第3話:シロ
《神狼フェンリル〈幼体〉から契約を申し込まれました》
「…………」
目の前に浮かんだ文字を、私はもう一度読む。
神狼。
フェンリル。
なんだか、ものすごく強そうな名前だ。
「フェンリル……?」
どこかで聞いたことがあるような気もする。
ゲーム?
漫画?
神話とかだったかな。
「まあ、いっか」
今はそんなことよりも。
目の前の白い子狼が、じっと私を見上げている。
さっきまで弱っていたのが嘘みたいに、尻尾を小さく揺らしながら。
続けて、新しい表示が現れた。
《契約を受諾しますか?》
《はい》
《いいえ》
「もちろん、はい!」
迷う理由なんてなかった。
私はすぐに《はい》へ触れる。
その瞬間。
「わっ……」
白い子狼の身体が、淡い光に包まれた。
同時に、私の身体にも同じ光が広がっていく。
暖かい。
不思議な感覚だった。
何か見えない糸みたいなものが、私とこの子の間につながったような。
ほんの少しだけ。
でも確かに、さっきまでとは違う何かを感じる。
《神狼フェンリル〈幼体〉との契約が成立しました》
「おお……!」
「わふっ!」
子狼が嬉しそうに鳴いた。
尻尾もさっきよりずっと激しく揺れている。
「これで、一緒に冒険できるんだよね?」
「わふっ!」
たぶん、そう言っている。
なんだか私まで嬉しくなってきた。
「よろしくね!」
「わふ!」
改めて目の前の子狼を見る。
雪みたいに白い毛に、大きな耳とふわふわの尻尾。
額には淡い紫色の紋様が浮かんでいて、青紫色の瞳も宝石みたいに綺麗だ。
「……やっぱり普通の狼とは、ちょっと違うのかな」
神狼フェンリル。
さっき表示された名前を思い出す。
でも。
「まあ、かわいいからいいけど」
「わふ?」
そうだ。
これから一緒に冒険するなら、ずっと『君』とか『この子』って呼ぶのも変だよね。
「名前、つけてもいい?」
「わふ?」
子狼が首を傾げる。
かわいい。
「うーん……」
私は改めてその姿を見る。
雪みたいに真っ白な毛。
少し銀色にも見える、ふわふわの毛並み。
「白いから……」
数秒考えて。
「シロ!」
そのままだった。
「シロってどう?」
「わふっ!」
尻尾がぶんぶんと左右に揺れる。
「気に入ってくれた?」
「わふ!」
「よかったぁ」
すると、目の前に小さな表示が現れた。
《神狼フェンリル〈幼体〉に個体名が設定されました》
「よし。今日からシロね!」
「わふっ!」
そして。
「…………」
私はシロを見る。
シロも私を見る。
今までずっと我慢していたことが、一つだけある。
「ねえ、シロ」
「わふ?」
「……触ってもいい?」
もちろん言葉が通じるとは限らない。
でも。
シロは少しだけ首を伸ばすと、自分から私の手に頭を押しつけてきた。
「……!」
恐る恐る、その頭を撫でる。
ふわっ。
「…………」
もう一度。
もふっ。
「…………!」
なにこれ。
「すっごいもふもふ!」
「わふっ!?」
思わず声が大きくなった。
でも止まらない。
「なにこれ、すごい! ふわふわ! 柔らかい!」
頭を撫でる。
耳の後ろを撫でる。
首元も撫でる。
どこを触っても、ふわふわ。
「かわいい……!」
「わふぅ……」
シロも嫌そうではない。
むしろ、目を細めて気持ちよさそうにしている。
「抱っこしてもいい?」
「わふ」
たぶん許可をもらった。
私はシロの身体をそっと持ち上げる。
「わぁ……!」
軽い。
そして。
「もっふもふ……!」
胸元に抱き寄せると、白い毛が頬に触れた。
ものすごく柔らかい。
動画で可愛い魔物を見つけて。
勢いでゲームを始めて。
そして今。
私は本当に、その可愛い魔物を抱っこしている。
「ゲーム始めてよかったぁ……」
「わふぅ」
私はシロの首元に顔を埋める。
その時だった。
『契約経験値を獲得しました』
「ん?」
システムさんの声が聞こえた。
『レベルが一から二に上がりました』
《ユズ Lv.1 → Lv.2》
《HP:100 → 110》
《MP:100 → 105》
《SP:100 → 105》
《ステータスポイントを5獲得しました》
《スキルポイントを1獲得しました》
「おお、レベル上がった」
そういえば、契約した時にも経験値がもらえるって言ってたっけ。
「シロと仲間になっただけでレベル上がるんだ」
便利だなぁ。
でも今は。
「それよりシロ、その耳触っていい?」
「わふ?」
ぴこぴこと動く耳。
私はそっと指先で触れる。
「柔らかい……」
『レベルが二から三に上がりました』
「え?」
《ユズ Lv.2 → Lv.3》
《HP:110 → 120》
《MP:105 → 110》
《SP:105 → 110》
《ステータスポイントを5獲得しました》
《スキルポイントを1獲得しました》
「また上がった」
契約でもらえる経験値って、結構多いんだ。
「シロって強い魔物なのかな?」
「わふ!」
「まあ、かわいいから何でもいいけど」
私はまたシロを抱きしめる。
「もふもふ~」
「わふぅ……」
『レベルが三から四に上がりました』
《ユズ Lv.3 → Lv.4》
『HPが百二十から百三十に――』
「うるさいな!」
思わず叫んでしまった。
「今シロともふもふしてるところなのに、邪魔だよ!」
「くぅん?」
「あっ」
シロが少し驚いた顔をする。
「違う違う! シロに怒ったんじゃないよ!」
慌てて頭を撫でる。
「シロは何も悪くないからね」
「わふ……」
「よしよし」
撫でていると。
『システムメッセージの通知設定を変更しますか?』
「え?」
突然、システムさんが聞いてきた。
「そんなことできるの?」
『はい』
目の前に半透明の画面が現れる。
《通知設定》
《レベルアップ通知》
《ステータス変動通知》
《スキル取得通知》
《アイテム取得通知》
《称号取得通知》
《クエスト通知》
《ワールドアナウンス》
《その他システム通知》
「いっぱいある……」
一個ずつ設定するの?
めんどくさい。
それなら。
「もう全部オフで!」
『確認します』
『ワールドアナウンスを含む、すべてのシステム通知を非表示にします。よろしいですか?』
「いいよ!」
『すべての通知を非表示にしました』
「よし!」
『なお、非表示となった通知も《システムログ》には記録されます』
『確認したい場合は、《メニュー》から《ログ》を開くことで――』
「分かった分かった」
『また、通知設定は《各種設定》からいつでも変更することが――』
「はーい」
そして。
静かになった。
「…………」
何も聞こえない。
「完璧!」
「わふっ!」
「これで邪魔されないね、シロ!」
私はもう一度シロを抱きしめる。
「もふもふ~!」
「わふぅ……」
幸せ。
ものすごく幸せ。
しばらく夢中になってシロを撫でていると。
「……ん?」
ふと、不思議な感覚がした。
嬉しい。
安心する。
もっと撫でてほしい。
そんな気持ちが、自分のものとは別に、ぼんやりと胸の中へ流れ込んでくる。
「これ……」
シロを見る。
「もしかして、シロの気持ち?」
「わふ?」
試しに、撫でる手を止める。
すると。
もっと。
そんな感覚が伝わってきた。
「…………」
もう一度撫でる。
「わふぅ」
今度は、嬉しいという感覚。
「やっぱりそうだ!」
言葉そのものが聞こえるわけじゃない。
でも。
嬉しい。
嫌だ。
怖い。
楽しい。
お腹が空いた。
そういう簡単な気持ちなら、なんとなく分かる。
「契約したからかな?」
「わふっ」
「すごいね、シロ!」
言葉が話せなくても。
こうやって気持ちが分かるなら、一緒にいるのに困ることはなさそうだ。
「これからいっぱい色んなところ行こうね」
「わふっ!」
シロから、嬉しそうな感情が返ってくる。
「えへへ」
私はまたシロの頭を撫でた。
それからしばらく。
森の中でシロを撫で続けていたけど。
さすがにそろそろ移動した方がいい気がしてきた。
「さてと」
私は立ち上がる。
シロも隣で立ち上がった。
「これからどうしようかな」
せっかくだし、このまま森を探索してもいい。
シロも一緒なら、さっきよりずっと楽しいはずだ。
「もう少し可愛い子を探して――」
ぐぅぅ。
「…………」
小さな音がした。
「今の私?」
お腹に手を当てる。
そういえば、このゲームには満腹度があるんだった。
ゲームを始めてからまだそんなに経っていないけど、森を結構歩いた。
「ご飯にしようかな」
私はメニューを開き、《アイテム》を選択する。
そして。
《初心者用携帯食×0》
「…………」
もう一度見る。
《初心者用携帯食×0》
「…………あ」
思い出した。
「私のご飯、全部シロにあげちゃったんだった」
「くぅん……」
シロから申し訳なさそうな気持ちが伝わってきた。
「あっ、違うよ!」
私はすぐにしゃがむ。
「シロは悪くないからね」
「わふ……?」
「私が勝手に全部あげただけだし」
むしろ、シロが元気になったんだから全然問題ない。
頭を撫でる。
「それに、食料は町で買えるってシステムさんも言ってたし」
そうだ。
初期説明では、食料やポーションは町で補充できると言っていた。
「じゃあ、町を探そうか」
「わふ!」
私は《メニュー》から《マップ》を開く。
目の前に周辺の地図が表示された。
私が歩いた辺りはある程度詳しく表示されている。
その少し先。
森を抜けた場所に、街道らしき線。
そして、その街道沿いに一つの町が表示されていた。
《宿場町ミルフィア》
「ミルフィア……」
今いる場所から、一番近そうな人里。
「ここに行けば、ご飯も買えるかな?」
もちろんシロの分も必要だ。
「シロもいっぱい食べるもんね」
「わふっ!」
「……いっぱい食べるってところだけ、すごく嬉しそうなの分かるんだけど」
でも。
ちょっと面白い。
「よし!」
私はマップを閉じる。
「まずはミルフィアに行こう!」
「わふっ!」
歩き始めると、シロは当然のように私の隣へ並んだ。
さっきまで一人で歩いていた森。
景色は何も変わっていない。
なのに。
一緒に歩いてくれる子がいるだけで、なんだか全然違って見える。
「シロ、行こ!」
「わふ!」
こうして。
ゲームを始めたその日。
私は最初の仲間を手に入れた。
雪みたいに白くて。
ふわふわで。
とっても可愛い、小さな子狼。
その子が、この世界でも滅多に存在しない《神獣》と呼ばれる存在だということを。
この時の私は、まだまったく理解していなかった。
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