第9話:九尾の白狐
その白狐が。
ゆっくりと。
こちらへ顔を向けた。
「…………」
大きい。
シロなんて比べものにならないくらい。
雪みたいに白い毛並み。
赤橙色の瞳。
身体には炎みたいな赤い紋様。
そして。
何より。
「…………」
九本。
ふわふわの尻尾が九本。
「もふもふ……」
「……ユズ」
隣からユキの呆れたような声。
「だって見てよ! 尻尾九本だよ!?」
「……すごく強い」
「強くても可愛いものは可愛いよ!」
「わふ……」
シロは私の前へ出て、巨大な白狐を警戒している。
ユキも同じように身構えていた。
その時。
「……ほう」
「え?」
低く。
でも、どこか上品な声が広間に響いた。
「妾を前にして、最初に出る言葉が“もふもふ”とはのう」
「…………」
「…………」
「喋った!?」
「そこに驚くのかえ……」
白狐が少し呆れたように目を細めた。
「妾はこの《白狐の迷い館》の主じゃ」
九本の尾がゆっくりと広がる。
「ここまで辿り着いたことは褒めてやろう」
「ありがとうございます!」
「……うむ」
白狐が一瞬だけ間を置いた。
「では」
広間の空気が変わる。
ぼっ。
ぼっ。
周囲に浮かんでいた狐火が大きく燃え上がった。
「最後の試練じゃ」
「わふっ!」
シロが一歩前へ。
ユキも私の前へ出る。
白狐はゆっくり立ち上がり。
「妾を打ち倒してみせよ」
「…………」
「…………」
「え?」
「……なんじゃ?」
「戦わないと駄目なの?」
「…………」
今度は白狐が固まった。
「ここは迷宮じゃぞ?」
「うん」
「妾はこの館の主」
「うん」
「ここまで来た者は、最後に妾と戦う」
「そうなの?」
「そうじゃ」
「なんで?」
「…………」
白狐が黙った。
「なんで、と言われてもじゃな……」
少し困ったように九本の尾が揺れる。
「妾はこの館を守る者」
「うん」
「この館を越えようとする者を試し」
白狐は私を真っ直ぐ見た。
「最後に妾と戦わせる」
「それが妾の役目じゃ」
「…………」
役目。
「ずっと?」
「うむ」
「ずっとここにいるの?」
「そうじゃ」
「外には出ないの?」
「出る必要はない」
「…………」
私は少し考える。
「楽しいの?」
「…………」
白狐の耳が微かに動いた。
「……何?」
「ここにずっといて」
「…………」
「誰かが来るのを待って」
「…………」
「来たら戦って」
「…………」
「いつか倒されるためにここにいるんでしょ?」
「…………」
白狐は何も言わない。
「そんなの」
なんとなく。
胸の奥が少しだけもやっとした。
「悲しすぎるよ」
「…………」
「ここにいないといけないって、誰が決めたの?」
「妾は、この館の主として――」
「それって」
私は白狐を見る。
「自分で決めたの?」
「…………」
また。
白狐は黙った。
静かな広間。
狐火が揺れている。
「だったらさ」
私は一歩前に出た。
「一緒に外へ行こう?」
「……外へ?」
「うん!」
「…………」
「外って、すっごく楽しいよ!」
まだ私も始めたばっかりだけど。
「美味しいものもたくさんあるし!」
「…………」
「町にはいろんなお店もあるし!」
「…………」
「森もあるし!」
「…………」
「知らない場所もいっぱいあるし!」
私はシロを見る。
「シロもいる!」
「わふっ!」
ユキを見る。
「ユキもいる!」
「……うん」
「みんなで一緒に行った方が絶対楽しいよ!」
「…………」
白狐がゆっくりと目を細める。
「妾は九尾の妖狐じゃぞ?」
「うん!」
「人ならば恐れるものじゃ」
「そうなの?」
「…………」
「こんなにもふもふなのに?」
「そこなのか!?」
初めて。
白狐の声が少し大きくなった。
「だって可愛いじゃん!」
「妾を見て可愛いと言う者など初めてじゃぞ!?」
「えっ、そうなの?」
「そうじゃ!」
「もったいない」
「何がじゃ!?」
ユキが小さくため息をつく。
「……ユズ」
「なに?」
「……たぶん、そういう問題じゃない」
「そうかな?」
「……うん」
白狐はしばらく私たちを見ていた。
それから。
「……くく」
「?」
「くくく……」
突然。
白狐が笑い始めた。
「どうしたの?」
「いや」
白狐は九本の尾を揺らしながら。
「面白い娘じゃと思ってのう」
「私?」
「そうじゃ」
赤橙色の瞳が少しだけ柔らかくなる。
「妾を倒そうともせず」
「…………」
「宝を寄越せとも言わず」
「…………」
「妾に外へ出ろと言う」
「だって」
私は少し首を傾げる。
「その方が楽しそうじゃない?」
「…………」
「嫌なら無理にとは言わないけど」
私は手を伸ばした。
「一緒に行こうよ」
「…………」
「ここにいなきゃいけない理由がないなら」
「…………」
「外の世界、一緒に見てみよう?」
しばらく。
白狐は動かなかった。
シロを見る。
ユキを見る。
そして。
最後に私を見る。
「…………」
やがて。
「よかろう」
「え?」
「其方について行ってやる」
「ほんと!?」
「うむ」
「やった!」
その瞬間。
目の前に見慣れた表示が現れた。
《九尾の妖狐から契約を申し込まれました》
「おお!」
「……ユズ」
「うん!」
迷う理由なんてない。
《契約を承認しますか?》
《はい》
《いいえ》
「もちろん!」
私は迷わず《はい》を選んだ。
《九尾の妖狐との契約が成立しました》
次の瞬間。
白狐との間に。
シロやユキと同じような。
不思議なつながりを感じた。
落ち着いた気持ち。
少しだけ楽しそうな気持ち。
「これからよろしくね!」
「うむ。よろしく頼むぞ」
「あ」
「なんじゃ?」
「そういえば」
私は白狐を見る。
「名前ってある?」
「名前?」
「うん」
「妾はこの館の主であり、九尾の妖狐じゃ」
「個人の名前は?」
「……ないのう」
「じゃあ!」
私はぱっと顔を上げる。
「私がつけてもいい?」
「好きにするがよい」
「うーん……」
改めて白狐を見る。
雪みたいな白い毛。
赤い炎のような模様。
そして。
とても綺麗な瞳。
「…………」
琥珀みたい。
「コハク!」
「コハク?」
「うん!」
私は白狐の目を見る。
「その綺麗な瞳にぴったりだから!」
「…………」
白狐――コハクがゆっくり瞬きをした。
「コハク……か」
少しだけ。
嬉しそうな気持ちが伝わってくる。
「うむ」
九本の尾が静かに揺れた。
「悪くない名じゃ」
「よかった!」
「これから妾はコハクと名乗ろう」
「よろしくね、コハク!」
「うむ」
「わふ!」
「……よろしく」
シロとユキも挨拶する。
「よし!」
これで。
仲間が三匹になった!
「…………」
「…………」
「あ」
そこで。
大事なことを思い出した。
「首輪!」
「……なんじゃ?」
「そうだった!」
私はシロを見る。
「シロの首輪を取りに来たんだった!」
「わふ?」
「完全に忘れておったのか?」
「ちょっとだけ!」
「…………」
コハクがなんとも言えない顔をした。
「ここにシロに似合う首輪があるって聞いたんだけど!」
「ほう」
コハクがシロを見る。
「なるほどのう」
「知ってるの?」
「おそらく」
コハクが広間の奥を見る。
「奥の宝物庫にあるものじゃろう」
「ほんと!?」
「うむ」
「やったー!」
私はシロを抱きしめる。
「首輪だよ、シロ!」
「わふっ!」
「絶対似合うからね!」
「わふ?」
まだ本人はよく分かっていないみたい。
「ついて参れ」
「はーい!」
◇
コハクに案内されて。
広間のさらに奥。
そこには小さな部屋があった。
「ここじゃ」
「おお……」
部屋の中央に。
一つの宝箱。
「宝箱!」
見るからに宝箱だ。
金色の装飾がついた大きな箱。
「開けていいの?」
「構わぬ」
「やった!」
私はすぐに宝箱へ近づく。
「開けるよ!」
「わふ!」
「……うん」
「好きにせい」
蓋に手をかける。
「せーの!」
ぱかっ。
「…………」
中に入っていたのは。
一つの首輪。
「わぁ……」
白銀色を基調にした、とても綺麗な首輪。
中央には。
淡い紫色から青色へと変わる宝石。
細かな模様も入っていて。
シロの瞳や、身体の模様とよく似ている。
「絶対似合う!!」
「わふ!?」
私は首輪を手に取る。
すると。
《神狼の首輪を取得しました》
「神狼の首輪?」
名前までシロにぴったり。
「シロ!」
「わふ?」
「つけていい?」
首輪を見せる。
「わふっ!」
嬉しそう。
「嫌じゃない?」
「わふ!」
「じゃあ、つけるね!」
私はシロの前にしゃがみ込む。
真っ白でもふもふの首元。
「うわ、やっぱり毛すごい」
「わふ?」
「首輪埋もれそう」
少し毛を分けて。
首輪を回す。
「よいしょ……」
そして。
カチッ。
留め具が閉まった。
「できた!」
「わふ!」
「やっぱり可愛い!」
白銀色。
紫色の宝石。
真っ白な毛。
「めちゃくちゃ似合ってる!」
「わふー!」
尻尾がぶんぶん揺れる。
「ユキもそう思うよね?」
「……うん。似合ってる」
「コハクは?」
「うむ。悪くない」
「でしょー!」
大満足。
「来てよかったぁ」
依頼を放り出して。
迷い館をぐるぐるして。
コハクと仲間になって。
ようやく手に入れた首輪。
「かわ――」
その時。
首輪の宝石が。
ぱあっ。
淡い光を放った。
「え?」
「わふ?」
シロも首を傾げる。
「何これ?」
「……ユズ」
「うむ?」
光が。
どんどん強くなっていく。
「シロ!?」
「わふ!?」
白銀の光がシロの身体を包んだ。
「え、ちょっと待って!」
光の中で。
シロの身体が。
大きくなっていく。
「ええっ!?」
脚が伸びる。
身体が大きくなる。
首元の毛が豪華に広がる。
尻尾も。
どんどん大きく。
ふわふわに。
「シロ!?」
さらに。
さらに。
「ちょっと待って待って!?」
光が収まる。
「…………」
そこにいたのは。
もう。
小さな子狼じゃなかった。
「…………」
私なんかよりずっと大きい。
人を背中に乗せられそうなほどの身体。
雪みたいに真っ白な長い毛。
首回りには立派な鬣みたいな毛が広がっている。
青紫色の瞳。
淡い紫色の神聖な紋様。
そして。
ものすごく大きな。
ふわふわの尻尾。
「…………」
シロが。
私を見る。
「わふ?」
「…………」
声は。
いつものシロ。
「シロ……?」
「わふっ!」
ぶんっ!
巨大な尻尾が勢いよく揺れた。
「…………」
「わふ!」
「…………」
私は。
思わず叫んだ。
「シロが大きくなったああああああっ!?」




