9 ベイカー街221Bのティータイム
ボン、ボン、ボン。階下の柱時計が3回鳴った。
トン、トン。ホームズさんの部屋の扉を叩く音がする。
「ホームズさん、お茶をお持ちしました」
扉の向こうで、ハドソン夫人の声がする。ホームズさんが扉を開けた。
「いいタイミングだ、ハドソン夫人。今日は、びっくりすることばかり起こったので、お腹がすいてきたところなんだ」
ホームズさんが、ハドソン夫人が手にしている、銀細工の花飾りのついたお盆の上を眺めている。
「あら、ホームズさん、3時になったので、私はいつものようにお茶をお持ちしたまでですわ」
といいながら、ハドソン夫人は、テーブルに、紅茶、スコーン、レーズンクッキー、チョコチップクッキー、フルーツケーキ、いちごババロアを配置よくならべた。
「でも、それにしては、今日はまた豪勢だね」
「それは、食べざかりの若いお嬢さん方がいるからですわ」
ハドソン夫人はわたしたちの方をチラッと見て、ホームズさんにいった。
「この珍しい衣服を着た方たちは、どういう方たちですの? 依頼人のことを、私があれこれ詮索するのは良くないことですが、どうしても気になりましたね。その、何というか、このお嬢さん方を見ていると、私の冒険心がうずくのでございます。さしつかえなければ、お話ししていただけませんか?」
ハドソン夫人のおてんばな性格は、アニメで見た犬のハドソンさんに似ていると、わたしはひそかに思った。
「君たち、話しても構わんかね?」
「はい」
真司とわたしは声をそろえていった。
「この小さな紳士、淑女は、20X△年という未来からの訪問者なのだ」
「20X△年!」
ハドソン夫人は目を白黒させた。
「名前はまだ聞いていなかったな」
「わたしたちは、シンジ・ニカワとアサコ・ニノミヤです。20X△年の日本の桜ヶ丘町というところからやって来ました」
とわたしは自己紹介した。
「まあ、君もすぐには信じられないと思うが……」
ホームズさんは、今までのことをハドソン夫人に話して聞かせた。そして、最後に、真司からポラロイドカメラを借りると、ハドソン夫人の写真を1枚撮った。それを見て、ハドソン夫人は感心していった。
「すばらしいわ。ホームズさんもそういっていることですし、あなた方は、本当に未来からいらしたのですね。良かったら、私たちに未来の話をしてくださらない?」
「はい」
わたしと真司は交互に、未来(20X△年)の生活様式や網羅された交通網や文明機械のことを話した。3人はじっと聞き入っていた。話を聞き終わると、ワトソンさんがいった。
「そんなに発達した100年後の文明社会で、しかも、東洋の日本にまで、私が著した本が読み継がれているというのは、嬉しいことだね」
「いいえ、日本だけではありません。未来では、聖書に続くベストセラーというくらいに、ワトソンさんの小説は、全世界で愛読されていますよ」
真司も嬉しそうにいった。
「愛読されているだけではないわ。《シャーロキアン》といって、ワトソンさんの小説を熱心に研究している文学者も大勢います。日本にも、そういった研究グループはありますが、世界には、《ベーカー・ストリート・イレギュラーズ、(BSI)》という、ホームズさんの友人のヴィキンズ少年のグループから名前を借りた団体があって、そこには、アメリカの大統領も在籍していたことがあるのです」
とわたしが補説した。
「大統領まで! それは光栄だけど、彼らは、私が著した拙い小説で、一体何を研究しているのだね?」
ワトソンさんが少し照れながら訊いた。
「人によって様々ですが、犯罪トリックや19世紀のビクトリア王朝の文化を研究したり、ホームズさんやワトソンさんなど、登場している人物を全員把握している人もいます。とにかく、いろいろな視点から研究されています」
「へえっ、これはうっかりしたことを書けないね」
といいながらも、ワトソンさんは感激した様子だったが、ホームズさんはあまり関心なさそうに、紅茶を飲んでいた。
「ところで、君たち、どうして私がそんなメッセージを書いたのか、訳を知りたいのだが……」
ホームズさんは紅茶を飲み終えると、ティーカップを皿の上においていった。
「7年後の私に会って、訊いてきてくれないかね」
「ええ、そのつもりでしたので構いませんが、よろしければ、ホームズさんが行きませんか?」
「いや、私は遠慮しておくよ。うっかりして、事件の話にでもなったら困るからね」
「それじゃあ、今から行って来ます」
「待って。君たち、暗くなるまで、待った方がいいのでは? 人に見られるのは良くないよ」
「それもそうですね。ところで、ロンドンには、山をかけ下りるような坂道はありませんか? ビッグベンから、ここへ来る道中にはなかったのですが……」
「ロンドンには、そんな坂道はないよ」
「それじゃあ、僕たちはどうやって行ったら……。それどころか、未来にも帰れない」
真司とわたしは不安になった。
「君たち、案ずることはないよ」
「要するに、スピードが出ればいいのだろう?」
「はあ」
「それなら、馬車につないで、おもいっきり走らせればいい」
「なるほど」
ホームズさんの頭の良さにわたしたちは感心した。
「どの道を走らせるかが問題だが、ふつうの路地では辻馬車が往来し、通行人も多いので、馬車をおもいっきり走らせることはできない。だから、深夜になったら、この近くのリージェントパークへ行こう」
わたしたちは、深夜まで待つことにした。待っている間に、ホームズさんは、二頭立ての荷馬車を用立てるように、ハドソン夫人に申しつけると、わたしたちにバイオリンでいろいろな曲を演奏してくれた。
ホームズさんのバイオリンは最高だった。奏でる曲は、すべて心の中までしみ入った。




