81 このまま帰すのは本人の為にならないのでは?
(少し、話を遡ることになる)
迷宮で手に入るドロップ品というものは、本来であれば――
迷宮主から与えられる特別な報酬を除き、地上へ持ち帰ろうとした瞬間、霧が晴れるように、ふわりと消え失せてしまう運命にある。
掴んだはずの剣も、防具も、素材も。
境界を越えた刹那、実体を失い、跡形もなく霧散する。それが、この世界の“常識”だった。
しかし。
異世界から召喚された男、佐藤翔だけは違っていた。
彼が有していたのは、明らかに世界の法則を逸脱したチート級スキル。
――取得したアイテムを消滅させず、そのまま外界へ持ち帰る能力。
その影響は、あまりにも大きかった。
本来なら迷宮内でしか存在できないはずの品々が、確実に、確実に彼の手元へ残り続けたのだ。
結果として。
S王国の市場には、迷宮産アイテムが途切れることなく流れ込み続けた。
剣。
防具。
魔石。
希少素材。
需要を遥かに上回る供給が続けば、どうなるか。答えは単純だ。
市場は崩れる。
価格は暴落し、値崩れは連鎖し、商人たちは利益を失い、やがて――倒れた。
とはいうものの、当初は人々も「恩恵」だと思ったのだろう。
安く良い品が手に入る。生活が楽になる。誰もがそう信じた。
しかし、その楽観は長く続かなかった。
市場は急激なデフレに突入。
商業ギルドは機能不全を起こし、店は次々とシャッターを下ろす。
仕事を失った冒険者たちは街から姿を消し、活気は急速に失われていった。
そしてS王国の首都は――
まるで中身を失った器のように、重苦しい沈黙に包まれ始めていたのである。
危機感を覚えた王国が、ついに動かないはずがなかった。
彼らは決断する。
佐藤翔との――直接交渉を。
――その舞台は、S王国首都にある大型レストラン。
昼下がり、本来なら人々の笑い声と食器の音で満ちているはずの時間帯。
だがその日、店内に賑わいは一切なかった。
しん、と張り詰めた空気。
わずかな物音ですら、戦端が開かれそうな、ぴりついた緊張感。
中央の席には、黒い革ジャンを羽織り、長い髪を揺らすぽっちゃり体型の男が、どっかりと腰掛けている。
佐藤翔、その人だった。
彼の周囲を囲むように、5人の冒険者たちが立っている。
護衛か、それとも監視か。いずれにせよ、その視線は鋭く、隙がない。
彼らは異界の神を信仰する教徒であり、全員がA級冒険者に匹敵する実力者。
対するS王国騎士団は、およそ100名。
だが、その中でA級と呼べる者は、たった1名。
他はすべてB級以下。
数の上では圧倒的。
とはいうものの、力量差は歴然としていた。
それを理解しているのだろう。
騎士たちの表情は硬く、剣を握る手に汗が滲み、ほんの一歩でも踏み出せば戦闘に突入してしまいそうな、張り詰めた空気が空間を支配していた。
その緊張を切り裂くように。
騎士団の中から、位の高そうな年配の男が、ゆっくりと前へ進み出てきた。
テーブル越しに、静かでありながら重く響く声で、交渉を切り出してきたのであった。
「佐藤翔様。市場へ大量のアイテムを流す行為を、しばらく控えていただけないでしょうか」
一瞬の沈黙。
そして、佐藤翔は眉をひそめ、不満げに口を開いた。
「どういう事だ。俺は何も悪い事をしていないぞ」
確かに。
法律的に見れば、彼は何一つ違反していない。
とはいうものの。
その認識こそが、致命的な誤りだった。
佐藤翔の行動は、極めて悪質であり、自分さえ良ければ他はどうなっても構わないという危うさを孕んでいる。
前例がなく、法整備が追いついていないだけで、彼がもたらした影響は計り知れない。
すでにS王国では大量の失業者が発生し、今後は飢えに倒れる者が出てもおかしくない状況だった。
法の網をすり抜けた行為とはいえ――実態は、実質的な虐殺に近い。
老騎士は、わずかに目を伏せ、そして決断する。
「……仕方ありません。佐藤翔様を、拘束させていただきます」
その瞬間。
「俺を拘束するだと! 俺の自由は、誰のものでも無いんだぜ!」
怒号と同時に。
緊張の糸が、ぷつりと切れ、S王国騎士団は一斉に動いていく。
だが――異界の神を信仰する5人の冒険者の前では、その動きはあまりにも鈍い。
キンッ!
剣が閃き、ガンッ! と盾が弾かれる音が響く。
スローモーションのように。
振り下ろされる刃。
弾き飛ばされる剣。
膝から崩れ落ちる騎士たち。
力の差は、圧倒的だった。
次々と倒れていく騎士たちが、否応なく現実を思い知らされる。
――そして、あっという間に勝敗は決したのである。
——————
次元列車は、海の上からじりじりと照りつける太陽の下、大草原の真ん中を進んでいた。
ゆったりと、だが確かな速度で。
ゴォォ……
低く腹の底に響く独特の振動。
開け放たれた窓から吹き込む風は涼しく、草の香りをほのかに運び、さらさらと擦れ合う音が耳の奥まで心地よく染み込んでくる。
動物も虫も、昼下がりの惰眠にとろけてしまったのか。
そう思わせるほど、平和な午後だった。
そんなのどかな時間の中。
佐藤翔宛てに送った手紙をバイク便へ託してから、すでに6時間が経過していた。
車内中央には、淡い青光を纏った立体フォログラム。
彼が滞在している、約2000km離れた建物が、精密に再現されている。
衛星から届くリアルタイム映像。
ポストへ手紙が投函され、取り巻きがそれを持ち込む瞬間まで――すべて、手に取るように確認できていた。
手紙の内容は、実にシンプル。
――――
『佐藤翔様の周りにいる異界の神に仕える信者と、今すぐ縁を切ってください』
――――
とはいうものの。
あの異界教徒を、佐藤翔ごときがどうこうできるとは、正直これっぽっちも期待していなかった。
説得など失敗して当然。
効果は皆無。そんな未来は、最初から見えていたのだ。
だからこそ――
何の動きも無ければ、予定通り、この次元列車から佐藤翔を狙い撃つ。
それが、私の結論となるはずだった。
ところが。
フォログラム映像の中で、異界神の信者たちが――
ざわっ、と。
まるで蟻の巣を突かれたように、妙に慌ただしく動き始めていく。
「……もしかして、私を迎撃する準備でもしている……のだろうか」
脳裏をよぎる予感。
とはいえ、A級相当が何人いようと、月の加護を受けている私からすれば、F級と大差ない。
“人生に無駄なものは無い”とは言うものの――
私に抵抗する行為だけは、見事に無駄である。
そう、思った矢先。
運命の弓を召喚し、照準を定めようとした、その瞬間。
映像に割り込んできたのは、予想だにしなかった光景だった。
異界神の信者たちが。
せっせと荷物をまとめ。
S王国からの出国準備を、始めていたのである。
「……何が起きている? どうして出国なんて」
疑問が浮かんだ、その刹那。
頭の奥、脳髄に直接響くような声が、降ってきた。
――――――――――
神託が完了した
お告げが降りてきた
信仰心に、変更なし
――――――――――
「……なんてこった」
思わず、口から零れる。
どうやら、この瞬間をもって。
S王国の未来は、救われてしまったらしい。
とはいうものの。
神託が降りたにも関わらず、信仰心を上げられなかったのは、実に複雑な心境である。
佐藤翔本人は、相変わらず大した動きを見せない。
だが側近である異界神の信者たちは――私の存在を本気で恐れ、逃亡を選んだ。
そのおかげで、S王国は崩壊の危機を免れた、というわけだ。
「チッ……」
舌打ちが漏れる。
側近が逃げただけでシナリオが崩れるとは。
佐藤翔は、一体どれほどウンコなのか。
少しくらい根性を見せてみろ。
……いや、元の世界で苦労もなく育った者に、それを求めるのは酷なのか、なのだろうか。
とはいうものの。
信仰心が減らなかっただけ、ギリギリセーフと見なしてあげてもいい。
だが――
チートスキル持ちのボンクラを野放しにすれば、また必ず何かをやらかす。
人に認められなかった者ほど、承認欲求が満たされる快楽を覚えた瞬間、歯止めが効かなくなるものなのだ。
――しばらく、泳がせておくべきか。
そんな考えが、じわりと湧き上がってくる。
深く息を吐き、行き先変更を申し出た。
「次元列車さん。あなたの手紙のおかげで、S王国が崩壊する未来が変わり、神託が完了しましたので……もうS王国へ行く必要はありません」
「三華月様。僕の行先はS王国で変更ありません。このまま佐藤翔を放置すれば、必ずまた何かをやらかします。僕が、元の世界に帰してあげようと思います」
なるほど。
次元列車は、佐藤翔を“危険因子”と正しく認識しているらしい。
確かに、チートスキルを破壊し、元の世界へ戻すのは妥当だ。
妥当ではある、ものの。
――私としては。
異世界人である彼は、観察対象として実に興味深い。
可能なら、このまま存分に観察を続けたい。
――なら。
ここは、次元列車を。
ちょいっと、丸め込んでみようかしら。
「次元列車さん。佐藤翔のチートスキルを破壊して、駄目人間のまま元の世界に帰したら……結局、駄目人間のままではありませんか。帰す前に、何とか力になってあげる道は、ないのでしょうか」
「……まあ、それは、そうですね」
揺れた。
心が。
ちょろいな。
ふっ……
これは、思った以上に簡単に丸め込めてしまいそうだ。




