第4話:宿場町ミルフィア
「シロ、行こ!」
「わふっ!」
私はマップを頼りに、《宿場町ミルフィア》を目指して森の中を歩き始めた。
さっきまでは一人だったけど、今は隣にシロがいる。
それだけで、同じ森なのにずいぶん違って見える。
「なんか楽しいね」
「わふ!」
シロも楽しそうだ。
ふわふわの尻尾を揺らしながら、私の横を歩いている。
しばらく進んでいると。
がさっ。
「ん?」
近くの茂みが揺れた。
そこから、小さなイノシシみたいな魔物が顔を出す。
「わ、また可愛い子!」
丸っこい身体に、ちょっと大きな鼻。
私は思わず足を止めた。
でも。
その魔物は私を見て。
次に、隣のシロを見る。
「…………」
「…………」
数秒。
「ぷぎっ!?」
突然、ものすごい勢いで森の奥へ逃げていった。
「え?」
「わふ?」
シロが首を傾げる。
「シロ見て逃げたのかな」
まあ、狼だし。
あの子からしたら怖かったのかもしれない。
「仕方ないね」
「わふ」
私はそのまま歩き続けた。
しばらくすると、森の木々が少しずつ少なくなってくる。
そして。
「おお……!」
目の前に、ちゃんと整備された道が現れた。
土が踏み固められた広い街道。
その上を、荷馬車や旅人が行き交っている。
「人がいる!」
ゲームなんだから当然のはずなのに。
森の中をずっと歩いていたせいか、なんだかすごく安心した。
商人らしき人。
大きな荷物を背負った旅人。
剣を腰に下げた冒険者。
誰もが普通に話しながら歩いている。
「今日中にミルフィアまで着けそうだな」
「西の街道で魔物が増えてるって話、聞いたか?」
「野菜の値段、また上がったらしいぞ」
そんな会話が聞こえてくる。
「……ほんとに普通に生活してる」
決められた台詞を繰り返しているようには見えない。
みんなそれぞれに用事があって、自分の生活をしている。
ゲームの中なのに。
本当に、もう一つの世界みたいだった。
「わふ?」
「ううん。なんでもない」
私はシロの頭を軽く撫でる。
それから街道をしばらく進むと。
「あ!」
前方に町が見えてきた。
石造りと木造りの建物が並び、その周囲には低い外壁。
大きな門の向こうには、人や荷馬車がたくさん行き交っている。
マップにも表示が出る。
《宿場町ミルフィア》
「着いたー!」
「わふっ!」
思わず両手を上げる。
初めての町。
なんだかそれだけでワクワクする。
「まずはご飯だね!」
「わふっ!」
「シロも楽しみなんだ」
そんな話をしながら門へ向かうと。
「ちょっと待ってくれ」
「ん?」
門のところに立っていた男の人に声をかけられた。
鎧を着ている。
たぶん門番さんだ。
その人は、私より先にシロを見ていた。
「その狼は君の連れか?」
「はい!」
私はすぐに頷く。
「シロです!」
「わふ!」
シロも元気よく鳴いた。
門番さんは少しだけ目を細めてシロを見る。
「……契約魔物か?」
「はい。私、召喚士なので」
「そうか。それなら問題ない」
少し警戒が解けたようだった。
「ただし、町の中で暴れさせないようにな」
「大丈夫です!」
私はシロを見る。
「シロ、暴れたりしないよね?」
「わふっ!」
「……まあ、大人しそうではあるな」
門番さんが苦笑する。
でも、そのままシロをじっと見ていた。
「それにしても、珍しい狼だな。種類は分かるか?」
「種類……?」
私はシロを見る。
真っ白でもふもふ。
青紫色の綺麗な瞳。
額には淡い紫色の紋様。
「可愛い狼さんです!」
「……いや、そういう意味じゃなくてだな」
「?」
「……まあいい」
門番さんは諦めたように息を吐いた。
「通っていいぞ」
「ありがとうございます!」
「わふ!」
そのまま町の中へ入る。
後ろで門番さんが小さく呟いた。
「……本当に、何の狼なんだ?」
もちろん私は気づかなかった。
「わぁ……!」
町の中に入った瞬間。
私は思わず声を上げた。
石畳の道。
両側に並ぶ宿や店。
道端には露店。
荷馬車がゆっくり進み。
冒険者らしき人たちが笑いながら歩いている。
どこかの店からは、焼いた肉みたいないい匂いまで流れてくる。
「完全に異世界だ……」
「わふ!」
シロもきょろきょろしている。
私はしばらく辺りを眺めていた。
でも。
ぐぅぅ。
「…………」
お腹が鳴った。
「そうだった」
観光してる場合じゃない。
「ご飯!」
「わふっ!」
「シロもだね」
匂いにつられて、近くの屋台へ向かう。
パン。
串焼き。
スープ。
いろいろ売っている。
「おいしそう……」
私はパンと串焼きをいくつか買った。
それからシロ用に、味付けの薄そうな肉も追加する。
「はい、シロ」
「わふっ!」
目が輝いた。
「分かりやすいなぁ」
シロは嬉しそうに食べ始める。
私もパンを一口。
「…………!」
普通においしい。
外は少し香ばしくて、中は柔らかい。
「ゲームなのに味までちゃんとしてる……」
今さらだけど、本当にすごい。
そのまま軽く食事を済ませた私は、町を見て回ることにした。
「今日ログアウトするなら、宿も探した方がいいよね」
この世界は、私がいなくても時間が進む。
それなら、ちゃんと安全な場所を拠点にした方がいい気がする。
しばらく歩いていると。
「あ」
可愛らしい看板が目に入った。
宿らしい。
「ここにしてみようかな」
「わふ」
扉を開ける。
「いらっしゃいませー!」
明るい声が響いた。
奥から、一人の少女が出てくる。
柔らかな栗色の髪。
頭には大きな獣耳。
ブラウンとクリーム色を基調にした、可愛らしいエプロンドレス。
そして。
「…………」
私は固まった。
少女の背後で。
本人の身体ほどもありそうな、大きな。
ものすごく大きな。
ふわっふわの尻尾が揺れている。
「…………」
もふもふしたい。
絶対もふもふだ。
見ただけで分かる。
ものすごい。
でも。
初対面。
さすがにいきなり、
『尻尾触らせてください!』
は駄目でしょ。
我慢。
でも触りたい。
我慢。
触りたい。
我慢。
「…………っ」
「え、えっと……?」
少女が少しだけ身を引いた。
「なんか、めちゃくちゃすごい顔してますけど……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です!」
「ほんとですか……?」
たぶん今の私は、ものすごく変な顔をしていた。
でも視線がどうしても尻尾へ行く。
すると。
「……尻尾、気になります?」
「!」
ばれた。
「いや、その……」
私は目を逸らす。
「すごくふわふわしてそうだなって思って……」
「ふわふわですよ?」
「!」
誘惑しないでほしい。
「でも、初対面で触らせてくださいって言うのも失礼かなって……」
私が正直に言うと。
少女は一瞬きょとんとして。
それから、くすっと笑った。
「変な人ですね」
「うっ」
「でも、ちゃんと我慢してたんですね」
「……はい」
「ふふ」
少女は大きな尻尾をゆらっと揺らした。
「私はマロンです。この宿の看板娘をしてます」
「私はユズです」
「わふ!」
「この子はシロ」
「わぁ、かわいい!」
マロンがシロを見る。
「真っ白でもふもふですね!」
「そうなんです!」
思わず食いつく。
「シロ、すっごいもふもふなんですよ!」
「わふっ!」
「ふふ。仲良しなんですね」
「はい!」
そんな会話をしながら、私は宿を取った。
ひとまず今日からここを拠点にできそうだ。
それから。
「そういえば、ユズさんって冒険者さんですか?」
「冒険者?」
「はい」
私は首を傾げる。
「たぶん……?」
「たぶん?」
「今日ここに来たばっかりで、まだよく分からなくて」
「ああ、異邦人の方なんですね」
異邦人。
この世界では、私たちプレイヤーのことをそう呼ぶらしい。
「それなら、冒険者ギルドにはまだ行ってませんよね?」
「ギルド?」
「やっぱり」
マロンが笑う。
「旅をするなら、登録しておくと便利ですよ。身分証にもなりますし、依頼も受けられます。魔物の素材を買い取ってもらったり、ダンジョンや周辺地域の情報を聞いたりもできますから」
「へえ」
それは便利そう。
「じゃあ行ってみようかな」
「場所はこの通りをまっすぐ行って、広場を右です」
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
私は宿を出る。
その直前。
つい。
マロンの尻尾をもう一度見る。
「…………」
「またすごい顔してますよ?」
「ご、ごめんなさい!」
私は急いで外へ出た。
「危なかった……」
「わふ?」
「シロにはまだ分からなくていいよ」
いや。
むしろシロも十分もふもふなんだけど。
それとこれとは別なのだ。
教えてもらった通りに進むと。
大きな建物が見えてきた。
入口の上には、剣と盾を組み合わせたような看板。
「ここかな」
扉を開く。
「おお……」
中にはたくさんの人がいた。
鎧姿。
ローブ姿。
剣を背負った人。
普通の服の人もいる。
「これ、誰がプレイヤーなんだろ……」
全然分からない。
町の人も冒険者も、みんな自然に話して、笑って、食事をしている。
見た目だけでは、プレイヤーなのか、この世界の住人なのかまったく判断できなかった。
とりあえず、受付らしき場所へ向かう。
「い、いらっしゃいませ!」
「わっ」
元気な声。
でも、少し緊張しているようにも聞こえた。
受付にいたのは、一人の少女だった。
腰よりずっと長い、淡いピンクから薄紫色へ溶けていくような髪。
瞳も綺麗な紫色。
頭には、ウサギの耳を思わせる長い飾り。
白と淡い青紫を基調にした、フリルの多い可愛らしい制服。
腕には帳簿を抱えている。
「ぼ、冒険者ギルド・ミルフィア支部へようこそ!」
少し噛みそうになりながら言う。
「初めてですか?」
「はい!」
「で、では新規登録ですね!」
ちょっとあわあわしている。
なんだか可愛い。
「私、ルナと申します。受付を担当しています」
「ユズです」
「よろしくお願いします!」
手続きは思っていたより簡単だった。
名前。
職業。
いくつかの確認。
「職業は……召喚士ですね」
「はい」
「契約魔物は……こちらの子ですか?」
「そうです。シロです!」
「わふ!」
ルナさんの視線がシロへ向く。
「…………」
「どうしました?」
「い、いえ。ずいぶん綺麗な狼さんだなと思って」
「ですよね!」
私はすぐに頷く。
「真っ白で、もふもふで、すっごく可愛いんです!」
「わふっ!」
「え、ええ……それはよく分かります」
ルナさんが少し困ったように笑った。
「種類は分かりますか?」
「種類?」
「はい。狼系の魔物にも、いくつか種類がありますので」
「うーん……」
私はシロを見る。
真っ白。
もふもふ。
可愛い。
「普通の可愛らしい狼さんだと思います!」
「……普通?」
ルナさんがシロをもう一度見る。
「たぶん!」
「そ、そうですか……」
なぜか納得していない顔だった。
「それでは、ユズさんはFランクからの登録になります」
「F?」
「はい。冒険者ランクは、下からF、E、D、C、B、A。そして特別なSランクがあります」
「じゃあFが一番下なんだ」
「そうなります」
まあ、今日始めたばかりなんだから当然か。
「どうやったら上がるの?」
「基本的には、自分と同じランクのダンジョンを三つ攻略するか、一つ上のランクのダンジョンを一つ攻略すると、昇格条件を満たします」
「一つ上でもいいんだ」
「はい。ほかにも、それと同程度だとギルドが認めた依頼や功績を達成した場合も、昇格条件として扱われることがあります」
「じゃあ今の私なら、Fランクのダンジョンを三つか、Eランクを一つ?」
「その通りです!」
ルナさんが嬉しそうに頷く。
「じゃあ、いきなりDランクのダンジョンに入ることもできるの?」
「入ること自体はできます」
「できるんだ」
「ですが!」
ルナさんの表情が少し真剣になった。
「冒険者ギルドとしては、あまりおすすめしません」
「そうなの?」
「はい。二ランク以上上のダンジョンになると、魔物や罠の危険度が一気に上がります。実力が足りないまま挑戦して、命を落とす冒険者も珍しくありません」
「命を……」
「異邦人の方は復活できると聞いていますが、私たちはそうではありませんから」
「あ……」
そうだった。
私は死んでも復活できる。
でも。
この世界で暮らしている人たちは、たぶん違う。
「だからギルドでは、基本的に自分と同じランクか、一つ上までのダンジョンを推奨しています」
「なるほど……」
「もちろん、実力に自信がある方が上位のダンジョンへ挑戦すること自体は禁止されていません。ただ、何かあっても自己責任になります」
「分かりました」
無理はしない方がよさそうだ。
「それと、Cランク以上へ昇格する場合は、ダンジョン攻略だけでは上がれません」
「え?」
「Cランクからは、一人前の冒険者として扱われるようになります。そのため、昇格時には特別な試験があります」
「試験……」
ゲームの中でも試験があるらしい。
「戦闘能力だけでなく、判断力や依頼への対応なども確認されます。場合によっては実地試験が行われることもあります」
「じゃあ、強ければいいってわけじゃないんだ」
「はい。冒険者は、人の命に関わる依頼を受けることもありますから」
「確かに」
「BランクやAランクになると、さらに実績やギルドへの貢献、特殊な功績なども重視されます」
「Aが普通の一番上なんだよね?」
「はい。通常の冒険者が目指せる最高位はAランクです」
「じゃあSランクは?」
ルナさんは少し姿勢を正した。
「Sランクは、普通の昇格では到達できません」
「そうなの?」
「はい。国家規模の災害を防いだり、伝説級の魔物を討伐したり、多くの人々を救ったり……そういった、歴史に残るほどの功績を成し遂げた冒険者だけに、特別に与えられる称号です」
「へえー……」
私には縁がなさそう。
「そのため、Sランク冒険者はほとんど存在しません」
「そんなにすごいんだ」
「はい。冒険者ギルド内でも特別な権限を与えられていて、支部のギルドマスターと同等に近い発言力を持っています」
「ギルドマスターと同じくらい?」
「それだけ大きな功績を認められた方、ということです」
「すごいなぁ」
まあ。
私は可愛い魔物と一緒に冒険できれば、それでいいけど。
「説明はこのくらいで大丈夫ですか?」
「うん! たぶん!」
「た、たぶんですか?」
「分からなくなったら、また聞きます」
「はい。いつでも聞いてください」
ルナさんが笑う。
「それでは――」
いくつかの手続きを済ませる。
「ユズさん。冒険者登録、完了しました!」
「おお!」
これで私も冒険者らしい。
……まだ何もしてないけど。
「ありがとうございます!」
「はい。これからよろしくお願いします!」
「わふ!」
ギルドを出た後。
「せっかくだし、もうちょっと町を見て回ろうか」
「わふ!」
私はシロと一緒に大通りを歩く。
食料ももう少し買っておきたい。
シロ、結構食べるし。
「次は何見ようかな」
そんなことを考えていた時。
「……にゃあ」
「ん?」
私は足を止めた。
「今、猫の声しなかった?」
「わふ?」
近くの路地裏を見る。
そこに。
「…………!」
一匹の猫がいた。
銀灰色から白に近い、柔らかそうな毛。
ところどころに淡いピンク色が混じっている。
瞳は綺麗な桃色。
首には黒とピンクのリボン。
その中央には小さな鈴。
長くふわふわした尻尾にも、同じような飾りがついている。
「…………かわいい」
ものすごくかわいい。
「シロ、猫がいる!」
「わふ?」
私はゆっくりしゃがむ。
「大丈夫だよー」
「…………」
猫は逃げない。
でも、じっと私を見ている。
普通の猫より、なんとなく目が賢そう。
次に。
シロを見る。
「…………」
ほんの少し。
猫の目つきが変わった気がした。
「シロが怖いのかな」
「わふ?」
私は一歩だけ近づく。
「怖くないよー」
その瞬間。
「……!」
猫が軽やかに塀へ飛び乗った。
「あっ!」
そのまま。
ひょい。
屋根の上へ。
「待って――」
と言いかけて。
私は止まる。
「……いや」
追いかけるのはやめた。
「怖がってるなら、追いかけたらかわいそうだよね」
「わふ」
猫の姿は、もう見えない。
「残念」
でも。
「また会えたらいいな」
私はそう呟いて、シロと一緒に歩き出した。
その頃。
少し離れた屋根の上。
「…………」
先ほどの猫が、こちらをじっと見下ろしていた。
桃色の瞳が。
まず、白い子狼へ向く。
次に。
その隣を歩く私へ。
「…………にゃ」
小さく鳴いて。
猫は静かに姿を消した。




