大捕物編 第二十話 怪盗は月夜に舞う
闇夜に包まれた帝国博物館の屋上に、ひとつの影が舞い降りた。
月光を受けて艶めく紅い長髪。
両手にはぴたりと手に馴染んだ黒いグローブ。
その身を包むのは、闇に溶け込みながらもわずかに光沢を放つ黒のライダースーツ。
右手首には、ワイヤーを射出できる腕輪が装着されている。
女は、まるでここが自分の舞台であるかのように、堂々と腰に手を当てて眼下を見下ろした。
「へえ……帝国お抱えの博物館って聞いてたけど、思ったよりボロいじゃない」
屋上の床には細かなひびが走り、隅には砂埃がたまっている。
侵入対策なのか、周囲には有刺鉄線が設けられていたが、雑に張られているようにしか見えなかった。
女はふっと鼻で笑う。
「もっとこう、“絶対に盗ませません”って感じを出してくれないと張り合いがないんだけど。これじゃ、私の凄さが引き立たないでしょ?」
名を――オーガル。
怪盗オーガル。
帝国では、その名を知らぬ者は少ない。
ならずもの達ーーー悪徳商人、腐敗した政治屋、などといった裏で汚れた金を動かす者たちから金品を奪い、元の持ち主へ返すこともあれば、依頼人へ届けることもある。
その報奨金で生計を立てる彼女を、義賊と呼ぶ者もいた。
もちろん、警察からすればただの犯罪者だ。
だが、そんな評価などオーガルにはどうでもよかった。
彼女にとって大事なのは、盗みを成功させること。そして、自分の怪盗としての腕前を証明することだ。
「さて、と。今夜の主役は私。せいぜい、見惚れないでよね」
そう呟くと、オーガルは軽やかに身を翻した。
月明かりの下、彼女はふわりと宙返りし、そのまま壁際へ降下する。
有刺鉄線に直接触れることなく、壁面を滑るようにして下へ向かうその動きは、侵入というより演舞に近い。
博物館内へ入り込むのに、さしたる時間はかからなかった。
静まり返った館内。
並ぶ展示物の間を、オーガルは足音ひとつ立てずに進んでいく。
やがて彼女は、中央展示室へとたどり着いた。
「……へえ」
思わず感嘆が漏れる。
そこには今回の目的の品があった。
四本の光る柱に囲まれるように、一枚の絵画と一つの宝石がショーケースに入れられて展示されている。
絵画の名は――マフティフの殺戮。
そして宝石の名は――ブルーローズライト。
どちらも帝国の権威を象徴するように飾られていた。
だが、その置かれ方はあまりにも露骨だった。
「なにこれ」
オーガルは眉をひそめる。
四本の光柱は、ただの装飾ではない。
領域内に侵入した対象を感知すると、光の輪で拘束し、さらに放電によって継続的にダメージを与える――そんな罠だとすぐに見抜けた。
彼女は口元を歪める。
「舐めてるね。こんな見せびらかすみたいな置き方して、『怪盗の技術じゃ通れません』って言いたいわけ?」
むっとしたように頬をふくらませたあと、すぐに不敵な笑みへ戻る。
「いいよ。だったら、なおさら盗ってあげる。私の盗みの美しさ、しっかり見せてあげるから」
罠の構造は単純だ。
四本の柱の間に入らなければいい。
ならば、上からだ。
オーガルは天井近くの出っ張りへ向けてワイヤーを射出した。
腕輪から放たれた細い鋼線がぴんと張る。
そのまま身を宙へと持ち上げ、柱の間を上から越えながらショーケースへ近づく。
「楽勝――」
そう呟いた、その瞬間だった。
甲高い警報音が、静寂を切り裂いた。
「……え?」
オーガルの目が見開かれる。
次の瞬間、天井付近に仕込まれていた魔法陣が淡く発光し、空間そのものが彼女の身体を捉えた。
四本の光柱だけではない。上方にも感知式の結界が張られていたのだ。
「ちょっ、うそでしょ! 二段構え!?」
咄嗟に身をひねる。
だが完全には避けきれない。
放たれた電撃が左腕をかすめ、激しい痺れが走った。
「……っ!」
痛みに顔を歪めながらも、オーガルは空中で体勢を立て直し、ショーケースの上へと着地する。
そのまま踵を振り下ろし、ガラスを砕いた。
甲高い破砕音。
砕けた破片が散る。
「こんなのに引っかかったくらいで、諦めるわけないでしょ!」
彼女は左腕を押さえつつ、マフティフの殺戮とブルーローズライトを素早く回収した。
すると、四方の扉が一斉に開く。
「怪盗オーガルだ!」
「包囲しろ! 逃がすな!」
魔導警察の怒号が響く。
武装した警官たちが館内へなだれ込んできた。
オーガルは苦痛に眉を寄せながらも、あえて口角を上げた。
「ふふっ。女の子一人捕まえるのに、ずいぶん大人数じゃない。そんなに私って人気者?」
返すや否や、彼女はショーケースから高く跳んだ。
ワイヤーを連続で射出し、柱と柱の間、天井の梁、彫刻の頭上を渡っていく。
警官の魔法弾がいくつも放たれるが、彼女はそのすべてを紙一重でかわした。
「ほらほら、下ばっかり見てると足元すくわれるよ?」
「くっ、止まれ!」
「止まってほしいなら、もっとロマンのある頼み方してくれない?」
挑発混じりの声が、館内を軽やかに跳ねた。
しかし、左腕に受けた痺れは確実に彼女の動きを鈍らせていた。
天井近くの梁にぶら下がった際、ほんの一瞬だけ握力が甘くなる。
その隙を狙って放たれた銃撃が、彼女のすぐ脇の壁を穿った。
「っぶな……!」
オーガルは舌打ちし、そのまま大窓を蹴破って外へ飛び出した。
ガシャァン――と派手な音を立てて、夜風が吹き込む。
博物館の外周道路には、すでに警察車両が集結していた。
さらに、魔導力で駆動する高速機動バイク――FLAの部隊までもが展開している。
「ほんと、面倒くさい!」
オーガルは近くに停められていた一台のFLAへ飛び乗った。
片手でハンドルを握り、もう片方の腕で痛む左腕を抱え込む。
エンジンが唸りを上げ、黒い機体が石畳を蹴るように走り出した。
「逃走経路確保! 南通りへ向かったぞ!」
「追え!」
サイレンが夜の帝都に響き渡る。
赤と青の光が建物の壁を流れていく中、オーガルのFLAは路地を鋭く曲がり、追手を翻弄した。
「これだから追われるのって嫌いじゃないのよね!」
左腕は使い物にならなくなりかけている。
それでも彼女は笑う。
風に紅い髪を踊らせながら、まるで夜の都すべてを自分の舞台にしてしまったかのように、オーガルは駆けた。
その頃。
少し離れた通りで、騒ぎを察知したレイドとケルトは同時に顔を上げていた。
ーーー2人の持ち場だった。
離れることは許されていない。
けれど、動かなければ手柄は取れない。
「……博物館の方か」
「派手にやってるね」
サイレンの音、飛び交う怒号、そしてFLAのエンジン音。
ただ事ではない。
「行くぞ、ケルト!」
「ああ!」
二人は即座に走り出す。
さらにその後方から、カマルとルークも状況を察していた。
「カマル、急ごう!」
「う、うん……!」
コガネが低く唸る。
その銀色の毛並みが揺らめいたかと思うと、次の瞬間、その身体は膨れ上がるように変化した。
人を乗せられるほどの巨体。
鋭い牙と爪を持ちながらも、月光を浴びた銀狼の姿はどこか神秘的だった。
全身を覆うように魔力のオーラが立ち昇っている。
「乗れ、カマル!」
コガネの声に、カマルは息を呑みつつその背にまたがった。
銀狼となったコガネが石畳を蹴る。
一歩ごとに風が唸り、景色が後ろへ飛んでいく。
前方では、黒いFLAが警察部隊を引き離しつつあった。
「ちっ、速いな!」
FLAを駆るレイドが舌打ちする。
「でも左腕をやってる。完全じゃないよ」
ケルトが分析する。
「なら、進路を絞るしかねえ!」
レイドとケルトは互いに視線を交わし、挟み込むように進路を取った。
オーガルもそれに気づいたのか、ちらりとこちらを見る。
「……なにあれ。しつこい男ってほんと嫌い」
だが、その表情はまだ余裕を失っていない。
むしろ、追ってくる相手が増えたことを楽しんでいる節すらある。
オーガルはFLAの速度をさらに上げた。
だが次の瞬間、曲がり角の先でレイドが叫ぶ。
「カマル! ポイントBから撃て!」
「そっちからなら射線が通る!」
ケルトの声も重なる。
カマルはコガネの背の上で、はっと目を見開いた。
ポイントB。
そこは追跡対象の進路が一瞬だけ開ける位置だ。
撃つのは自分。
あのとき――邪神龍との戦いで、うまく扱えなかった魔法。
修行してきた。ルークにも、レイドにも付き合ってもらった。
それでも、本番で本当に放てるのかという恐怖は、胸の奥にまだ残っている。
失敗したらどうする。
外したら。
仲間を巻き込んだら。
指先が震える。
だが、その震えの向こうで思い出す。
ルークの真剣な眼差し。
レイドの乱暴だがまっすぐな言葉。
ケルトの冷静な支え。
ここまで共に進んできた仲間たちの存在。
そして、自分が背負ったもの。
守りたいもの。
絶対に守ると決めた、この先の運命。
カマルはぎゅっと唇を引き結んだ。
「……大丈夫。やれる」
目を閉じ、深く息を吸う。
コガネの背から進路を見定め、右手を前へかざした。
左手でその右手をぎゅっと握り、支える。
その瞬間、右腕に刻まれた痣が熱を帯びる。
「metor of light (メターオブライト)……」
小さく、だが確かな声。
「星よ輝け、世界を照らせ……」
痣が呼応するように光り出す。
そして――
「VADE! 行け!」
カマルが目を開いた瞬間、光の三極星が眩く輝いた。
蒼い光弾が、夜の帝都を切り裂くように放たれる。
それはまるで星が落ちる軌跡そのものだった。
「っ――!?」
オーガルが気づき、咄嗟にFLAを傾ける。
直撃だけは避けた。
だが、光弾はすぐ脇で炸裂した。
轟音。
爆風。
そして、弾け飛んだFLAの装甲片がオーガルの身体を襲う。
「うあっ……!」
左肩と脇腹に破片が食い込み、もともと痺れていた左腕に激痛が走った。
バランスを失ったFLAが石畳の上で大きく横転する。
火花を散らしながら滑り、やがて壁際へ叩きつけられて停止した。
オーガルの身体が路上へ投げ出される。
「が、っ……は……」
それでも彼女は、倒れたまま終わらなかった。
ふらつきながらも立ち上がろうとする。
膝が震え、左腕はだらりと垂れ下がっている。
それでもなお、目だけは死んでいない。
「……まだ、いける……」
だが、その周囲をすでに警官たちが完全に取り囲んでいた。
複数の魔導銃が一斉に向けられる。
「そこまでだ、怪盗オーガル!」
「抵抗をやめろ!」
荒い息をつきながら、オーガルは顔を上げた。
その視線の先には、銀狼コガネの背から降りるカマルの姿がある。
しばし見つめたあと、オーガルはくすりと笑った。
「……やるじゃない。魔導警察っていうより、そっちの子が、かな」
悔しさはあるはずなのに、その声音にはどこか晴れやかな響きがあった。
本気で逃げきれると思っていた。
けれど、それを上回る一撃を見せられたのだ。
「いい一発だった。ちょっとだけ、惚れそうになったかも」
「なっ……」
カマルが戸惑いに目を瞬かせる。
その隙に、警官たちがオーガルを拘束した。
奪われていたマフティフの殺戮とブルーローズライトも回収される。
帝国の夜を騒がせた大捕物は、こうして終幕を迎えた。
だが、両腕を押さえられたまま、オーガルは最後にふっと笑う。
「でもさ……私が狙ったの、宝石やその絵画だけと思わないでよね」
「どういう意味だ」
警官の一人が眉をひそめる。
オーガルは答えない。
ただ意味深に目を細め、博物館の方角を見やった。
まるでその奥に、まだ誰も知らない帝国の闇が眠っているとでもいうように。
夜風が吹いた。
紅い髪が乱れ、彼女は静かに目を閉じる。
怪盗オーガル――逮捕。
されど、この一件はただの盗難事件では終わらない。
そんな不穏な予感だけを残して、大捕物は幕を下ろしたのだった。
……ちなみにレイドとケルトは、減給1ヶ月で済んだ。




