16話。完成と概ねの話。
作業場の空気は、研ぎ澄まされた刃物のように張り詰めていた。
トールは指先を微かに震わせながら、ビッグボアの厚革とラバーガムの接合面に全神経を集中させている。
「・・・くそ、ここがうまく馴染まない・・。
革が弾いちまう・・・。」
焦りが滲むトールの背後に、作業を終えたパガスがのっそりと現れた。
彼はトールの手元の作業を見ることなく、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「おい。
そこは力で押さえつけるんじゃねえ。
革の端を叩いて、ガムを誘い込むんだよ。
いつも言ってんだろ、素材の呼吸に合わせろってな。」
「 はいっ!」
迷いが消えたトールの槌が、正確なリズムを刻み始める。
「ふんっ」
パガスは鼻を鳴らすと、そのまま奥の工房へと消えていった。
直接手を貸すことはしない。
だが、その師であるパガスの一言は間違いなく、トールが剛と柔を繋ぎ合わせるための決定的な一押しだった。
それから数時間。
夜が明け、朝の光を作業場に迎え入れた時、ついに一足の靴が完成した。
「はは・・・やったぁ・・・・。」
トールは一人、その完成品を両手で掲げ、朝日の中で静かに見つめた。
不眠不休の作業で目の下には隈ができていたが、その表情にはかつてない充実感が漂っている。
「・・・できた。
これが・・俺の初めての。」
「え・・・もうできたんですか?」
その報告は衝撃的過ぎる情報だった。
別に期限を決めていたわけじゃなかったんだけど、少しどころか早過ぎる。
だが、目の前で、充血した目を輝かせて完成した試作品を紹介してくるトール君を前にして、そんな事は口が裂けても言えるような状況でない事は充分理解出来た。
前回の打ち合わせから、まだ数日しか経っていない。
異世界の職人の仕事の早さはパガスさんを見て知っていたつもりだが、この靴は単純な革の縫合じゃない。
ビッグボアの背皮を、複雑に加工したラバーガムと何層にも圧着させ、内張りには一角ラビットの毛皮を隙間なく敷き詰めるという、未踏の工程が必要なはずだ。
「・・・トールさん。
これ、寝てませんよね?」
「あはは・・・。
リオ君に言われた攻めるための防具っていう言葉を考えてたら、なんだか手が止まらなくなっちゃって。
親方の剛の技をどう革に落とし込むか、そればっかり考えてたら、いつの間にか夜が明けてたよ。」
いつの間にかって、俺はブラック企業のワンマン社長かよっ!!
・・・と、言うのもあるけどさ、いい目をしてるんだよなぁ。
たぁっくっ!
トールの瞳にはやり遂げた男の異様なまでの高揚感が宿っていた。
かっけぇっなぁ!!
俺は一抹の畏怖、もとい、優秀すぎる部下への困惑を感じながら、その完成品を手に取った。
・・・さて、鑑定にどう反映されるのか。
「・・・鑑定。」
視界に透過ウィンドウが走り、靴の情報が表示されていく。
【対象:防具靴、試作品】
★・品質:上質
・特性:
「物理衝撃の吸収」
「摩擦グリップ」
「ラビットファーによる内部温度調整」
・着用者:ラベル・エンケ★
・評価:☆☆☆☆
俺は心の中で、前世で愛用していた万超えの某有名メーカーのウォーキングシューズを思い浮かべた。
あの有名メーカーが数十年かけて開発したクッション技術が、目の前の一人の少年が数日間で仕上げた異世界の靴に再現されるとは。
再現というのは言い過ぎだろうが、それでも、偉業と言わざるを得ないだろう。
特に驚いたのは、ラバーガムの層だ。
パガス親方の剛の教えを忠実に守ったのか、衝撃を逃がすためのカシメが、まるで精密機械のように規則正しく、かつ強固に打たれている。
それでいて、革本来のしなやかさを一切殺していない。
「トールさん・・はは、これ、凄過ぎる。」
腹の底から笑いが溢れてくる。
「トールさんが言っていたどっちつかずの中途半端なんて、とんだ与太話です。
これは、この世界に存在しなかった完全なオリジナルだ。」
「設計者のリオ君にそう言ってもらえると、本当に自信が持てるよ。」
トール君の顔に、年相応の安堵の笑みが浮かんだ。
これは青田買いどころか、金の卵を産むガチョウの巣を見つけた気分だ。
さて、物は出来た。
お次は。
「これが、新しい靴か。
大分ちゃんとした形なんだな。
凄いな、二人で作ったんだろ?
この靴。」
試作品を履かせた途端、彼は立ち上がり目を大きく見開いた。
「うおっ! なんだこれ・・・!
地面が?
靴を履いてる筈なのに、地面が吸い付いてくる!?」
ラベル君はじっとしていられなくなったのか、外が雨なのも忘れて中庭へ飛び出すと、信じられない動きを見せた。
濡れた石畳の上を全速力で駆け抜け、急停止。
今までの革底の靴なら滑って転んでいるような角度でも、ビッグボアの背皮とラバーガムの多層構造がガッチリと路面を掴んでいた。
「あはは!!
滑らねぇ・・・!
それに、跳んで着地した時の衝撃が嘘みたいに無い!!!
こんなに動いても靴の中でゴワゴワって感じがしないし、滅茶苦茶快適だぜ!!」
ラベル君の動きが劇的に向上している。
彼は一旦止まると、作業場まで戻って、立てかけてあった短槍を手に取り、また中庭に戻る。
「ふぅ〜・・・・。」
クネクネと体全体をほぐし始め、深呼吸すると。
ズン。
という深い音が鳴ったかと思うと、まるで雨粒が空中で止まったかと思う程の速度で得意の突きを繰り出していた。
ラベル君はニヤリとこちらを見て満面の笑みを浮かべて笑うと。
「トール!!
リオ!!!
これ最高だぜ!!
ちょっと森まで試してくる!!」
と言って弾かれたように街へと飛び出していった。
「だから、雨だから。」
その言葉とは裏腹にこれ以上ない宣伝になるという確信が、俺の中でかっこたるものに変わった。
「あの・・・リオ君。
こっちは君に。
お礼、かな。」
トールがはにかみながら、もう一つの包みを差し出した。
開けてみると、そこには派手な装飾を排した、シンプルで上品な焦げ茶色の革靴があった。
【対象:リオ専用・カスタムオーダーシューズ】
・評価:☆☆☆
・特性
★「疲労軽減」
「衝撃吸収」
「撥水」
「作成者の深い敬意」
・備考:一針一針に、トールが込めた感謝の念が魔力のように宿っている。★
鑑定結果の末尾に、胸が熱くなるのを感じた。
トールの優しさが詰まっているいい靴だ。
防具靴では無いが、俺には丁度いい、嫌、過ぎた靴。
履いてみると、驚くほど軽く、まるで足が包み込まれているような安心感があった。
靴底も多層構造で、俺の当初の目的の疲れにくく、痛くならないという目的は十二分にクリアしている。
「・・・ありがとう、トールさん。
大切にするよ。」
俺の言葉に、トールははにかみながらも、視線はある一点を見つめていた。
作業台の隅、布を被せられた、明らかにドワーフサイズの巨大な制作途中の靴。
若き職人の静かな挑戦状。
あの巨大な靴は、パガス親方への感謝であり、そしてトール自身の新しい全く新たなジャンルの職人としての道のスタートを象徴するものだった。




