80 親愛なる友へ
車内中央に据え付けられたメインモニターには、地上世界の軌道上を周回する複数の衛星群から送られてくるリアルタイム情報が、精緻な立体ホログラムとして立ち上がっていた。
光の粒子が幾層にも重なり合い、まるでそこに“本物”が存在しているかのような錯覚を覚えるほど、情報は鮮明で、細部まで克明だ。
そのホログラムの中心に映し出されているのは、黒い革ジャンを羽織り、無理にワイルドさを演出しているものの、どうにも隠しきれていない少しふくよかな腹回りをした、長髪の青年。
佐藤翔――その名が、私の脳裏に自然と浮かぶ。
彼は今、幼い少女2人を連れ、石畳の道を歩いている。
足取りは軽く、周囲を警戒する様子も薄い。
しかし、彼の背後には、目に見えない歪みのようなものが、薄く、だが確実にまとわりついていた。異界の力の残滓……なのかもしれない。
異世界召喚の際に“チート級スキル”を獲得したと噂される男、佐藤翔。
その力をもって、彼は今まさにS王国を混乱の渦へと叩き込み、国王討伐という、取り返しのつかない一線の手前にまで踏み込もうとしている――そう報告は上がっている。
とはいうものの。
こちらとしては、すでに神託を受けている以上、彼の事情や心情を一つひとつ汲み取っている余裕などない。
混乱の芽は、早期に摘み取る。
それが、聖女としての役目であり、義務であり、そして運命なのだ。
ここからおよそ2000km。
私の仕事は、地上にいる佐藤翔を――この次元列車の上空から、確実に、寸分違わず狙い撃つだけ。
「次元列車さん。神託に従い、ここから天空へ運命の矢を撃ち放ち、S王国を混乱に陥れている元凶――佐藤翔を狙撃させてもらいます。天井を開けて下さい」
言葉が空間に落ちた、その直後だった。
車内の空気が、びり、と微細に震える。
音はない。振動もない。
しかし、静寂だけが、急に輪郭を持ち、ぎゅっと密度を増して、私の胸元にのしかかってくる。
心臓の奥が、きゅっと締め付けられる感覚。
とはいうものの、それは恐怖ではない。
私自身が覚悟を固めた、その気配が、無意識のうちに空気へと滲み出ただけなのだろう。
佐藤翔は確かに2000kmも離れている。
けれど、立体ホログラム越しに彼の姿を正確に捉え、スキル『未来視』を展開すれば、矢が放たれた後の軌跡、空気抵抗、魔力干渉、そのすべてを事前に読み取れる。
必要とあらば、放たれた後でさえ、軌道修正は可能だ。
準備は整っている。
段取りも、精度も、相性も。
私と次元列車の連携は悪くない。むしろ、良好すぎるほどだ。
――そう。
整っていた。
整っていたはずだった。
運命の矢をリロードしようとした、その瞬間。
「……三華月様」
次元列車が、まるで踏みとどまるように、あるいは一度ブレーキを踏み直すかのような、妙に慎重な声色で、口を開いてきた。
「佐藤翔を処刑することは、再考してもらえませんでしょうか」
……嫌な予感がした。
「S王国を混乱に陥れている元凶は、もしかすると佐藤翔本人ではなく、彼を操っている異界の神の信者ではないか、とも考えられます。それに、佐藤翔は『奴隷契約』によって、誰かに強制されて行動している可能性も否定できません」
淡々と、しかし妙に感情のこもった説明が続く。
「仮に強制されていなかったとしても、彼自身もまた被害者なのではないでしょうか。無理やり召喚され、この世界に連れて来られた以上、従うしかなかった面も……あったのでは」
……ややこしくなってきたな。
胸の内に、率直すぎる感想が浮かぶ。
確かに、佐藤翔に事情がある可能性は否定できない。
確認もせずに処刑するのは、不親切――そう言えなくもない。
とはいうものの、今、最も重くのしかかっているのは“時間”だ。
次元列車の速度は時速20km。
S王国に到着するまで、約4日。
その4日間で、混乱は確実に、しかも加速度的に広がっていく。
放置すれば、事態はさらに悪化するだろう。
悠長に構えている余裕など、どこにも存在しない。
だからこそ――ここから狙撃するしかない。
そう結論づけ、口を開こうとした、その刹那。
「佐藤翔は、心の弱い男なのです」
次元列車は、まるで私の思考を遮るかのように、さらに言葉を重ねてきた。
「三華月様とは、まったく異なるのです。努力もせず、ただ運だけでチート級のスキルを手に入れてしまった者は、自分が特別になった気になり、つい何かを成し遂げたいと、そう考えてしまうものなのです」
「次元列車さん」
私は、静かに、しかしはっきりと言葉を切った。
「感情移入をすれば、判断が鈍ります。それに――駄目なものは、どのような理由があろうと、駄目なのです。許されるものではありません」
「……」
次元列車は、そこで言葉を飲み込んだ。
理解できない理屈ではないのだろう。
とはいうものの、神託が最優先であるという事実は、揺らぎようがない。
佐藤翔を放置し、国王に何かあれば。
その時こそ、本当に取り返しがつかなくなる。
最悪の場合。
天井を開けなくとも、突き破って撃てばいい。
許可など、形式的なものに過ぎない――そう割り切ることも、できなくはない。
私の気配を察したのか、次元列車は、突如として感情のベクトルを変え、別方向へと暴走し始めた。
「三華月様って……全て自分が正しいと思っているのでしょう?」
「……今度は、一体、何を言い出すのですか」
「駄目な者を否定して、満足なのでしょうか。三華月様は正義なのでしょうけれど……では、僕たちは悪なのでしょうか」
声が、わずかに震えている。
「しんどいことから逃げたくなる、僕たちの気持ちなんて……何でもできる三華月様には、理解できないのでしょうね!」
……いや。
どこに怒りを向けているのだろう。
完全に話題が迷子になっている。
こんな不毛なやり取りも、佐藤翔を処刑してしまえば、一気に片付くはずなのに。
私は軽く息を整え、視線を窓の外へと移した。
太陽はすでに高く昇り、空は淡い青に染まっている。
その明るさの中に、白い月が薄く残り、静かに光を落としていた。
月の加護が強い時間は、限られている。
早めに片付けた方がいいのだろうか――そんなことを考えていると。
「三華月様、とにかくお待ちください!」
次元列車の声が、食い気味に割り込んでくる。
「僕に……どうか一度だけ、チャンスをください!」
必死さが、はっきりと伝わってくる声だった。
「次元列車さん。私は心が狭く、面倒事が嫌いで、無茶苦茶短気な聖女なのです」
淡々と、事実を告げる。
「佐藤翔を処刑すれば、悶々とした気持ちは、すっきり消え去るはずです。今の生活から、早く解放されたいとは思わないのですか」
「とにかく……僕が佐藤翔に、手紙を書きます。少しだけ、時間をください」
……手紙?
気づけば次元列車はマジックハンドを伸ばし、ぎゅい、と器用すぎる動きでペンを握ると、便箋の上をさらさらと走らせ始めていた。
あまりにも自然な動作に、思わず身を乗り出して覗き込むと…
そこに書かれていた文章は――想像の遥か斜め上をいく内容だった。
――――
親愛なる友、佐藤翔様へ。
僕は次元列車のAIで、佐藤翔様の味方です。
現在、佐藤翔様を討伐するため、史上最凶の聖女様を運んでおり、90時間後にはそちらへ到着する予定です。
どれほど最凶かと言いますと、54話で龍王となる予定だった黒龍を瞬殺した、本当にヤバい聖女なのです。
助かりたいのなら、佐藤翔様の周りにいる異界の神に仕える信者とは、今すぐ縁を切ってください。
――――
……いやいやいや。
あのクソ雑魚黒龍が“54話で龍王になる予定”は、さすがに盛りすぎだろう。
広告審査機構が存在したら、秒で停止されるレベルだ。
突っ込みどころが多すぎて、逆に眩暈がしてくる。
「次元列車さん。その『最凶な聖女』という表現を、『鬼可愛い聖女』に変えてもらえませんか」
「三華月様は確かに鬼可愛く、地上世界で最強なのかもしれません。しかしそう書くと、佐藤翔が調子に乗って『ならば、俺は鬼デブ最強だな』などと、さらに駄目な方向へ舵を切る可能性があります。ゆえに、そのご要望にはお応えできません」
……“鬼デブ最強”。
ああ、確かに言いそうだ。
妙に鮮明に想像できてしまい、腹立たしさがじわじわ込み上げてくる。
その瞬間。
視界の端を、すっと影が走った。
窓の外。
青く光る海面を滑るように、古代文明の配達用バイクが並走している。
ぶぉん、と軽やかなエンジン音。
海上を走っているにもかかわらず、振動はほとんど感じられない。
……バイクって、海上を走れるものだったのかしら。
次元列車のマジックハンドが、ひらりと手紙を差し出していく。
バイクはそれを受け取ると、ぐん、とエンジンを跳ね上げ、風を裂いて一気に加速する。
次の瞬間。
突如として開いた高速トンネルの入口へ、吸い込まれるように滑り込み――影は、瞬く間に視界から消えていった。




