴィア様、おんはよう。
すんませんす、オラ、ラベルがこったら酒に弱いなんてしんねくて、地元の酒さ、勧めちまって」
聞けば昨夜、ドゥン君に地元の強いお酒を勧められて、格好つけて何杯も交互に煽ったらしい。
「ラベルさ、街の人間だから、そんなに飲めねと思っでなぐて。」
申し訳なさそうに、巨体をさらに小さくして、オドオドと佇むドゥン君。
「ドゥンさんは、お酒、お強いんですね。」
フードの奥から苦笑いを覗かせながらシルヴィアが言う。
「いや、オラなんて、よえから、親父にいっつも鍛えられて育ったんだ。
おどごだるもん、酒さ飲まれんなって。」
良いのか?その教育は?
まぁ、成人が15なんだから、問題はないんだろうけど。
俺がもしテオにそれをやられたら、速攻で家出する自信がある。
「とにかく、ドゥンさんは悪くないです。
この馬鹿チンの自業自得ですから、今日はここに放っておきましょう。」
「えええ、リオ〜。
つれない事、言うなよぉ〜」
「今日だって、予定が詰まってるんですから、動けないラベルさんの回復を待ってる程、俺達は暇じゃ無いんですよ。
後で、果物でも買って来ますから、そのまま、ギルドの方達に放り出されるまでへたばってて下さい。」
「リーーーオーーー」
「もうっ!」
冷たい奴と思われるのもアレだけど、俺、前世からこういう時の対処方法とか苦手なんだよなぁ。
頭を抱える俺に、シルヴィアがそっとラベル君の背中を叩きながら、優しい声をかけてくれた。
「リオ、ラベルさんの介抱は私に任せて。
あなたはドゥンさんを連れて、先にパガス親方のところへ行ってあげて。
彼の防具の件、急ぎでしょう?」
「すいません、シルヴィア様。
じゃあ、ラベルさんをお願いします」
お貴族のご令嬢、しかも、国の最高戦力にアホな二日酔いの男の介抱を任せるという、暴挙に出てしまったが、ここはシルヴィアの気遣いに甘え、俺はドゥンを連れてまずはパガス親方の鍛冶屋へと向かう事にした。
「あ、シルヴィア様、水をじゃぶじゃぶ飲ませてあげて下さい、後、果物もっ。」
「ええ、わかったわ。」
「シル・・・ごめん。
めいわう、きゃける。」
「・・はいはい。」
シルヴィアの顔には、俺と同じ12歳とは思えないような、聖母の様な慈しみに溢れた笑顔が浮かんでいた。
「さて、、ドゥンさん。」
「んだ?」
「まずは、、宿に戻って、水浴びお願いします。
はっきり言って、臭います。」
「・・・・・んだ。」
水浴びを終えたドゥンさんを伴って俺はパガス親方の工房に顔を出した。
だが、タイミング悪く親方は留守だったので
「では、また来ますね」と、工房にいたお弟子さん達に「少し早いですが、お仕事終わりに皆さんでどうぞ」とマーサ特製の絶品の酒の肴と酒の差し入れを置いていく。
「ありがてぇ!いつもすまねぇな、リオ君。
親方にも伝えておくわ!」
職人たちの胃袋と心を掴む営業を済ませ、俺達は次の目的地へ移動する。
向かったのは、パガス親方の元から独立し、自身の工房を立ち上げて攻めるための防具の研究に没頭しているトール君のところだったのだが。
「あっ!!
リオ君!!!
大変なことになってんだよ!!!!」
トール君の工房の扉を開けるなり、本人が血相を変えて飛び出してきた。
その目の下には、絵に描いたようなド黒いクマが鎮座している。
「え?
あ、おはようございますトールさん。」
俺の後を見上げる様に見つめるトール君。
「あ、こちらは、俺達の新しい仲間で、ドゥンさんです。」
「あ、どうも、初めまして、トールと申します。
一応、この工房の責任者をやっています。」
「ウス、オラ、ドゥンです。」
「一応って、トールさん、もう立派な親方じゃないですか。」
「やめてよ、リオ君!
僕なんてまだまだ、パガス親方の足元にも、、
じゃないよっ!」
お、久々に見る一人ノリツッコミだ。
「ああ、大変って、一体何が?」
「何が、じゃないよ!
リオ君がこの前
「こんなのあったら便利じゃないですか?」
って言った、あのアレのせいだよ!!!」
トール君は、2メートル超えのドゥン君の巨体に怯む余裕すらない様子で、俺の肩をガシガシと揺さぶった。
話を聞くと、事態はこうだ。
少し前、俺がトール君に片手間で
「軽くてそれ程丈夫でなくていいから、ソールにクッション性を持たせて、手を使わずにスッと脱ぎ履きできる内履き」
の相談をした。
前世のスリッパの概念だ。
トール君も
「それ面白いね」
と、防具の端切れ革を使って数足試作した。
現に、セブリオン家に出来た物を数足置いてあり、マーサもテオも俺も含め、これが無いともう家の中を歩けないよと言う位、重宝されていた。
昨夜シルヴィアが我が家でパタパタと快適そうに履いていたのがそれだ。
ところが。
その試作品を、たまたま店に来た他の革職人や商人に見せたところ
「なんだこの快適な履物は!?」
と大絶賛され、注文が殺到。
トール君は今、そのスリッパの製造に追われまくり、本業である防具靴の研究開発が完全にストップしてしまっているらしい。
スリッパなんて俺の前世では当たり前に存在し過ぎていて、ここ迄の反響があるなんて思ってもみなかった。
「僕は、命を張って頑張っている前衛職のお客さんががもっと前に踏み込める防具を作りたいんだ!
なのに、毎日毎日、スッと履いてパッと脱げる内履きばかり縫わされて、もう指も心も限界なんだよぉ!!!!」
必死に訴えるトール君の横で、俺は激しい衝撃に打たれていた。
先駆者、パイオニアというものは、こういうものなのか・・・。
前世の人間なら誰でも知っている日用品の知識。
それが、この世界の人間の生活や産業を、これほどまでに狂わせてしまう。
自分の持つ知識がこの世界に与える影響力の大きさに、背筋が少しだけ寒くなる。
・・・だが、それと同時に。
前世で一つの大型契約を勝ち取った時のような、脳が痺れるほどの強烈な商売の楽しさが、腹の底から湧き上がってくるのを感じていた。
だけど、製造ラインが全く足りない。
これを量産してくれる人材がいないと、遅かれ早かれ詰みだ。
このままでは、独立してこれからというトール君という最高の職人が、過労で潰れてしまう。
それだけは絶対に何に変えても阻止しなければいけない。
「トールさん、落ち着いてください。
需要が恒久的に見込めるなら、やり方を変えましょう。
トールさんが一人で抱え込む必要は全くありません。これは、この履物のみを専門に製造する専用の工房を作ればいいんです。」
「え? 工房を、・・・・作る?」
俺はトール君を連れて、すぐに彼の実家へと向かった。
「はじめまして、リオ・セブリオンと申します。
トールさんには、いつもお世話になっております。」
「どうも、ご丁寧に。
トールの父、ドミオンと言います。」
俺から差し出した手をぎゅっと握る、ドミオン氏。
なかなか恰幅の良い、柔和で穏やかそうな人だ。
これなら、わざわざ遠回りして実家に寄った甲斐があるかもしれない。
「しかし、失礼ですが、本当にまだ、これほどお若いとは。
倅から聞いてはいましたが、驚いたというか、何というか。」
「あ、いえ、気になさらないでください。
商売は父の受け売り、真似事でやったことがたまたま、うまくいっただけですので。
トールさんの靴の件も、私はアイデアを出しただけ。実際にお造りになったのはトールさんですから。
あ、これ、つまらないものですが。」
と言うと、俺はバスケットに入った布の包みを取り出してドミオン氏に差し出した。
パガス親方の工房には仕事終わりの酒の肴とお酒を置いてきたが、こちらは初対面のご挨拶だ。
マーサに用意してもらった、とっておきの手土産である。
「これは?」
「母が焼いた焼き菓子です。
お口に合うかわかりませんが、よろしければお茶の時間にでも奥様とご一緒にお召し上がりください。」
「ほぉ・・これが焼き菓子ですか?」
ドミオン氏は珍しい物を見るかのように、ひとつまみマーサ印の特製クッキーを手に取って上から、下からと眺めた。
「今、一つ頂いても?」
「ええ、もちろんです。」
ドミオン氏がクッキーを口に入れると、みるみるうちに、彼の表情が柔和から恍惚の表情へと変わっていく。
「おお、この苦味と甘味の絶妙なバランス!! 口の中に入れるとジュワーと溶けて消えるこの感覚!
素晴らしい!
私も色々と菓子は食べてきましたが、こんな小さな一粒がそれらのどれよりも美味いとは。
リオ君の母上は、さぞかし有名な菓子職人なのですか?」
予想以上の食いつきだ、前世の高度な製菓理論を組み込んだクッキーを舐めてもらっては困る。
ドミオン氏のこのリアクションを見るに、ミーシャと進めている菓子ビジネスの勝算は高いと見てまず間違い無しだな。
心の中でガッツポーズを決めつつ、俺は営業用のポーカーフェイスで答える。
「いえ、ただの薬師ですが。」
「なるほど・・・え? 薬師!?
まことですか!!
いや、それは、なんと、ではこれは売り物ではないんですね?」
「そうですね、母の趣味というか。」
「なんと!
趣味でこれだけの味を・・・なんと、なんと!
これが売り物であれば毎日でも買いに伺うところなんですが。全く、残念ですなぁ。」
「あ、実は今、商品化に向けて準備中なんですよ。」
「おおおおおおおおおお、それは、なんたる!!!
僥倖!!!
ここ最近で一番の知らせですぞ!!」
「父さん、いい加減にしてください!
今日はお菓子の話に来たんじゃないんですよ!」
トール君が見かねて、というより、これ以上身内の恥を晒すまいとドミオン氏を制止する。
「すまんすまん、で、本日はどういったご用件でしたでしょうか?」
ドミオン氏に促され、俺は応接間のソファに腰を下ろした。
流石は革職人の作ったソファだ。
革の鞣しも、クッションの仕立ても上等すぎる。
ドミオン氏、ただの食いしん坊オヤジじゃないな。
ようやく、本題が切り出せそうだ。
ドミオン氏に事の顛末と、スリッパの需要予測を説明すると、ドミオン氏はゴクリと唾を呑み、真剣な顔で腕を組んだ。
「・・・そこまで大きな話、残念ながらうちの工房じゃ捌ききれませんな。
・・・・よし。
私のツテで革職人ギルドの上層部に話を通しましょう。」
ドミオン氏の迅速なルート確保により、俺達はその日のうちに革職人ギルドの支部へと足を運んでいた。
通された会議室で待っていたのは、いかにも叩き上げの職人といった風貌の、偏屈そうな中年の職員だった。
彼は12歳の俺と、クマを作ってオドオドしているトール君を一瞥すると、鼻で笑うように俺がトール君の実家で羊皮紙に書いたスリッパに関する書類に目を落とした。
「トール、お前が新しい室内で履く履物を作って、それが少しばかり評判になってるって話は聞いてる。
・・・で、隣の坊主はなんだ?
ガキのおままごとに付き合うほど、ギルドは暇じゃないんだがね。」
完全に舐められているのが理解出来る態度だ。
だが、営業マンにとって最初のアポで舐められるなんてのは日常茶飯事、むしろ俺は、入りが最低ならこれからは伸び代しか無いと思う事にしていた。
「初めまして。
セブリオン商会のリオ・セブリオンと申します。
本日はトールさんの代理人、およびこの新規事業の発起人として、御・・いえ、革職人ギルド様に利益をもたらす提案に参りました。」
俺は愛想の良い子供の笑顔を消し、前世で数々の契約を成立させてきた営業マンの顔で、スリッパの試作品を机の真ん中にコト、と置いた。
職員は眉をひそめながらも、職業病か、思わずスリッパを手に取って触り、その構造に目を見張った。
「・・ほう。
これが、噂の多層構造。
この絶妙なクッション性。
ほう、手を使わずに着脱できるのか。
確かに面白いが、構造自体は意外と単純だな。
これなら、うちのお抱え職人であれば一度見れば誰でも模倣できるぞ。
わざわざお前達と独占契約を結ぶ価値があるかね?」
いけすかない態度、いやらしい職員の言葉。
当然の様なパクリ宣言。
「ふぅ〜。」
・・・・未だ耐えられる。
それに、このクッション性は防具靴の応用ではあるが、念の為、このスリッパの踵部分の造りは多層構造でも何でもない。
お前の目はただの節穴だ。
しかし、パクリのリスク・・・か。
特許概念のないこの世界では、これが普通の反応なのだ。
で、あれば・・だ。
「おっしゃる通りです。」
俺は不敵にニヤリと笑ってみせた。
「構造が単純、模倣が容易い、だからこそ、我々が一番恐れているのは価格競争による市場の共食いです。もし、このスリッパのアイデアを街の工房がバラバラに真似し始めたらどうなります?
粗悪な類似品が溢れ、価格は暴落し、職人の技術の価値は地に落ちる。
誰も得をしない不毛な叩き合いが始まるだけです。」
「・・・・は?
何だと?」
「ですが、もしエブンの革職人を束ねる革職人ギルド様が、この履物の製造ラインを一手に引き受け、品質管理と供給量を完全にコントロール、「独占」、したらどうでしょう?
これはただの内履きではありません。
貴族の屋敷、大商人の商館、あらゆる室内の常識を塗り替える未開拓市場です。
ギルドが主導して市場へ流通させれば、ギルドのお抱え以外の中小工房が真似を始める頃には、すでに本物のスリッパはギルド製に限るという絶対的な先行者利益、「ブランド」が確立されます。」
職員の顔から余裕が消え、額にタラリと冷や汗が流れた。
12歳の子供の口から、聞いたこともない、だが恐ろしいほど合理的で冷徹な市場支配の仕組みが飛び出してきたのだから当然だ。
「・・おい・・おま・・嫌、君は・・・一体、何者なんだ?」
その反応に俺は一瞬ポーカーフェイスを崩しそうになるが、我慢する。
しかし、この程度、揺さぶりをかけただけで、ここまで崩れるなんて、まだまだだぞ、ギルドの職員さんよ。
「ただの商人見習いですよ。
ですので、お互いに一番利益が出る現実的な提案をしましょう。
我々は、このスリッパの基本設計図および初期の市場独占権を、ギルド様にすべてお譲りします。
これ以降、ギルド様がこのスリッパを何万足作ってどれだけ大儲けされようが、俺たちは一切口を挟みません。
その代わり、このアイデアの権利買い取り金として、一括で、まとまった額をお支払いください。」
職員は、震える手でスリッパと俺の顔を交互に見つめ、椅子からガタッと立ち上がった。
「す、少々お待ち下さい!
申し訳ありません。
私一人の裁量では、この規模の商談をまとめるには力不足です!!
今すぐ、当支部のギルド長を連れて参りますので、ここで、ここで待っていて下さい!」
職員は見たこともないほどペコペコと頭を下げると、大慌てで会議室を飛び出していった。
増長した傲慢職員にはいい薬になったのかもな。
大慌てで飛び出していった職員を伴って会議室に入ってきたのは、仕立ての良い衣服に身を包んだ、白髪交じりの鋭い眼光を持つ50代位の男性だった。
彼は机の上のスリッパを一瞥し、俺の正面にどっかりと腰を下ろすと、品定めをするように目を細めた。
「待たせたね。
私はバリントンという。
話は聞いたよ、セブリオン商会のリオ殿。
12歳にしては、随分と面白い市場支配の絵を描く。
だがね、商談というのはそう甘くはない。」
バリントン氏はふっと不敵な笑みを浮かべ、値踏みするように俺を睨みつける。
久々に感じるこの腹の底がキュッとなる感じ、どうやら本番が始まったみたいだ。
「君の言う通り、これは素晴らしいアイデアだ。
だが、先程もアレが言ったように特許のないこの世界、うちが君たちを無視して、今すぐこのスリッパだったかを真似して量産を始めてしまえばどうなる?
君達個人工房に、ギルドを訴えるだけの力はあるかね?
つまり、我々は君たちに対価払う必要など無いのだよ。」
圧倒的な組織力を背景にした、強者の言葉。
ここに来ても、堂々のパクリ宣言か?
俺はバリントン氏をじっと見つめる。
まぁ、未だ様子見かな、ふと、隣のトール君の様子を見ると、場に飲まれ息を呑み込んでいる。
「ええ、もちろん真似は自由ですよ、バリントン様。」
俺は椅子の背もたれにゆったりと体を預け、あえて余裕たっぷりに微笑み返した。
「どうぞ、今すぐ真似して作ってください。
ただし、あなた方が職人を集めて量産体制を整え、市場に流通させるまで、最短でも2週間はかかりますよね?」
バリントン氏の片眉がぴくりと動いた。
「その2週間の間に、私がこの設計図を、革職人ギルド様の競合他社である商業ギルドの本部や、別の街のライバルギルドに『無料』でバラ撒いたら、一体どうなるでしょうか?」
「・・・・ほう。」
バリントン氏は蓄えた顎髭を右手でさする。
その表情には僅かだが、優しい微笑みを浮かべている様に見えた。
「彼らなら、エブンの革職人ギルド様が独占するはずだった巨大な市場を潰せる絶好のチャンスと、狂喜乱舞して今日からでも粗悪品を大増産を始めるでしょうね。
そうなれば、せっかくの独占出来る筈だった市場は一瞬で崩壊し、明日にはタダ同然のスリッパの切れ端が街に溢れる。
バリントン様。
俺たちに対価払わず真似を選ぶということは、あなた方自身の手で、その手に入るはずだった莫大な独占利益の財布をドブに捨てるのと同じことですよ?」
「・・・ふむ。」
バリントン氏は髭をさする手を足に置くと何やら 思案し始めている様だ。
俺が提示しているのは、ただのアイデアではない。
ギルドがこの市場を完全独占するための時間と権利だ。
俺は懐から、あらかじめ用意しておいた契約書を滑らせ、バリントン氏の目の前に差し出した。
「お互いに、相互利益でいきましょう。
貴方がここで、誰もが納得する正当な対価を一括で支払ってくだされば、この設計図と独占権はすべてあなた方のものです。
他所のギルドに情報が漏れる心配も一切ありません。さあ、この未来の利益を、今すぐその手で買い取られますか?」
静寂が、会議室を支配する。
バリントン氏は契約書と、俺の冷徹な瞳をじっと見つめていた。
やがて、バリントン氏は深いため息を吐くと、背中の力を抜いて、参ったと言わんばかりに両手を上げた。
「・・・はは、恐ろしい若者がいたものだ。
セブリオン商会には、どんな化け物が眠っているのやら。
・・・分かった、君の勝ちだ、リオ殿。
要求通りの一括買い取りに応じよう。
ただし、品質保証のために、トール氏には今後も定期的に技術指導として顔を出してもらう。
これでどうだね?」
「ええ、喜んで。
商談成立です。」
俺は立ち上がり、バリントン氏と固い握手を交わした。
こうして、俺の提示した条件をすべて飲み、契約書にサインをしたバリントン氏は、最後にフッと悪戯っぽく笑ってこう付け加えた。
「・・ときにリオ殿。
次から私と交渉するときは、もう少し手柔らかに頼むよ。
これでも私は、このエブンの革職人ギルドを統べるギルド長なのだからね。
これ以上冷や汗をかかされたら、おじいちゃんの心臓が持たんよ。」
「・・・はい?」
最初から最後迄、俺の値踏みをするかのようにこの商談を楽しんでいたかとは思ったが、まさかトップが直々に出てきていたなんて。
なかなか、食えないおじいちゃんだ、この人物とは長い付き合いになりそうな予感がする。
「あ、宜しければ、これ、ギルドの皆様でお召し上がり下さい。」
「これは?」
「母特製のお菓子です。」
手元に残された、ギルド長のサイン入りの契約書と、手渡された大金の入った袋。
それは、一介の職人が十数年かかっても稼げないほどの、凄まじい額だった。
「ドゥンさん、トールさん。
やりましたね!!
これが営業の力ですよ!!!」
ギルドの建物の外に出たところで、俺はホッとして二人に微笑みかけた。
これでトール君の過労は防げたし、彼が研究に専念できる環境も守れた。
だが、トール君は、革職人ギルドから渡された大金の入った袋を、そのまま俺の胸元にドンと押し付けてきた。
「はい、リオ君」
「・・・はい?え?」
「ん?、リオ君。
それは、全部リオ君のお金でしょ?」
ぽかんとする俺に、トール君はクマのある目で、至極当然といった風に言った。
「だって、クッション性を持たせるアイデアも、手を使わずに履ける構造も、全部リオ君が考えたことでしょ?
僕はただ言われた通りに手を動かしただけ。
それに、あの頑固なギルドの連中からこんな大金を毟り取ってきたのは、リオ君の交渉術じゃないか。
僕は、本業の防具靴の研究に戻れるだけで十分だよ。だからこれ、リオ君が持ってって。」
「ええええええええええええっ!?」
俺の口から、前世も含めて過去最大級の驚愕の叫びが上がった。
ちょっと待って!
ドゥン君の防具代、いや、全員分の装備新調費用、イヤイヤ、そんなんじゃ収まらない、これからの一年に必要な財源、一瞬で解決しちゃったぞ!
隣でずっと今日一日、無口を貫いていたドゥン君が、俺の叫び声に驚いて、大きな目をさらに丸くしてこちらを見下ろしていた。




