301話 路地裏の廃れた酒場の地下には――(マリン視点)
ガチャン。
鉄の扉が擦れる音がする。
鉄さびと何かが腐った匂いが混じった不快な空気にはもう慣れた。
この地下牢に来てどのくらい経ったのだろうか…
こんな掃きだめの様な中でも、仲が良くなった子も居た。
イリーナ。赤髪の真っすぐ前を見る女の子だった。
一緒に攫われた妹が居ない事に安堵しながらも、不安がっていたあの子は、
うちと違って、魔力が豊富で強かったから…
すぐに売られるために連れていかれた。
ジャリ。ジャリ…と鎖が擦れる音がする。
うちの隣に座っていたミリアが咳き込む。
「ゴホ…ゴホッ、ゴホッ」
ガシャリガシャリと咳き込むたびに、鎖が音を出す。
ヒュー、ヒューと浅い呼吸を繰り返すミリアを抱きしめながら背中をさする
突然鉄格子が思いっきり蹴り上げられ、
ガシャン!という大きな音が、地下牢のある空間に響き渡った。
「うるせーぞクソガキ!」
体格が熊の様な大きな男は牢の鉄格子を蹴りつけながらこちらに大声で罵声を浴びせてきた。
「ひっ!…ゴホッ、…ゴホ、ゴボッ…」
恐怖を耐えながら咳を抑えようとするけれどミリアの咳は収まらない。
身体も震え、呼吸も浅く、咳をした時変な音が出た。
薄暗い牢内でうちが見たのは、真っ赤に染まるミリアの手だった―――
また血を吐いた……この子は、もう限界が来ているんだ…。
ガン!ガン!ガン!
男は怖がる私たちをニヤニヤした目で見ながら鉄格子を蹴り続けていると、扉が大きな音を出して開き、低い声で入って来た男が叫んだ。
「おい、ガキども驚かせてんじゃねーぞ、ザング」
びくりと身体を震わせたザングと呼ばれた大男はゆっくりと入って来た威圧感のある人に、愛想笑いをしながら話しかけた。
「兄貴…」
「売り者が使いものにならなかったらお前を代わりに売るぞ?良いのか?」
その言葉にザングと呼ばれた大柄の男は声を抑えて謝罪した。
「――すんません」
「ゴホッ…ゴホ、ゴホ…」
ミリアの咳が止まらない…。うちはミリアの身体を抱きしめながら鉄格子の向こう側を睨みつける。
睨みつけた先に居る男たちはこちらを一瞥して、事もなげに言う。
「………あの娘はもう駄目だな」
男たちは踵を返すと扉に向かいながら日常会話の様に残虐な言葉を吐く。
「灰鬼様も病人は嫌うんだよ。味が落ちるってな」
ガシャン!
大きな音を立てて閉まったドアの音に、日常との分断を感じて悔しくて唇を噛んだ。
薄暗い地下牢の中で囚われたうちらの現実…
腕の中でミリアが震える。
「大丈夫?ミリア」
「ゴホッ、ゴホ、ゴボッ…ごめんなさいマリン、ごめんなさい…」
血を吐きながら薄暗い中でもわかる血の気のない顔のミリア…
そんなミリアの髪を撫でてゆっくり横に寝かせる。
彼女の胸の上に手を置いて、体内にある少ない魔力を集めながら、へたくそな笑顔を作り話しかける。
「大丈夫。少し楽にするから待ってて」
ゆっくり呼吸を安定させるように魔力をミリアに流し、うちの唯一使える呪文を唱える。
「ライトヒール」
彼女の胸元がほわりと光ってすぐに収まる。
「…はぁ、はぁ…ありがと…マリン…」
切れ切れに言葉を紡ぐその声はもう、彼女の命の灯が消えかかっている現実を、うちに突き付けてくる。
「うちがもう少し、もっと魔法の勉強真面目にしていたら……治してあげられたかもしれないのに…」
うちの言葉にミリアはゆっくり顔を横に振り、
「イリーナ姉ちゃんと…マリンが居なかったら、…ミリは、もっと早く…死んでた。
ありがと、マリン…少し寝るね……」
そう言って浅い呼吸のミリアは目を瞑る…
予感はした。もうこの子がこのまま目を開けないという未来を…
目を閉じて自分の無力さに打ちひしがれていると、奥から声がかかった。
「もうその子は無駄でしょ」
うちと同じころにここに連れてこられた釣り目な少女、ローナ。
彼女はミリアを見て、嘲る様に笑う。
「黙れ」
うちはローナを睨みつけると彼女は肩をすくめて、また笑う。
「あら、ミリアに対する態度と全く違うわね」
「黙れ」
「もうイリーナも居ないの」
笑っていた顔から、表情が消え、そして…
「その子はもう死ぬわ」
「黙れ!」
「助けなんて来ないのよ…」
そう言ったローナの声が、ほんの僅かに揺れた。
すべてを諦めたような口調で彼女は現実を容赦なく突き付ける…
「気づいてるでしょ」
そう言いながら彼女は自分の腕をがりがりと掻き始める。
彼女のその腕は人ならざる者の皮膚を纏う腕。
「人間なら助かる見込みはある。逃げる見込みだって…」
憎々しげに腕を掻きむしり、掻きむしられた皮膚には爪が喰い込み赤い血が流れる。
「でも…魔族が相手なんて、たかが小娘にどうこう出来る事なんてないのよ…」
憎々しげに自分の傷ついた腕を見てローナは笑っていた。
うちはローナの傍に歩み寄り、その手を取って、呪文を唱える。
「ライトヒール」
彼女の掻きむしられた手がゆっくり淡く光り血が止まる。
私はローナの目を見て、泣きそうになる。
彼女の左目は爬虫類の様な目玉に変わっているのだ。
「マリンは癒しの魔法が使えるから弄られなくてよかったわね」
涙がこぼれそうになりながら、うちはミリアの側に戻ろうと踵を返した。
その時だった―――
ズガァァァァーーーーン!!!
大きな音と土埃がいきなり地下に広がった。
「「キャァー!!」」
牢内に居る数人が悲鳴を上げる。
うちはすぐにミリアを背後にかばって鉄格子の向こう側を見る。
そこは上から光が差し込み埃がきらきらと光る場所になっていた。
何かが上から飛び込んできた。
ダン!と音がして、誰かが入って来たんだと気づいた。
その中から一人の少女が牢の鉄格子にしがみ付いた。
ガシャン。
音を立てながら「無事?ねぇ皆居る?」必死に声を掛けてくるその少女は見覚えのある顔だった。
「イリーナ?」
名を呼ぶと彼女は泣きそうな声で返事をくれる。
「遅くなってごめんね!もう少しで助けてあげられるから!待っていて」
イリーナの背後から二人の少年が顔を出し、こちらに話しかけてきた。
「中に何人いるのかな?」
「――7人ですわ」
皆が戸惑う中、ローナがぽつりと答えた。その返事に少年はニコリと笑い
「ありがとう。全員だね」
そう答えた瞬間――
バァーーーーン!!
またもや大きな音と共に壁に何かが激突した。
今度はすらりとした長身のエルフが獣人を連れて入って来た。
牢の前に来たと思ったらその人はこちらを見て目を丸くする。
途端に牢の鉄柵を揺らしながら、獣人をせっつき始める。
「駄狼!この牢開けて!早く!!」
「なんだ?どうした?」
「早く!早く!!あの子やばい。急がないと早く!」
その言葉を聞いて、獣人は牢を持つと鉄柵を細い枯れ木の様にぐにゃりとまげて、人が入れるようにしてしまった。
エルフは隙間から飛び込んでくると、うちが背後に庇っていたミリアの胸の上に手を置くと、何もない空間に話しかけ、
「ヴィーチェ全力で行くから補助よろしく」
そう言って魔力が目に見えるくらい可視化されるほどその手にまとわせると
「グレーター・ヒール」
呪文と共にミリアの身体が光り、渦巻いていた魔力が彼女の中に入って行った。
暫く光っていたミリアは、彼女の中に魔力がなじんだのかゆっくりと光が収縮し、それと共に落ち着いたスースーという寝息が聞こえ始めた。
その寝息を聞き、額に大量の汗を流しながら、目の前の美しいエルフは笑った。
「危なかった…良かった。間に合った」
ホッと息を吐いたエルフに、うちは震える声でその人に問いかける
「ミリアは…」
うちのその言葉に、目の前のエルフは目を細め、
きめ細かい細い指が、うちの頭を優しくなでて、
「もう大丈夫だよ」
その言葉に、我慢して我慢して押さえていた気持ちが溢れそうになって、でも我慢しようと目を瞑った時、
「もう我慢しなくていいんだよ。マリン」
そう言って、牢の中にイリーナは躊躇いなく入り込んで、うちを抱きしめた。
「もう、もう大丈夫。あいつら捕まったから。もう家に帰れるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、何かが切れた。
ずっと堪えていたものが、一気に溢れ出した。
涙も鼻水も気にせず、地下の空間に堰を切ったように泣き声が響き渡った。
そんな泣き声が満ちる牢内で――
目の前のエルフが小さく何かを呟いた。
次の瞬間、傍にいた獣人がエルフを抱き寄せ、
安心させるように頬を擦りつける。
そのどこか間の抜けた光景に、
張り詰めていたものがふっと緩んだ。
涙でぐしゃぐしゃのまま、うちは笑った。
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