第18話:女王蟻クロエ
「…………」
「…………」
大きな黒い蟻。
その鋭い目が、じっと私を見ている。
「おおー……」
「感心しておる場合か!」
「だって大きいよ!」
「見れば分かるわ!」
周りにも、たくさんの蟻。
右。
左。
後ろ。
いっぱい。
全部こっちを見てる。
「人気者になった気分!」
「どう見ても警戒されておる!」
「……ユズ」
「ん?」
ユキが私の袖をきゅっと掴む。
「……近づかない方がいい」
「そっか」
じゃあ、こっちから挨拶しよう。
「こんにちは!」
「…………」
「私、ユズ!」
「誰も自己紹介を求めておらぬぞ!」
「でも最初は挨拶大事だよ?」
「それはそうじゃが!」
大きな蟻の触角が、ゆっくり動く。
「…………」
私。
ユキ。
コハク。
それからシロ。
順番に確認するみたいに動いて、また私のところで止まった。
「?」
なんだろ。
「……お主」
「なに?」
コハクが少しだけ目を細める。
「おそらく」
「?」
「加護を見ておる」
「あ」
グラちゃんの?
そういえば、さっきの魔物たちも同じように私を見てた。
「…………!」
その瞬間、大きな蟻の雰囲気が変わった。
さっきまで、すごく警戒してたのに。
『……この気配』
「喋った!」
「そこか!?」
低い、落ち着いた声。
やっぱり喋れるんだ!
『古龍様の……加護?』
「うん!」
「グラちゃんの!」
『グラちゃん?』
「あ」
「古龍グランヴェルじゃ」
コハクがすぐに付け足す。
「…………」
大きな蟻が固まった。
「?」
『やはり……』
周りの蟻たちもざわざわしてる。
『古龍様から、直接加護を……?』
「うん!」
「もらった!」
『……なぜ』
「鍋?」
「違うと思うぞ!」
「でも鍋食べられなくなると困るって言ってたよ?」
「言っておったが!」
「…………」
大きな蟻。
なんか、すごく困った顔してる。
蟻だけど。
「えっと」
「家を作ってほしくて来たんだけど!」
「お主!」
「?」
「いきなり本題に入るでない!」
「でもそのために来たんだよ?」
「そうじゃが!」
大きな蟻がしばらく黙る。
そして。
『……我らだけで判断できることではない』
「そうなの?」
『女王様に、お伺いを立てる』
「女王!」
「おるじゃろうな、蟻なら」
「会えるの!?」
「お主は少し緊張というものを覚えよ……」
「だって女王だよ!」
「だからじゃ!」
なんか、すごそう!
『では』
大きな蟻が身体の向きを変える。
『ついて来られよ』
「はーい!」
『……待て』
「?」
その蟻がシロを見る。
大きくなったシロ。
『その神狼は』
「シロ?」
『その姿のままでは、巣内の通路を通れぬ』
「あ」
確かに。
シロ、大きい。
「シロ」
「わふ?」
「ちょっと小さくなろっか」
「わふ」
首輪を外す。
淡い光の中で、シロの身体がどんどん小さくなっていく。
「よし!」
いつもの、ふわふわシロ!
「可愛い!」
「わふっ!」
「今それをやるのか……」
「だって可愛いし!」
『……行くぞ』
「あ、待ってー!」
◇
「すごーい!」
巣の中。
すっごく広い。
「蟻の巣って、もっと狭いと思ってた!」
「お主が知っておる蟻と比べるな」
「でも!」
通路が大きい。
人が何人も並んで歩けそう。
壁も土だけじゃない。
石とか、木とか、いろんなものが使われている。
「ここ、全部この子たちが作ったんだよね?」
「そうじゃろうな」
「……綺麗」
ユキが壁をじっと見る。
「ほんとだね」
でこぼこしてない。
土なのに、すっごく固そう。
少し先では、何匹もの蟻が大きな石を運んでいる。
別の場所では木を削っていて、さらに奥にはいくつもの通路が続いていた。
「何があるの?」
『居住区だ』
案内してくれている蟻が答える。
「こっちは?」
『食料庫』
「あっちは?」
『資材庫』
「じゃああっちは?」
『育成区だ』
「育成?」
『卵や幼体を育てている』
「赤ちゃん!」
「お主」
「なに?」
「勝手に行くでないぞ」
「まだ何もしてないよ!」
「目が行きたそうじゃ!」
「ちょっとだけ!」
「ダメじゃ!」
「えー!」
でも、すごい。
外から見ても町みたいだったけど、中はもっと町っぽい。
「こんなの作れるなら、家なんてすぐ作れそう!」
「技術だけ見れば、確かにそうじゃな」
「でしょ!」
お願いしたら作ってくれるかな?
お鍋とかあげたら。
「お主」
「なに?」
「今、グランヴェルと同じ方法で交渉しようと考えたじゃろう」
「なんで分かったの!?」
「顔に書いてあるわ!」
「じゃあお菓子?」
「そういう話ではない!」
「……ふふ」
ユキが小さく笑う。
「ユキもそう思う?」
「……ちょっと」
「えー?」
そんな話をしながら歩いていると。
「…………」
「ん?」
なんか、さっきより慌ただしい。
蟻たちが何匹も急いで奥へ走っていく。
木材や石、土まで、いろんなものを運んでいた。
「何か作ってるのかな?」
『……いや』
案内役の蟻が、少しだけ声を低くする。
『補修だ』
「補修?」
『最近は……多い』
「?」
なんだろ。
そのままさらに奥へ進んで、やがて広い場所に出た。
「おおー!」
そこにも、いっぱい蟻がいる。
でも、その真ん中に。
一人。
「…………」
人?
黒い短めの髪。
赤い瞳。
頭には黒い触角と、小さな王冠。
黒を基調にした綺麗な服を着ていて、肩の辺りには蟻みたいな黒い甲殻がある。
その女の人が、蟻たちに次々と指示を出していた。
「第二通路の補強を優先してください」
『はい!』
「資材が不足するようなら、西側の倉庫から」
『女王様』
「なんです?」
『第四区画でも亀裂が』
「……またですか」
一瞬、眉をひそめる。
「そちらにも人員を回してください」
『ですが女王様』
「私も行きます」
『女王様まで!?』
「人手が足りないのでしょう?」
「ならば私が働けば一人増えます」
「…………」
「すごい」
「何がじゃ?」
「女王なのに、めっちゃ働いてる!」
「……聞こえております」
「え?」
女の人がこっちを見た。
「あ」
目、合った。
「こんにちは!」
「…………」
女の人が、ちょっと呆れた顔をする。
案内してくれた蟻が、その前へ進んだ。
『女王様』
『例の方々です』
「そう」
女王様なんだ!
「初めまして!」
「ユズです!」
「知っています」
「え?」
「今、名乗っているのが聞こえましたので」
「あ」
「……クロエです」
「クロエ!」
綺麗な名前!
「この群れを預かる女王です」
「女王蟻!」
「そのままじゃな」
「でもほんとに女王蟻だよ!」
「そういう意味ではない!」
「…………」
クロエが私とコハクを交互に見る。
「……賑やかな方ですね」
「よく言われる!」
「褒めておらぬと思うぞ」
「え?」
クロエが小さく息を吐く。
「それで」
赤い目が私を見る。
「古龍グランヴェル様の加護を持つ方が、我らに何の御用でしょうか?」
「家!」
「…………」
「家?」
「うん!」
「家作ってほしいの!」
「…………」
「お主!」
「ちゃんと説明する!」
えっと。
「私たち、今、魔物のみんなが安心して暮らせる場所を作ってて」
「…………」
「今日、初めて住んでくれる子たちが来たんだけど、家がなくて!」
「自分たちで作ろうとしたんだけど……」
思い出す。
一個目。
屋根が落ちた。
二個目。
入口が小さかった。
三個目。
壁が崩れた。
四個目。
屋根が斜めになった。
五個目。
シロの尻尾で壊れた。
「…………」
「全然ダメだった!」
「胸を張って言うことではないぞ」
「わふぅ……」
「シロは悪くないよ!」
「だから誰も責めておらぬ!」
「…………」
クロエが黙ってる。
「それで!」
「グラちゃんに聞いたら、この森で家作るなら蟻さんたちが一番上手って!」
「……グラちゃん」
「古龍グランヴェルじゃ」
「それは分かっています」
クロエが頭を押さえる。
「分かってるんだ」
「古龍様をその名で呼ぶ者など、他にいるとは思えませんので」
「可愛いでしょ?」
「……返答に困ります」
「えー?」
「それで」
クロエが少し考える。
「古龍様の領域に、魔物たちの住処を?」
「うん!」
「グラちゃんもいいって言ってくれたよ!」
「…………」
「しかも、グラちゃんも住んでる!」
「それは古龍様の領域なのですから当然でしょう」
「あ、そっか!」
「お主……」
クロエが少し驚いたような顔をする。
でも、すぐに難しい表情へ戻った。
「本来であれば、古龍様から認められた方からの依頼です」
「我らとしても、可能な限り力を貸すべきなのでしょう」
「ほんと!?」
「しかし」
「?」
「申し訳ありません」
クロエが頭を下げる。
「現在の我らには、他種族の住居を建てる余裕がありません」
「…………」
「そうなの?」
「はい」
「忙しいから?」
「……それもあります」
クロエが周りを見る。
さっきから、ずっと蟻たちは忙しそうだ。
「実は、少し前からこの巣の地下で異変が起きています」
「異変?」
「はい」
「さらに深い地中を、大型の地中魔物が移動するようになりました」
「大きな魔物?」
「ええ」
「そいつが地中を掘り進んだ影響で、地下水脈が変わったのです」
「地下水脈……?」
難しい顔をしてたからか、コハクが横から説明してくれる。
「簡単に言えば、地の下を流れておる水の通り道じゃ」
「なるほど!」
「それが変わって、本来なら水の来なかった場所へ流れ込むようになりました」
「それって、巣の中に?」
「はい」
「…………」
それ。
大変じゃない?
「水が入るだけなら、排水路を作ればよかったのですが」
「地盤そのものが、少しずつ崩れ始めています」
「地盤?」
「土台となる地面じゃ」
「なるほど!」
「お主はもう少し言葉を覚えよ」
「えへへ」
でも、クロエは笑っていない。
「何度も補修しました。通路も、壁も、排水路も。そのたびに造り直しました」
「ですが、別の場所が崩れる」
「直しても、また別の場所が?」
「はい」
「…………」
だから、さっきあんなに補修してたんだ。
「現在はいくつかの居住区を放棄しています」
「食料庫も一部を移しました。卵や幼体のいる育成区も、より安全な場所へ移動を進めています」
「赤ちゃんたちも?」
「はい」
「…………」
クロエが、ぐっと拳を握る。
「我らは住処を築くことには自信があります」
「この森のどの種族にも、そう簡単には負けません」
「ですが」
「地面そのものが崩れ続ける以上、補修だけでは……」
「…………」
なんか。
悔しそう。
クロエ。
きっと、いっぱい頑張ったんだ。
「じゃあ」
「?」
「引っ越せばいいんじゃない?」
「…………」
「…………」
「…………」
「お主」
「なに?」
「また簡単に言うのう」
「だって」
住めないなら、別の場所に住めばいい。
「そんなに簡単な話ではありません」
クロエが答える。
「この巣には何百という同胞がいます」
「卵も、幼体も、蓄えてきた食料も、建築資材も」
「…………」
「それら全てを、安全に運び出さなければなりません」
「じゃあ」
「私のところ来る?」
「…………」
「…………」
クロエが私を見る。
「……今、なんと?」
「私たちのところ!」
「いっぱい土地あるよ!」
「川もあるし!」
「食べ物も!」
「……今はそんなにないけど!」
「正直じゃのう」
「でも森いっぱいあるし!」
「グラちゃんいるから安全だし!」
「みんな来ても大丈夫!」
「…………」
クロエが完全に止まった。
「何百匹いても?」
「うん!」
「卵や幼体も?」
「もちろん!」
「資材を運び込んでも?」
「いいよ!」
「…………」
「ユズ」
「ん?」
ユキが、ちょっと心配そうに私を見る。
「……即決」
「でも土地いっぱいあるよ?」
「そういう問題ではないと思うぞ」
「えー?」
クロエは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「……あなたは、本当に不思議な方ですね」
「そう?」
「褒められておるとは限らぬぞ」
「え?」
「…………」
クロエが何か言おうとした。
その時。
ズズズズズズズズ――。
「え?」
地面が揺れた。
「っ!」
クロエの顔が変わる。
「なに!?」
「……またか!」
周りの蟻たちが一斉に動き始める。
『女王様!』
一匹の蟻が、ものすごい勢いでこちらへ走ってきた。
「どうしました!」
『第三通路が崩落! 水が流入しています!』
「第三通路……」
クロエの顔が青ざめる。
「育成区は!?」
『それが……!』
『第二育成区への通路が塞がれました!』
「…………!」
『まだ、卵と幼体が残っています!』
「…………」
クロエが走り出す。
「待って!」
「ユズ!」
私も追いかける。
「来てはいけません!」
「なんで!?」
「危険です!」
「でも!」
私はクロエを見る。
「困ってるんでしょ!?」
「…………」
「だったら、手伝う!」
「……お主ならそう言うと思ったぞ」
コハクも追いついてくる。
「……私も」
ユキも。
「わふっ!」
シロも。
みんな一緒。
「…………」
クロエが私たちを見る。
ほんの少し迷って。
「……分かりました」
「ですが、私の指示には必ず従ってください!」
「うん!」
「絶対だぞ、お主」
「分かってる!」
「その返事が一番不安じゃ!」
◇
奥へ走る。
どんどん巣の深いところへ。
「こっちです!」
「うん!」
少しずつ、音が大きくなっていく。
水の音。
崩れる土。
蟻たちの声。
『急いで!』
『資材をこちらへ!』
そして、曲がり角を抜けた瞬間。
「…………!」
通路が半分崩れている。
その向こうから、水がどんどん流れてきていた。
「すごい……」
「ユズ!」
「あ、ごめん!」
クロエが崩れた通路を見る。
「向こうに、卵と幼体が残っています!」
「迂回路は!?」
『ありません!』
『掘り直すには時間が……!』
「…………」
どうしよう。
その時。
「……待って」
ユキの猫耳がぴくっと動く。
「ユキ?」
「…………」
目を閉じる。
「……いる」
「え?」
「……向こう」
崩れた土の先。
「……まだ」
ユキが目を開ける。
「生きてる」
「…………!」
クロエが息を呑む。
「どこです!?」
「……三匹」
「もっと奥に」
「……あと」
少し耳を動かして。
「……いっぱい」
「……幼い気配」
「卵と幼体です!」
「…………」
間に合う。
まだ。
間に合う!
「行こう!」
「ユズ!」
私は崩れた通路を見る。
「みんな!」
「助けよう!」
「わふっ!」
「……うん」
「仕方ないのう!」
クロエが私を見る。
「…………」
そして、強く頷いた。
「お願いします!」
こうして、家を作ってもらうために会いに来ただけだったはずの蟻さんたち。
でも、まずは。
この子たちの家を。
守らないと。




