8 未来からの依頼人 3
「始めたまえ」
ホームズさんが、ペルシャスリッパから刻みタバコを出し、パイプにつめてそれをくわえ、マッチの火をつけた。ワトソンさんは原稿を見ている。
わたしは草原推理文庫を持って、英訳しながら朗読を始めた。
「わが友シャーロック・ホームズ氏が1887年の春の極度の過労による病気から、まだ充分に回復していないころのことだった。蘭領スマトラ会社事件とか、モウペルトイス男爵の大陰謀事件とかの全貌は、まだあまりにも世間一般の記憶になまなましいし、あまりにも政治経済などに関係が深いので、この探偵物語集の題材としては不当である。しかしそれが間接に、複雑怪奇なある事件を生み、そこでわが友は、犯罪とのたたかいにささげた彼の生涯において使用した多くの武器のうちの、目あたらしい1つのものの価値を世にしめす機会をもったのであった」
(創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』より)
ここまで読み終えると、
「すばらしい、私の持っている原稿と全く同じだよ」
ワトソンさんがホームズさんに原稿を渡した。
「続けたまえ」
「はい」
ホームズさんは、無表情に原稿を見つめている。わたしは続きを読み始めた。
「ノートを出してみると、(中略)おやおや、ホームズさん、どうしましたか」
(創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』より)
と、半分くらい読むと、穏やかなホームズさんの声がした。
「お嬢さん、もういいですよ。すばらしい! 完璧だ! 全文一致している!」
ホームズさんの怒りは治まったようだが、彼は何やら考え込んでいた。
そこで、真司がいった。
「未来からやって来たという証拠はまだありますよ」
真司はリュックの中から、ポラロイドカメラとMDウォークマンを出していった。
「これは、未来の写真機と蓄音機です。未来では、写した直後に写真ができあがる写真機だってあるんです」
真司は、ポラロイドカメラで、ホームズさんの写真を撮った。シャッターの音が鳴った後、5秒くらいの間に写真が出てきた。
黒い紙をめくると、パイプをくわえひざを組んで座っているホームズさんの写真ができた。
「オオ、マイ、ゴッド!」
ホームズさんが叫んだ。
「すごい! すばらしいよ君たち」
ワトソンさんが、わたしたちに握手を求めてきた。わたしたちは、ワトソンさんの右手を交互に握りしめた。
「どうやら、君たちがいっていたことは、本当のようだね。疑ったりして申し訳なかった」
ホームズさんが紳士らしく丁寧にあやまった。
「これは、ホームズさんにプレゼントします」
真司はポラロイド写真を渡した。ホームズさんは写真を受け取ると嬉しそうな顔で、写真を裏返したりして観察した。そして、MDウォークマンにも興味を示した。
「これは、また随分小さい蓄音機だね。そんな物でいい音が聴けるのかね?」
「ええ」
真司がMDウォークマンのイヤホンをホームズさんの左右の耳に当て、再生ボタンを押した。
「何だね、この音楽は! 耳がつぶれそうだ」
ホームズさんはびっくりしたようで、すぐさま、イヤホンをふり放した。
イヤホンからは、ジャンジャン、ジャカジャカ、ジャンジャンジャンというヘビーメタルのエレキギターの音が流れている。
「未来では、こんな音楽を楽しんでいるのかね?」
ホームズさんは、耳穴をひっかいた。
「ええ、まあそうです」
真司とわたしは、また、ホームズさんの機嫌を損ねたのかと思ったが、彼は笑顔でいった。
「いやー、参ったね。これは、ハイテクノロジーだ。写真機はすばらしいが、蓄音機は今の方が情緒があっていいね」
ホームズさんは、ラッパのようなスピーカーのついた蓄音機にレコードを置き、その上に針をそろっとおろした。バイオリンの静かな曲が流れ出した。
「メンデルスゾーンの曲だ」
と、ホームズさんはいった。
「ところで、さっき、君たちは、私からのメッセージとかいっていたね。そのことについて詳しく教えてくれないかね?」
真司はあの紙切れを見せた。
「そのメッセージには、こう書いてあります。『来たれ、未来からの依頼人、過去への扉は開かれた。ベイカー街221Bで待つ。 S・H』……」
真司はあの紙切れに書かれてあったことをすべて読み上げた。
「なるほど、だが、私はそんなものを書いた覚えがないんだ。それに日本語で書かれてあるから、筆跡鑑定もできないし。何か手掛かりになるようなものはないのかね?」
「そういえば、タイムマシンを見つけた時に、1894 0405 と、目標の日付を示すマスに入ってありました」
「1894年といえば、今から7年後になるね。タイムマシンだから、その日付はきっと何かのキーになるのでは……?」
ホームズさんは、しばらく考え込んでいった。
「7年後の私になら、分かるかも知れないね」
「そうか! そういうことかも知れませんね。あの日付はホームズさんの……」
「ちょっと、待ちたまえ、君たち。私の事件の話なら、聞かないことにするよ」
「どうしてですか?」
「これから起こる事件のことを全部知ってしまうと頭が使えなくなる。そうすると、始終、これの世話にならないといけなくなる」
といって、ホームズさんは、モロッコ革のきゃしゃなケースから皮下注射器を、マントルピースの隅から瓶を取り出してきて、わたしたちに見せた。瓶の中身は7%のコカイン溶液だ。
「おい、ホームズ、子供たちにそんなものを見せなくても……」
「なに、このお嬢さん方は、すべてお見通しだよ、ワトソン」
読んでいただき、ありがとうございます。
麻子と真司の現代は、ポラロイドカメラやMDウォークマンの時代です。
2024年の今は、スマホ1つで写真を撮れたり、音楽も聴けますが。
時が経つと、忘れ去られるようなアイテムを出してみました。
というか、この物語を書き始めたのは、1999年の10月19日なので、そういうアイテムが出てきたのです。




