第29話:ユズ様
引き続きシフォン視点です
「……まず」
シフォンは両手を見える位置に出したまま、枝の上にいるゼルフィナを見上げた。
「話を、させてもらってもいい?」
上半身は人間の女性、下半身は巨大な蜘蛛。その指先から伸びる細い糸は、周囲の木々や地面へ複雑に張り巡らされている。
下手に一歩でも踏み出せばどうなるのか。
わざわざ試してみたいと思う者は、八人の中には一人もいなかった。
「目的を言え」
ゼルフィナの声は静かで冷静だったが、こちらを強く警戒していることだけははっきりと伝わってくる。
「私たちは冒険者。ずっと、この森を探索してたの」
シフォンは相手を刺激しないよう、ゆっくりと言葉を選んだ。
「今日初めてここまで来て、道とか建物とか、暮らしてる魔物たちとか……そういうのを見つけた。それで、この場所が何なのか知りたいと思ったの」
ゼルフィナは答えず、黙って話を聞いている。
「襲いに来たわけじゃないよ。ここの子たちに危害を加えるつもりもない」
「……それを信じろと?」
ゼルフィナの視線が、八人を順番に見ていく。
まず刀に手を添えているアカネ。次に、いつでも飛び出せるよう低く構えているミオ。それからハルカ、セレナへと視線を移し、最後に再びシフォンを見た。
「なら、武器から手を離せ」
「……あ?」
「アカネ」
シフォンが名前を呼ぶと、アカネは少しだけ不満そうな顔をした。
「分かったよ」
それでも素直に刀から手を離す。ミオもそれに続き、いつでも戦えるようにしていた姿勢を少しだけ戻した。
「これでいい?」
「……」
ゼルフィナはしばらく八人の様子を観察したあと、ゆっくりと枝から降りてきた。
蜘蛛の脚が地面に触れたにもかかわらず、ほとんど音はしない。
「何人で来た」
「八人」
「ここまでに、この地の魔物を殺したか」
「襲ってきた相手とは戦ったよ。でも、この辺で見た子たちには手を出してない」
「……」
「嘘はない」
ライラが小さく付け足す。
「この辺まで来てからは、向こうからも襲われてないし」
ゼルフィナは今度はライラへ視線を向けた。
「なら、今のところは敵とは見なさない」
《よかった》
《交渉成功?》
《まだ分からん》
《めっちゃ理性的》
《普通に門番じゃん》
《戦闘にならなくてよかった》
シフォンは流れていくコメントへ一瞬だけ目を向けると、すぐにゼルフィナへ視線を戻した。
「えっと、もう一つ聞いてもいい?」
「何だ」
「この場所って、誰かがまとめてるの?」
その質問に、ゼルフィナは一瞬だけ黙った。
「……私だけで判断することではない」
「え?」
シフォンが首を傾げる。
ゼルフィナはそれ以上説明せず、短く言った。
「ここで待て。ユズ様に確認する」
「…………」
「…………え?」
《ユズ様!?》
《誰!?》
《人名きた》
《様付け!?》
《この場所のトップ?》
《魔物から様付けされるって何者だよ》
《王様?》
コメント欄が一気に加速する。
そして、その反応はシフォンたちもほとんど同じだった。
「ユズ様?」
ハルカが思わず聞き返す。
「誰?」
「聞くな。今、確認してくる」
「……分かった。ここで待ってる」
シフォンがそう答えると、ゼルフィナはそれ以上何も言わず、木々の間へ消えていった。
◇
「…………」
ゼルフィナの姿が完全に見えなくなっても、しばらくの間、誰も口を開かなかった。
《おい》
《説明は!?》
《ユズ様って誰だよ》
《ここで待てって言われた》
《続き気になる》
「……うん。私たちも知りたい」
シフォンは苦笑しながらそう答えた。
しかし、そのまま配信画面へ視線を向けたところで、少し考える。
この先、どうなるのかはまだ分からない。
仮に中へ入る許可が出たとしても、そこは明らかに誰かが生活している場所だ。それを何の確認も取らずに配信しながら歩き回るのは、さすがに違うだろう。
「……ごめん」
《え?》
《何》
「一回、ここで配信切るね」
《は!?》
《ここで!?》
《やめろおおお》
《一番気になるとこじゃん》
《ユズ様の正体見せろ》
「いや、だって」
シフォンは困ったように笑う。
「この先、相手の許可なく生活してる場所の中まで全部配信するのは良くないでしょ?」
《正論》
《正論だけど!》
《分かるけど!》
《せめてユズ様だけ》
「何か分かったら、また配信つけるから。続きは楽しみに待ってて」
《絶対だぞ》
《戻ってこいよ》
《切るなあああ》
「じゃ、またあとで!」
その言葉を最後に、配信は停止した。
◇
「……静か」
配信が切れた直後、ハルカがぽつりと呟いた。
「さっきまでうるさかったからね。コメントが」
「いや、ハルカも」
「え?」
「自覚なかったんですか?」
セレナに言われて、ハルカが不満そうな声を上げる。
「ひどい!」
そのやり取りのおかげで、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩んだ。
とはいえ、彼女たちが置かれている状況は何も変わっていない。
ここは《魔の森》の中心近く。
そして目の前には、大量の魔物たちが暮らしている未知の生活圏が広がっている。
さらに、その奥には。
自分たちの知らない“誰か”がいる。
「ユズ様」
ミオが、小さくその名前を口にした。
「人間っぽい名前だよね」
ハルカが言うと、エリスが頷く。
「プレイヤー名でもNPC名でも、どちらでもあり得ます」
「たださ」
アカネが腕を組む。
「魔物から様付けされるって、相当じゃね?」
「この場所の代表者……あるいは、指導者でしょうか」
セレナの言葉に、ハルカがすぐ続ける。
「王様?」
「またそれ?」
シフォンが笑う。
「いやでもさ。蟻、蜘蛛、蜂、獣系……全部一緒に暮らして、道まで作って、畑もあって、見張りまでいるんだよ?」
ハルカは辺りを見回した。
「これ、絶対まとめてる人いるでしょ」
「それは、ほぼ確実だと思う」
エリスも同意する。
「自然発生だけで、ここまで秩序立った共同生活圏ができるとは考えにくい」
「……誰かが作った」
ミオが言う。
「この場所を?」
シフォンが聞き返すと、ミオは小さく頷いた。
「多分」
全員が少しの間、黙り込む。
本当に誰かが意図的にこの場所を作ったのだとしたら。
その人物は、いったい何者なのか。
「アメリカには無かった」
ライラが不意に言った。
「うん」
シフォンも頷く。
「Frontier Dreamの報告だと、少なくとも向こうの中心部には、こんなものは無かった」
「じゃあ、日本サーバーだけ?」
ハルカが尋ねる。
「可能性は高い」
エリスが答えた。
「サーバーごとに歴史が違うなら、何かのきっかけで日本サーバーだけ変化した、と考えることはできる」
「ってことは、イベント?」
アカネ。
「誰かが何かの条件踏んだとか?」
「それもあり得る」
「あるいは」
セレナが続ける。
「NPCや魔物たちだけで、何かが進んだ可能性もありますね」
結局、今の情報だけでは何も分からない。
ただし、一つだけ。
全員の頭に残っている名前があった。
――ユズ様。
どう考えても、その人物がこの場所の鍵を握っている。
◇
「……来た」
ライラの狼耳がぴくりと動いた。
「早いね」
シフォンが木々の奥を見る。
少しして、先ほどと同じようにほとんど音も立てず、ゼルフィナが姿を現した。
「待たせた」
「どうだった?」
「許可が出た」
「……入っていいの?」
「構わない。ただし、この地の者に危害を加えるな」
「もちろん」
「それと」
ゼルフィナは少し目を細める。
「勝手に辺りを荒らすな」
「しないよ」
「なら、ついて来い」
そう言うと、ゼルフィナは背を向けた。
「……行けるんだ」
ハルカが嬉しそうに呟く。
「ここまで来て駄目って言われたら、ちょっと泣いてた」
「泣くんですか?」
「ちょっとだけ」
「……」
ゼルフィナが振り返る。
「静かにしろ」
「はい」
ハルカが即答した。
「素直だな」
アカネが笑う。
「怖いから」
「聞こえてるぞ」
「すみません!」
その一連のやり取りを見て、シフォンは小さく笑った。
◇
そして八人は、ゼルフィナの後ろについて歩き始めた。
それまで木々の隙間から断片的にしか見えていなかった景色が、進むにつれて少しずつはっきりしていく。
最初に見えたのは、一軒の家だった。
木と石を使った簡素な造りではあるが、明らかに誰かが暮らすことを前提に建てられている。
さらにその奥にも、もう一軒。
その隣には倉庫らしき建物があり、水路や作業場もある。屋根の下には木材や石材、見慣れない道具まで整然と置かれていた。
「……普通に町じゃない?」
ハルカが呟く。
すぐには誰も答えなかった。
それくらい、目の前に広がっている景色は“町”そのものだった。
ただ一つ違うとすれば。
ここで生活している住民のほとんどが、魔物だということ。
一匹の巨大蟻が木材を運び、別の蟻が土台を整える。その隣では、さらに別の個体が石を並べている。
「……あれ、家作ってるよな」
アカネが指差した。
「うん。完全に建築作業」
エリスが答える。
少し先では、蜘蛛型魔物たちが糸を織り、束ね、出来上がった布を干していた。
その中には、小型魔物用と思われる小さな衣服も混ざっている。
「服まで作ってるんですね」
セレナが感心したように見る。
「さっきの子が着けてた布も、ここで作ったやつかな」
「多分ね」
さらに進めば、蜂たちが花や果実の間を飛び回っている。
水路沿いには薬草や若い果樹が一定間隔で植えられ、いくつもの区画に分けて管理されていた。
「……農業までしてる」
モモカの目が輝く。
「すごい」
「モモカ」
シフォンが横から覗き込む。
「食べ物見てない?」
「見てる」
「即答」
「だって、あれ絶対おいしいよ」
「まだ食べないでくださいね」
セレナ。
「食べないよ!」
「今の間が怖かったです」
「ひどい!」
そんなやり取りを、近くにいた小さな獣型魔物がじっと見ていた。
少し首を傾げる仕草に、モモカの表情が緩む。
「……かわいい」
「触らないで」
エリスが先回りする。
「まだ駄目?」
「許可取ってから」
「はい」
今度は素直に従った。
歩けば歩くほど、ここが単なる魔物の群生地ではないことが分かる。
これはもう“探索地”ではない。
誰かが生活し、働き、眠り、食事をする場所。
間違いなく、一つの生活圏だった。
◇
「……あれ」
今度はエリスが小さく声を上げた。
「何?」
シフォンが視線を追う。
「布……いや、糸」
蜘蛛たちが運んでいる大きな束。
白銀色で、淡い光沢を持つ糸だった。
「さっき遠くから見たのと同じ?」
「多分。でも、近くで見るとやっぱり……かなり質が高い」
「そんなに?」
シフォンが聞くと、エリスはさらに目を細めて観察する。
「浅瀬で取れる魔蜘蛛糸とは、たぶん別物に近い」
「へえ」
「反応軽いな」
アカネ。
「だって私、値段とか分かんないし」
「そういう問題じゃない」
エリスの声が少し真剣になる。
「これ、かなりの素材かもしれない」
その隣で、モモカも別の方向をじっと見つめていた。
「蜂蜜もいっぱいある」
棚の上。
並んでいるのは壺、壺、壺。
「……すご」
「さっきからそればっかり見てるね」
シフォンが笑う。
「だって、この量普通じゃないよ」
「味見は駄目」
エリス。
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「……」
「モモカ」
「はい」
◇
さらに奥へ進むにつれて、住民の数はどんどん増えていった。
蟻。
蜘蛛。
蜂。
小型の獣型魔物。
スライム。
他にも名前の分からない種族がいくつもいる。
姿も生態もばらばらなのに、そこに争っている様子はない。
荷物を一緒に運び、作業を手伝い、すれ違えば声や仕草で挨拶を交わしている。
「……これ、村って感じじゃないよね」
シフォンが周囲を見渡しながら言った。
「うん」
エリスも頷く。
「規模的にも、機能的にも……もう町って呼んだ方が近いと思う」
「魔物の町」
ハルカが呟く。
「すごい字面だな」
アカネが笑う。
「でも、ここからさらに広がるのであれば……」
セレナが言いかけたところで、ハルカが先に口を開いた。
「国?」
一瞬、空気が止まる。
「さすがに、そこまではどうだろ」
シフォンが苦笑する。
「いや、でもさ」
アカネは周囲を見ながら言う。
「これ、下手な村よりずっと整ってるぞ」
「国というには、まだ国家制度があるかどうかも分からない」
エリスが冷静に補足する。
「そっか」
「でも」
ミオがぽつりと言った。
「中心はいる」
「ユズ様?」
「多分」
シフォンの中で、またその名前が強く引っかかった。
「ねえ、ゼルフィナ」
「何だ」
「ここって、何て呼ぶの?」
ゼルフィナは少し考えてから答えた。
「まだ決まっていない」
「え?」
「正式な名はない」
「そっか……」
これだけの場所がありながら、まだ名前すらない。
それは少し意外だった。
「ユズ様が決めるの?」
ハルカが聞く。
「聞くな」
「はい」
また即答だった。
◇
さらに歩いていると、ゼルフィナが少しだけ速度を落とした。
「もうすぐだ」
「もうすぐ?」
シフォンが聞き返す。
「何が?」
「ユズ様が待っている」
「…………」
八人の視線が、自然と前へ向いた。
道が少しずつ開け、その先に広場が見えてくる。
木々の間を水路が流れ、いくつもの建物が並んでいる。
その中に、一人の人影があった。
「……人?」
ハルカが目を細める。
「人間」
ミオが短く答える。
「ほんとだ」
長い、淡い紫色の髪。
白とラベンダーを基調とした柔らかな雰囲気の服。
後ろ姿だけを見れば、どう見ても魔物には見えない。
「……あれ?」
シフォンが小さく声を漏らす。
「もしかして……」
ゼルフィナは、その少女へ視線を向けたまま答えた。
「ユズ様だ」
「…………」
シフォンたちは、揃って足を止めた。
魔の森の中心近く。
複数の魔物が共に暮らし、道を作り、家を建て、農作物まで育てている正体不明の町。
その中心にいる《ユズ様》。
彼女たちがここまでの道中で想像していたのは、少なくとも“普通の少女”ではなかった。
王冠を戴く魔物の王か。
強大な力を持つ高位存在か。
あるいは、この場所を支配する何者か。
けれど。
実際にそこにいたのは。
淡い紫色の長い髪を揺らす。
一人の少女だった。
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