44 迷惑な加護
少女の足元では、ちょこまかとした動きで一羽のペンギンが佇んでおり、つい先ほど、その小さな翼から手渡された黒金色の手錠を――少女は自分の手首に、カチリと嵌めたばかりだった。金属が噛み合う乾いた音が、静けさの中でやけに大きく響いた気がする。
彼女の名は、四十九。
異界の神を狂信する者たちが、転移技法を用いて魔界から呼び寄せた存在である。今はなお、“星運”との奴隷契約に縛られ、その名の通り数奇な運命の只中に立たされている少女だった。
もっとも、彼女の心臓に絡みついていた『奴隷の鎖』は、つい先ほど『SKILL_VIRUS』によって破壊したばかりだ。完全な解放までは、あと7日。あと7日が過ぎれば、形式上も正式に星運の支配から解き放たれるはず。その時になれば、この黒金色の手錠――『プロテクトハート』も外すことが出来るだろう。
だが四十九にはもう一つ、厄介極まりない問題が残っていた。
地上を支配する神々の加護を受けられない魔界の住人は、太陽や月の光の下に存在を許されない。光とは祝福であると同時に、拒絶でもある。
つまり彼女は、全身を布で覆い隠していなければ、地上では生きていけない。ほんの一筋でも光に触れれば、その身は即座に世界から弾かれてしまう――そんな理不尽な制約を背負っていた。
なんとも不便で、なんとも残酷な話だ。
四十九を“魔界へ帰す”約束を果たすその前に、やるべきことがある。
それは太陽や月の下でも――彼女が、生きられるようにすること。
「四十九。あなたには続けて――“私の加護”を付与して差し上げましょう」
そのひと言が空気を切り裂いた瞬間、狭い路地の気配が一変していく。
ピンと、張りつめた弦を指で弾いたかのように、空気が緊張で震える。わずかな風の流れすら止まり、遠くにあったはずの雑踏の音が、急に膜を隔てた向こうへ遠のいていった。
加護とは、単に力を与えるだけの粗雑な魔術ではない。
与え手の本質が、薄く、しかし確実に滲み出し、受けた者の運命の流れそのものに干渉する繊細な術式だ。高位の聖女、あるいはビーストテイマーなど、ごく限られた存在にしか扱えない高度な技巧である。
もっとも、私にとっては日常作業の延長に過ぎないのだが。
足元で胸を張ったペンギンが、まるで講義でも始めるかのように、わざとらしく咳払いをしてから声を上げてきた。
「三華月様。加護の効果について一点、確認させていただきたいのですが……」
参賢者の一角を担う最古のAIは一拍置きつつ、慎重に言葉を選ぶように続けてきた。
「この術式によって、四十九は黒装束を脱いだとしても、地上において支障なく生活できる――そのように理解して差し支えないのでしょうか?」
「ええ。誤りありません」
「この加護が刻まれていれば、地上の環境でも呼吸ひとつ滞らないはずです。酸素濃度、気圧、霊的濁り……いずれも問題にはなりません」
「……まさしく神技」
ペンギン――もとい参賢者は、感嘆を含んだ声でそう呟き、深々と頭を下げてきた。
「地上の主神に代わり、同等の加護を授けるなど。三華月様にこそ成し得る偉業でございます」
その所作は、ずんぐりとしたペンギンの体躯からは想像しがたいほどに洗練され、まるで重騎士の礼節をそのまま写し取ったかのようだった。背筋は伸び、首の角度も完璧。なるほど、これが長き時を生きる参賢者という存在なのだろう。
確かに、加護というものは、与え手の神格や性質に強く左右される。参賢者である彼が、その理を理解しているのも当然である。
――が。
次の瞬間、空気がわずかに変わった。
ペンギンは顔を上げると、じろり、と鋭い視線を私へと向けてきたのだ。先ほどまでの敬意に満ちた眼差しとは異なり、そこには明確な警戒と疑念が滲んでいた。
「……ただ」
低く、重い声音で…
「私の記憶では“加護には副作用”があったはずです。率直に伺います。三華月様の加護を四十九に授けて、本当に問題は生じないのですか?」
副作用。
それは、加護を受けた者の性質に、与えた神の気質や運命傾向が色濃く反映される現象を指す。人格、運気、引き寄せる因果――それらが微妙に歪み、変質する可能性がある。
彼の懸念は、そこにあるのだろう。
とはいうものの、そこまで疑うなら最初から私に依頼しなければいいのに、とも思う。まあ、口には出さないが。
私がその問いを軽く聞き流していると、参賢者はじり、と一歩距離を詰めてきた。短い足で、しかし確実に。圧が増していく。
「三華月様。ご回答を願います」
「副作用のことですか? 心配はいりません。……大きな支障にはならない、はずです」
「“大きな支障はない”とは」
即座に食いついてきた。
「つまり、小さな悪影響は避けられない、ということですか」
「一般論として言えば……まあ、否定はしませんけれど」
「私は危惧しているのです」
参賢者の声が、わずかに強まる。
「四十九が、無神経な傍若無人体質になるのではないかと。三華月様、どうか包み隠さずお答えください」
……完全に取り調べだ。
私はこれでも聖女の中の聖女である。神々の中でも、比較的温厚で、慈悲深い部類に属するはずなのだが。彼は私を、いったい何だと思っているのかしら。
そう思った、その瞬間だった。
黒装束の四十九が、スッと前に出てきた。
無駄のない、洗練された動き。空気を切り裂くように腕が伸び――
ペシィンッッッ!!
乾いた破裂音が路地に弾けた。石壁に反響し、鋭く残響を引く。
四十九がペンギンへ鉄拳制裁モドキを入れたのであった。
「な、何をするのだ!」
「ペンギンの分際で三華月様に無礼」
四十九の声は低く、鋭い。
「プロテクトハート外れたら、影に沈める」
その一言に込められた怒気は、刃物のようだった。
路地の空気が、ぐぐっと圧縮されると、見えない戦気が走り、ざわりと砂埃が舞い上がっていく。音が吸い取られたかのように、空間が一瞬だけ凍りついた。
四十九は、参賢者――最古のAIを、真正面から睨みつけていた。一歩も引かない。
ペンギンは殴られた頭を押さえようとしながら、そっと私へ視線を向けてくる。その目は、実に雄弁だった。
――ほら見ろ。すでに副作用ではないのか。
はいはい。分かりました。もう言います。
「結論だけ述べます。私の加護が刻まれると――“トラブルを引き寄せる”ようになります」
「トラブル……を、引き寄せる、ですか?」
「はい。私は世界を浄化する使命がありますので。その余波が、どうしても出るのです」
「三華月様……まさかの真性トラブルメーカーでしたか」
「違います!」
即座に反論する。
「私がトラブルを起こすんじゃなく、向こうが勝手に寄ってくるだけです! 私はトラブルをメイクしてません!」
「なんと理不尽かつ大迷惑な加護なのでしょうかだ……!」
ペンギンは惚けたように、二歩、三歩と後ずさっていく。その羽毛がふるふると震えている。
本当に失礼な生き物である。
私はただ信仰を集め、世界を巡っているだけだ。その過程で厄介ごとが寄ってくるだけの話なのだが――とはいうものの、普通の人間から見れば、確かに十分迷惑なのかもしれない。
そんな中。
四十九が、苦しげに唇を噛み、ぽつりと呟いてきた。
「……アタシの方が、不幸」
小さな声。
「三華月様……元気、出して」
その一言は、不思議なほどまっすぐで。
張りつめていた空気に、ほんの僅かな温度を残していった。
……なにこの状況。
なぜ私が慰められているのだろう。別に落ち込んでいないのだが。
私は四十九の黒装束の頭に手を置き、加護付与の準備を進めていくと、術式が、静かに組み上がっていく。
すると、ペンギンが私の足元を“ペシペシ”と小突いてきた。
「三華月様。もっと……常識的な加護を、四十九へ授けることはできないのですか」
そこまで言ってくるとは……。あなた本当に家臣のつもりなのだろうか。
黒装束の奥から、四十九が私を見上げていた。声はわずかに震えているが、その瞳の奥には確かな覚悟が宿っていた。
「ペンギン……余計な口出し、するな」
そして、私へ。
「三華月様……アタシ、覚悟できてる。この加護でトラブル寄ってきても、アタシ……全部、乗り越える」
「魔界へ帰す時には“私の加護”は消しますから、安心してください」
「……アタシ、それ聞いて安心」
「そうですね。不要になったら、躊躇なく捨てればいいんです」
…………私の加護がゴミ扱いにされているのか……
私はそっと、四十九の胸元へ手を添え、スキルを発動させた。
―――――――GIVE_BLESSING
白光が弾けた。
黒装束は光に溶けるように、ふわりとほどけ、白い光の欠片となって舞い落ちていく。きらきらと、静かに。
その奥から姿を現したのは、透き通るような白い肌を持つ、年の頃15歳ほどの可憐な少女だった。
魔界の民とはいえ、その身体構造も、染色体の数も、地上の人間と変わらない。
違うのは――支配する神だけ。
さて。
それでは。
――星運の処刑を、実行させてもらうことに致しましょう。




