10話。 限界と対策の話。
スライム石鹸の爆発的なヒットは、セブリオン家をかつてない極限の淵へと叩き落としていた。
テオとマーサは連日寝る間を惜しんで大鍋をかき混ぜて、型に流し込むその作業の繰り返しだ。
かき混ぜている二人の表情が時折虚ろになる姿はもう本当にいたたまれなく、見ているこっちが辛い気持ちになる。
「・・・このままじゃ、この騒動が沈静化する前に、二人の体がどうにかなるな。」
それに、こんなに石鹸をしこんだところで、もう家の中に乾燥、熟成させる場所が無い。
風通しが良くて直射日光が当たらない、湿気の少ない涼しい場所なんかそうそう無いんだからな!
そんな時、疲労で目の下に隈を作ったマーサが、ポツリと溢した。
「教会の救護院にいる、子供たちにこの石鹸を届けてあげられたら。
あそこの司祭様なら、きっと喜んでくださるわ」
その言葉に、テオが弾かれたように顔を上げた。
「・・・リオ、いっそのこと、製造の一部を教会に手伝ってもらわないか?
マーサは薬師として教会の救護院に薬やポーションを納めている縁がある。
彼女の紹介なら、司祭様も無下にはしないはずだ。」
「・・・・へ?」
テオの意外な提案に俺は一瞬呆けてしまう。
商人としては、このまま独占販売した方が・・・・あ、嫌。
俺は根本的に間違ってたのかも知れない。
本来、商人の仕事は売る事や販路を広げる事であって作る事じゃない。
この文明レベルじゃなおさらだ。
商品供給がままならないのに何が商売だって話だ。
加えて家族全員、体調を崩して倒れたりしたら本末転倒もいいところだ。
・・・それに教会の権威を味方につけて供給ラインを広げる方が、リスク管理になる。
実際の所候補として考えていなくは無かったが、テオから提案してくるなんてな。
変に気を回し過ぎていたかも知れない。
本当にいい商売人だ。
まぁ、俺に褒められても嬉しくもなんとも無いだろうが。
俺たちは即座に、木箱に詰めたスライム石鹸を携え、街の中央広場へと向かった。
そびえ立つ聖堂。
これまでも、マーサに連れられて何度かお祈りに来たことはあったが、改めて見上げるとその威容には圧倒される。
不衛生な路地裏が広がるこの街において、ここだけは別世界のように清浄な空気が漂っている。
敷地を囲む高い石壁の向こうには、手入れの行き届いた救護院が併設されており、街の「良心」と「権威」が凝縮されたような場所だ。
「リオ、顔が強張ってるぞ。
大丈夫だ、司祭様は怖い人じゃない、知ってるだろ。」
テオが緊張を隠しきれない声で俺の肩を叩く。
「うん、大丈夫だよ父さん。
・・・ただ、このデカい建物に見合うだけの利益、・・・じゃなくて『慈悲』を提示しなきゃいけないなと思って。」
俺はあどけない営業スマイルを作り、鉄格子の門をくぐった。
厳かな沈黙が流れる応接室。
現れたのは、質素ながらも上質な法衣を纏った老司祭、クラウス様だった。
「お久しぶりですね、マーサ。
貴女の納める薬にはいつも助けられています。
・・・それで、今日は旦那様と息子さんもご一緒とは。
何か、神に縋らねばならぬ悩み事でも?」
クラウス様は俺達に椅子に座るように促す。
「・・・いえ、司祭様。
実は、この子が考案した「石鹸」の件で、教会のお力をお借りしたく・・・。」
マーサの紹介で、場は和やかに始まった。
だが、テオが切り出した「共同生産」の話に、司教の眉がわずかに動いた。
「・・・神聖なる教会を、俗世の商いの作業場にせよと?
敬虔な信徒にあるまじき不埒な提案ですな」
司祭クラウスの声が低く響き、応接室の温度が数度下がった気がした。
テオの背中がびくりと跳ねる。
「ふぅ・・・・。」
想定内の反応だ。
さて、ここからは子供の皮を被った営業担当の出番だな。
俺はテオの袖をそっと引き、耳元で「脚本の筋書き」を囁いた。
テオは生唾を飲み込み、俺の指示通りに、あえて不敵な笑みを浮かべて切り出した。
「司祭様。
これは商売ではありません。
・・・この街に蔓延する皮膚病や感染症を、神の御業のごとく劇的に減らす聖業なのです。」
「・・・ほう?
聖業とは・・・これまた。」
クラウスは顎に蓄えた髭を撫でながら、品定めをするかのようにじっとテオを見つめる。
「我々は石鹸の製法を民を救うための知恵として、神殿に捧げたいのです。
司祭様、あちらの救護院。
維持費や薬代で、教会の財政もかなり苦しいのではないですか?」
司祭の眉がピクリと動く。
俺は密かに「解析」を実行する。
【教会(エブン支部)の経営状況】
・収入源:寄付金(減少傾向)
・支出:救護院の運営費、聖堂の修繕費。
・弱点:慢性的に資金繰りが厳しい。
・総評:「神の慈悲」という看板を維持するための金に飢えている。
・・・案の定、どこも経営は火の車か。
テオは俺の解析結果を代弁するように、畳み掛けた。
「教会の見習い修道士の方々に、この石鹸の作り方を伝授いたします。
彼らが作り、貧しい者たちに配れば、民は「神の慈悲」に涙し、信仰心も高まるでしょう。
・・・・そして、ここからが本題です。」
テオがテーブルに手をつき身を乗り出す。
「余った分は、我が家が適正価格で買い取ります。
その代金は、すべて教会への献金として納めさせていただきます。
・・・つまり、教会は慈善活動をしながら、同時に運営資金を合法的に、かつ大量に手に入れることができるのです。」
「なっ!?」
「神の慈悲を形にし、ついでに教会の財政も潤す。
・・・司教様。
これは神がお与えになった奇跡の歯車だとは思いませんか?」
よし!
これで商売じゃなく教会の自立支援という体裁になった。
応接室に沈黙が流れる。
司祭は、差し出された石鹸の泡立ちをじっと見つめ、そのラベンダーの香りを深く吸い込んだ。
その瞳の奥には、信仰心と、それ以上に深い経営者の計算が光っている。
「・・・民の健康を守るため。
そして、神の慈悲を広めるためであれば、しぶしぶ・・・いえ、致し方ありませんな。
教会も、その「石鹸」とやらの普及に、最大限の協力をいたしましょう。」
よっしゃーー!!
交渉成立! !!
これで最強の石鹸工場と教会公認ブランドを手に入れたぞ!
まぁエブンに限りだけど。
でも今は。
俺は心の中でガッツポーズをした。
「レビュアー」として見れば、教会のブランド力を得たことで、このスライム石鹸の信頼性は不動のものになったと言える。
これから、ここエブンを皮切りに他の街、村へと石鹸を普及させていく、その小さな一歩が今日、踏み出された。
だが、この「聖域」との連携が、さらなる巨大な波紋を呼ぶことを、俺はまだ知らなかった。




