52 眼鏡少女
城塞都市は、帝国領の北端――切り立つ山脈が巨大な城壁のように連なり、その行き止まりに、まるで忘れ去られたかのように築かれた境界都市である。
街の地下深くには、果てが見えぬほど広大なダンジョンが口を開けており、そこでは“レアアイテムが高確率でドロップする”という噂が、羽根を持ったかのように世界中へ広がっていった。
その結果どうなったか。
国境など紙切れ同然とばかりに、各国からトレジャーハンターが雪崩れ込み、街は昼も夜も区別なく喧騒に包まれている。酒場は常に満席、鍛冶屋は火を落とす暇もなく、路地裏では怪しげな取引が絶えない。生きる者すべてが、欲望という名の燃料で動いている都市だ。
とはいうものの――
そのダンジョン最深部が、魔界へと直結しているという事実を知る者は、この世界において私と参賢者のペンギンだけ。
私は、ペンギンが四十九と交わした“魔界へ送り返す”という約束を果たすため、馬型の機械人形に馬車を牽かせ、《エインヘルヤル》へと向かっていた。
歯車が噛み合う音を小さく響かせながら、機械人形は忠実に常歩を刻む。その速度では、到着まであと数日はかかるはずだった――もっとも、急ぎの旅でもない。
夜空には、零れ落ちそうなほどの星々が散りばめられている。
澄み切った大気の中、淡い星光が雑木林の影をくっきりと浮かび上がらせ、道は糸を引いたように真っ直ぐ森の奥へと伸びていた。
冷え切った空気が肺を刺し、吐く息は白く曇る。森に満ちる静寂は異様なほど張りつめ、カサリ、と葉が揺れただけで、周囲すべてがざわめいたように錯覚してしまう。
砂漠の都市を発ってから、すでに約30時間。
本来なら、次の都市の門影が見えていても不思議ではない時刻だ。なのに、人影はおろか、生活の匂いすら漂ってこない。音がない。気配がない。世界から切り離されたような感覚だった。
私はスキル『自己再生』の効力によって食事を必要としない。問題はない。
だが、馬車の客室にいる四十九はそうはいかない。
黒金色の手錠――奴隷契約の鎖が完全に消えるまで外せない装具――を両手首につけたまま、彼女はがちゃり、と扉を押し開け、そして、ふらりと外へ出ると、当然のように御者台へ腰を下ろし、私の隣に並んできた。
「三華月様。アタシ、空腹で、寝られない。遭難、助け求む!」
遭難、だと。
砂漠を抜け、草原を越え、一本道の森を進むだけの行程だ。迷う要素など存在しないし、私自身、方向感覚にはそれなりの自信がある。夜間も星を頼りに位置確認を――している、はずだった。
とはいうものの、ここ数時間、それを怠っていたのも事実である。
私は機械人形を止め、手綱を緩めたまま夜空を見上げると、満天の星々が、澄み切った空に眩く輝いている。その配置は、驚くほど明確だった。
ポラリス。
アダリス。
ヴェガス。
アルクトゥルス。
星をひとつ、またひとつと辿るうち、胸の奥に冷たい感覚が、すとんと落ちていく。
「あら……四十九の言う通り、本当に予定ルートから外れてしまっているわ。どうして、何が、どうしてこうなったのかしら」
「やはり、遭難、していた! アタシ、現実に突き付けられ、クリティカルダメージ負った。瀕死状態」
「まだそんな“しょっぱい”ことを言う余力があるなら、ぜんぜん大丈夫でしょう」
「アタシ、『しょっぱい』。三華月様、『ちぃっぱい』!」
……また妙な単語を持ち出してきたものだ。
以前にも、似たような暴言を浴びせられた記憶がある。あの時はその真意を聞きそびれてしまったが、今回は違う。確実に、回収させてもらうことにしよう。
再び常歩に戻った機械人形の手綱を握り、私は横目で四十九へ視線を送ると、魚の死んだような虚無の目をしているくせに、態度だけは妙に堂々としているのが腹立たしい。
「私が『ちぃっぱい』なのは否定しませんけど、四十九、あなたも同類でしょう?」
「ほぼ肯定。少し否定」
「少し否定って何です? むしろ、どう見ても……いえ、超僅差で私の方が勝っている気さえしますけど」
「超僅差で三華月様大きい、それ妄想。そしてアタシ、発育途上。未来と希望、満載」
「なるほど。“未来のあるちぃっぱい”というわけですね。聞こえは悪くないですけど!」
「全肯定」
「では私は、“未来のないちぃっぱい”という扱いとなるわけですか…」
「三華月様。元気、出す」
元気はある。あるのだが――
この底なし沼のような会話を続けていると、確実に精神が削られていく。ここらで切り上げるべきだろう。そう判断した、その瞬間だった。
闇の奥に、ふわり、と灯る光。
胸の内で、点と点が一気に繋がっていく。
――『幻影通り』。
予定ルートから外れた理由。
それはやはり、精霊たちの呼び声だったということか。
『幻影通り』は、特定の種族、あるいは交易系スキルを持つ者でなければ辿り着けない特異な街。
地上世界で重要な役目を担う精霊たち――その数、1000を超える存在――が暮らす場所であり、私は彼らを守護する使命を帯びている。
日付が変わる直前。
森の奥に、糸のように細い通りが、ゆっくりと浮かび上がってきた。
両脇には木造の家屋や店が肩を寄せ合うように並び、魔導灯の柔らかな光が石畳を昼のように照らしている。
とはいうものの、どの店も固く戸を閉ざし、人影はひとつも見当たらない。
静けさは深く、街全体が、何かに耳を澄ませて息を潜めているような空気だった。
その張りつめた空気の中で、「腹が減って死ぬ……」と念仏のように呟いていた四十九が、はっと顔を上げてきた。
そして、ぱっと立ち上がり、通りの一角を指差している。
「三華月様! 酒場、発見!! アタシ、生き残ったぞー!」
少女の張り上げる声が、夜の街路に無駄に元気よく響き渡っていく。
……はいはい。精霊に呼ばれた理由を探るより何より、まず優先すべきは四十九の空腹処理なのだろう。
通りの両脇には、きちんと手入れされた木造建築が規則正しく並んでいる。その中にひとつだけ、“酒場”と記された看板を掲げる店があった。
窓という窓からは、外へ零れ落ちるほどの灯りが煌々と溢れ、木製の扉も半開きのままだ。カラン、と微かに揺れる音が、こちらを誘っているようにも見える。
私は馬車を石畳の端へと寄せて止めると、その直後、「もう歩けない……」と、今にも溶けそうな声が背中から聞こえてきた。
「はいはい」
弱々しく呟く四十九を背負ったまま、地面へ降りると、ずしりとした重みが肩へ食い込んでくる。馬車を牽いていた機械人形は、用が済んだと理解したのか、すっと街の入口方向へ向きを変え、無言のまま常歩で戻っていった。
四十九を背負ったまま酒場へ足を踏み入れると、ぎい、と扉が鳴り、空気が変わっていく。
中にはカウンターが10席、テーブルが10ほど並んでいるものの、椅子のほとんどはひっくり返されており、完全に閉店後の気配が漂っていた。石張りの床を、眼鏡を掛けた少女が黙々とモップで磨いている。しゃっ、しゃっ、と規則正しい音だけが静かに反響している。
年齢は四十九とほぼ同じ、15歳前後だろうか。
私たちの気配に気付いた彼女は、はっと顔を上げ、そのまま満面の笑顔を浮かべてきた。
「お客様は、街の外からお越しの旅の方でしょうか?」
閉店後に突如現れた客にもかかわらず、営業スマイルは微塵も揺らがない。
普通なら、一瞬くらい困惑や警戒が滲むものだが、彼女の表情には影ひとつない。……とはいうものの、あまりにも完成されすぎていて、逆に不自然ですらある。
その瞬間だった。
ぐぅううう、と、空間を揺らすほど盛大な音が響く。
四十九のお腹だ。
眼鏡少女の瞳が、まるで光を宿したかのように、きらりと輝かせてきた。
「長旅でお腹が空いていらっしゃるのですね。残り物ではございますが、すぐにお出しできます。よろしければ、お席へどうぞ」
「感謝」
四十九は即座に合掌すると、眼鏡少女は微笑みを崩さぬまま、手際よく椅子を元に戻し、「どうぞお座りください」と淡々と案内してくれた。その動きは淀みなく、完璧で、……完璧すぎる。
15歳ほどで、このホスピタリティ。
サービス業を極めたら、間違いなく化け物級の逸材になるだろう。
……とはいうものの、その親切さが、逆に怪しい気がする。
名探偵の勘が、ひそやかに囁く。
――これは、何か裏がある。
眼鏡少女をプロファイルした結果…
直接的な暴力を好むタイプではない。なぜなら、眼鏡女子=学級委員という不文律が存在するからだ。
暴力とは最も遠い存在。――とはいえ、心理戦や静かな罠なら、いくらでも張れる。
⸻
《妄想》
眼鏡女子「残り物ですが、よろしければお召し上がりください」
四十九「わぁーい。合掌」
眼鏡女子「お茶、お替わりどうぞ」
四十九「モグモグ」
眼鏡女子「あら、お客様……どうかされました?」
四十九「ZZZZZ……」
――眼鏡が一瞬、きらりと光り、少女は静かに微笑む
《終了》
妄想は妄想として。
現実では、私と四十九の向かいに座ると、眼鏡少女はどこか冷めた表情で、次々と料理を並べ始めてきた。湯気の立つ皿、香ばしい匂い、色合いも完璧だ。
……これ、残り物というより、完全に“まかない”そのものでは?
「残り物ですが、どうぞ」
「わぁーい。合掌」
予測通りの反応である。
本当に、この女はどうでもいいところだけは、絶対に期待を裏切らない。
眼鏡少女は微笑みを保ったまま、じっと四十九を見つめ続けている。
コップが空になれば、音も立てずに水を注ぎ足す。その丁寧さは、もはや優しさを通り越して、計算された伏線のように思えてくる。
「満腹、感謝、合掌」
四十九の目が、とろん、と落ち始めていく。
やはり……睡眠薬入りだったのか。
スキル『未来視』がなくても未来を読む私、やっぱり天才だったのではないだろうか。
「疲れていらっしゃいましたね」
眼鏡少女はそう言い、そっと毛布を掛けている。――ぐるぐる巻きにして拘束するつもりなのかもしれない、などという悪戯な想像が、脳裏をかすめてくる。
「お連れ様は寝てしまいましたね。奥に従業員用の部屋がありますので、よろしければお使いください……聖女様、周囲をきょろきょろされてますが、何か気になることでも?」
「はい。口の周りに髭を生やした奴隷商人たちが、笑いながら店に乱入してくるのではないかと思っていたのですが……どうやら違うようですね」
「精霊の加護で守られているこの街には、奴隷商人は入れませんよ。ご安心ください」
「……」
そうだった。
『幻影通り』は、加護によって犯罪者が侵入できない場所だったのだ。
観察力も洞察力も兼ね備えた、鬼可愛い名探偵・私の推理が外れるなんて。
――これはもう、なんてこったー、としか言いようがないのであった。




