第2話:白い子狼
「可愛い魔物、探しに行こう!」
そう意気込んで森の奥へ歩き始めた私だったけど――。
「……すごいなぁ」
数分もしないうちに、すっかり周りの景色に夢中になっていた。
頭上では木の葉が風に揺れている。
足元には見たことのない小さな花が咲いていて、少し離れたところでは透明な羽を持った虫のような生き物が飛んでいた。
どれもゲームの中とは思えないくらい、本物っぽい。
「これ、触れるのかな」
近くの木に手を伸ばしてみる。
ざらざらした樹皮の感触が、ちゃんと手のひらに伝わってきた。
「ほんとに何でも触れるんだ……」
葉っぱをつまんでみる。
柔らかい。
少し引っ張れば、ぷちっと枝から取れた。
「細かすぎない?」
ゲームって、もっとこう。
触れないものがいっぱいあったり。
見えない壁があったり。
そういうものだと思っていた。
でも《エルディア》には、今のところそういう感じがまったくない。
森の中を歩いているだけなのに、なんだか本当に知らない場所を冒険しているみたいだった。
「……あ」
その時。
少し離れた茂みが、がさりと揺れた。
「何かいる?」
私は足を止める。
じーっと見ていると。
ぴょこん。
小さな生き物が、葉っぱの隙間から顔を出した。
「……!」
茶色っぽい体。
ふわふわした丸い尻尾。
頭には小さな耳。
リスみたいだけど、背中には薄い緑色の模様が入っている。
「かわいい!」
思わず声が出た。
いた。
本当にいた。
動画で見たみたいな、可愛い魔物。
私は嬉しくなって、一歩近づく。
「ねえねえ――」
びくっ。
その子が身体を震わせた。
「あ」
さらに一歩近づこうとすると、今度は一歩後ろへ下がる。
「……怖がってる?」
私はそこで止まった。
そのまま少ししゃがんで、できるだけ小さくなる。
「大丈夫だよ。何もしないから」
もちろん、相手に言葉が通じているかは分からない。
でも、少なくとも逃げ道を塞がないようにする。
しばらく見つめ合う。
「…………」
「…………」
先に動いたのは、向こうだった。
くるりと身体を反転させ、そのまま森の奥へ走っていく。
「あ……」
あっという間に姿が見えなくなった。
「行っちゃった」
ちょっと残念。
でも。
「まあ、怖がってるのに追いかけたらかわいそうだよね」
仲良くなりたいのは私の方であって、向こうがそう思っているとは限らない。
そう考えると、無理やり追いかけるのも違う気がした。
「次の子を探そう」
私は気を取り直して歩き始める。
その後も何匹か魔物らしい生き物を見つけた。
木の上からこちらを見ていた、小さな鳥みたいな子。
岩陰に隠れていた、丸っこいトカゲみたいな子。
遠くを走っていった、耳の長いウサギみたいな子。
どれも可愛かった。
ただ。
「……みんな逃げる」
そりゃそうか。
いきなり知らない人が近づいてきたら、普通は警戒する。
「仲良くなるって、意外と難しいのかなぁ」
動画では、魔物を弱らせてから契約するって言っていたけど。
やっぱり、それだと余計に嫌われる気がする。
まあ、ゲームにはゲームのやり方があるのかもしれないけど。
「私はのんびりでいいや」
急いで攻略するつもりもない。
邪神を探しているわけでもない。
まずは可愛い魔物と仲良くなれたら、それで十分。
そんなことを考えながら歩いていると。
「……あれ?」
少しだけ足が重くなってきた。
「ゲームなのに普通に疲れるんだ」
そういえば、SPっていうのがあった。
走ったり激しく動いたりすると減るらしいけど、普通に歩いていても多少は疲れるのかもしれない。
「あとで休もうかな」
まだそこまで疲れてはいない。
それよりも。
「可愛い子、いないかなぁ」
私はまた辺りを見回す。
すると。
「……くぅん」
「ん?」
小さな声が聞こえた。
私は立ち止まる。
「今、何か聞こえた?」
耳を澄ます。
「……くぅ……」
やっぱり聞こえる。
鳴き声?
「こっちかな」
声のする方向へ、ゆっくり進む。
茂みを避けながら歩いていくと、その先に少し開けた場所があった。
そして。
「……!」
そこに、一匹の小さな子狼がいた。
全身を覆うのは、雪みたいに真っ白なふわふわの毛。
胸元や頬の毛は特に長く、小さな身体なのに、まるで綿毛の塊みたいにもふもふしている。
大きな耳に、身体と同じくらいふさふさした尻尾。
そして、宝石みたいに澄んだ青紫色の瞳。
額や身体には、よく見ると淡い紫色の不思議な紋様まで浮かんでいた。
「…………」
私は思わず足を止める。
「かわ……」
危うく大声を出しかけて、慌てて口を押さえる。
かわいい。
ものすごくかわいい。
今まで見つけた子たちも可愛かったけど。
この子は、なんというか。
「反則じゃない……?」
思わず小声で呟いてしまった。
でも。
すぐに様子がおかしいことに気づく。
「……あれ?」
子狼は地面に伏せたまま、ほとんど動いていない。
呼吸も少し苦しそうに見える。
「大丈夫……?」
一歩近づく。
「うぅ……」
「あ」
弱々しいけど、確かに警戒する声だった。
私はそこで止まる。
「ごめん。怖いよね」
さっきの子と同じだ。
近づかれるのが嫌なら、無理に近づくべきじゃない。
少し離れた場所に座る。
「何もしないよ」
「…………」
子狼はこちらをじっと見ている。
私も動かず、ただ様子を見る。
「怪我してるのかな」
ぱっと見た感じ、大きな傷は見えない。
でも明らかに元気がない。
もしかして。
その時。
ぐぅぅぅ……。
「…………」
「…………」
静かな森の中に、妙に大きな音が響いた。
私は子狼を見る。
子狼は少しだけ顔を逸らした。
「お腹空いてるの?」
「……くぅん」
なんとなく。
ものすごく気まずそうに見えた。
「そういえば……」
私はメニューを開く。
「初心者用の食料もらってたよね」
《アイテム》
《初心者用携帯食×5》
「あった」
中身はパンや干し肉。
これなら食べられるかな。
私は干し肉を一つ取り出す。
「これ、食べる?」
でも、直接渡そうと近づいたら、また怖がらせるかもしれない。
だから。
少し離れたところに、そっと置く。
「ここに置いとくね」
それから、私はさらに何歩か下がった。
「取らないよ」
「…………」
子狼はしばらく動かなかった。
私を見る。
干し肉を見る。
また私を見る。
「…………」
「…………」
そして。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
身体を起こした。
「あ」
ふらつきながら、干し肉へ近づいていく。
くんくん、と匂いを嗅いで。
ぱくっ。
「食べた!」
思わず声が出た。
子狼がびくっとする。
「あ、ごめん!」
私は慌てて口を押さえる。
「ゆっくり食べてね」
子狼は少しだけこちらを警戒しながらも、干し肉を食べ続けた。
そして。
あっという間に食べ終わる。
「早っ」
そんなにお腹が空いていたのかな。
子狼が、こちらを見る。
「…………」
「…………」
なんとなく。
ものすごく物欲しそうな顔に見える。
「まだお腹空いてる?」
「くぅん」
「……もう一個いる?」
私は二個目を取り出す。
今度は最初よりも少しだけ近い場所に置いた。
子狼はすぐに近づいてきて食べる。
《初心者用携帯食×3》
「よっぽど空いてたんだね」
そして。
三個目。
《初心者用携帯食×2》
四個目。
《初心者用携帯食×1》
「……まだ食べる?」
「わふ」
「食べるんだ」
最後の一個を取り出す。
「これで最後だからね?」
子狼は尻尾を小さく揺らした。
「…………」
かわいい。
ずるい。
そんなことされたら、あげるしかない。
「はい」
最後の干し肉を置く。
《初心者用携帯食×0》
それも綺麗に食べ終わった。
「よかった」
さっきまで地面に伏せたままだった子狼は、今では自分の足で立っている。
まだ少し弱そうだけど、かなり元気になったように見える。
「ほんとによかったぁ」
私はほっと息を吐いた。
そして。
「…………」
改めて、その姿を見る。
真っ白でもふもふ。
小さくて可愛い。
ふわふわの尻尾。
柔らかそうな耳。
「……触りたい」
ものすごく触りたい。
抱きしめたい。
もふもふしたい。
頬ずりしたい。
でも。
「いやいや」
私は首を振る。
まだ怖がってるかもしれない。
ご飯を食べてくれたからといって、急に触っていいわけじゃない。
「我慢、我慢」
私は立ち上がる。
「元気になったならよかった」
「わふ?」
「じゃあね」
この子も、きっと森で暮らしている魔物なんだろう。
家族がいるかもしれない。
私が勝手に連れていくわけにもいかない。
「今度会えたら、その時はもうちょっと仲良くなれたらいいな」
そう言って、私は歩き始めた。
数歩進む。
てく。
てく。
「…………?」
後ろから音がする。
振り返る。
「…………」
白い子狼がいた。
「え?」
じっとこちらを見ている。
「どうしたの?」
「わふ」
私はもう一度歩く。
てく。
てく。
後ろからついてくる。
止まる。
子狼も止まる。
「…………」
歩く。
てくてく。
やっぱりついてくる。
「もしかして……」
私はしゃがみ込む。
「ついてきてる?」
「わふっ」
さっきより少し元気な声。
「でも、私についてきても何もないよ?」
ご飯も。
「……あ」
そういえば。
「私のご飯なくなっちゃった」
今さら気づいた。
初心者用の携帯食。
全部この子にあげてしまった。
「…………まあいっか」
町に行けば買えるってシステムさんも言っていた。
最悪、お腹が空いたら町を探せばいい。
今はそれよりも。
目の前の子狼が、まだ私を見ている。
「君、私と一緒に来たいの?」
「…………」
子狼の尻尾が。
ふりっ。
小さく揺れた。
「……ほんとに?」
ふりふり。
「…………!」
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
私は思わず笑ってしまった。
「じゃあ、一緒に――」
その時。
突然。
聞き慣れたシステム音が響いた。
『特殊条件を満たしました』
「え?」
目の前に、半透明のウィンドウが現れる。
《神狼フェンリル〈幼体〉から契約を申し込まれました》




