42 四十九
地平線から顔を出したばかりの太陽が、砂漠都市に林立する石造りの建造物群を、東側から一直線に射抜いていく。
白く乾いた壁面を舐めるように走る光は容赦なく、同時に、建物が生み出す影をくっきりと地面へ刻み込んでいった。
光と影の境界線は濃く、鋭く、そのコントラストはまるで街そのものに輪郭を与えているかのようである。
眠りについていた都市が、ゆっくりと、しかし確実に目を覚ましつつある――そんな錯覚を覚えた。
私はペンギンを胸に抱いたまま、人の気配がまだ薄い石畳の路地へと足を下ろすと、建物が密集しているせいで、朝日が届きにくいこの一帯は、影の中だけひんやりと冷たく感じる。
砂漠特有の乾ききった熱気と、夜明けの間際に残されたわずかな朝露の湿り気が混じり合い、頬を撫でるように流れていく。
ざらり、とした空気が肺に入り込む感触すら、妙に鮮明であった。
一本隣の大通りからは、子供たちが駆け回る甲高い笑い声が響いてくる。
ガラガラ……ギギ……と、行商人の馬車の車輪が石畳を噛み、軋む音も重なっている。
夜が明けて間もないというのに、この街はすでに活動を始めているのだと、否応なく理解させられた。
そして――。
つい先ほどまで、確かにそこに存在していたはずの巨大なバス。
光学迷彩に包まれたその巨体は、まるで初めから存在しなかったかのように、痕跡という痕跡を一切残さず消失していた。
キィン……と、空気が切り裂かれる音すら残らない。
ただ、“存在していたという事実だけ”を、この熱を帯び始めた砂の上に置き去りにして。
来訪の理由は、たった一つしかない。
神託に従い――星運を処刑すること。
そのためだけに、私はここへ来たのである。
腕の中のペンギンから、じんわりと体温が伝わってくる。
彼――いや、“彼ら全ての始祖”は、すでに必要な情報収集を終えているのだろうか。
小さな胸の奥で刻まれる鼓動が、「準備は整いました」と囁いているようにも思えた。
「三華月様。砂漠都市の衛生維持を任されている機械人形、オートマタたちの報告によれば――星運達は、市の中心部に位置するホテルへ宿泊している模様でございます」
穏やかで、どこか愛らしさすら感じさせる声。
とはいうものの、その一言一言には、圧縮された情報の重みが確かに宿っていた。
「助かりました。ありがとう、ペンギンさん」
「目的地まで、このペンギンめが責任をもってご案内いたします」
くい、と小さく胸を張る仕草。
子供じみた可愛らしさを感じさせる動作なのだが――その正体は、AIにおける最古にして頂点。
全情報を束ね、統率するマザーAIである。
地上において、彼以上の情報量を扱える存在は、おそらく存在しない。
とはいうものの、先ほどからその声音には、微妙な重たさが混じっているようにも感じられた。
「三華月様。四十九と思われる少女の所在のみが、現時点で確認できておりません。こおそらくスキル発動により、影の内部へ潜伏しているものと推察されます」
四十九。
星運と奴隷契約を結び、《影使い》として覚醒した少女。
索敵、あるいは暗殺――最も自然な役割は、そのいずれかであろう。
星運を処刑する前に、排除すべき障害が一つある。
私は腕の力を緩め、ペンギンをそっと足元へと降ろした。
「……ペンギンさん。気配があります。姿は見えませんけれど――すぐ近くに、確実に」
その一言だけで、ペンギンの瞳がカチリ、と鋼のような焦点を結んでいく。
状況を即座に把握し、判断し、行動へ移る。
その迅速さは、見事と評するほかなかった。
薄暗い路地のどこか。
影の底で、四十九はすでに牙を研ぎ澄まし、息を潜めて待ち構えているのだろう。
ペンギンは一歩前へ進み出ると、裾を揺らしながら、恭しく頭を垂れるその所作は、儀礼的でありながら、どこか異様なまでに優雅であった。
「三華月様。ここは《マルチロックオン》をお使いになるのが最適かと存じます」
《マルチロックオン》。
ペンギンとの戦闘の中で生み出した、新たなスキル。
複数の標的を同時に捕捉し、自動追尾まで行う。
影に潜む敵を炙り出すには、これ以上ない手段である。
「……分かりました。ペンギンさんの提案に従いましょう」
――スキル、《マルチロックオン》発動。
宣言と同時に、バチン!と空気が弾ける鋭音が走り始めていく。
路地の影へ向けて、無数の魔法陣が展開されると、銃弾のような速度で出現し、重なり合い、圧力となって影を押し潰していった。
標的捕捉。
パチパチ……とロックオン光点が瞬きながら、磁力に引き寄せられるように、一点へと集束していく。
否応なく、視線がそこへ吸い寄せられた。
――そこが、答えなのだ。
ふわり。
影が、水面のように揺らぎ、波紋を描く。
その底から、にじみ出るように少女が立ち上がってきた。
小柄な体躯。
私より頭ひとつ分、低い。
全身を黒装束で覆い、顔すら隠した徹底した秘匿姿勢。
太陽も月も拒絶する、魔界の住人と呼ぶに相応しい冷たい存在感を放っていた。
胸元で、キィ……と金属が鈍く光る。
《契約の鎖》。
星運による奴隷契約の証だ。
ペンギンは私へ短く頷き、そして少女へ向き直った。
「四十九。君がすでに捕捉されていること、理解しているだろう。われわれに従いなさい。その代わり――必ず君を魔界へ帰すと約束しよう」
魔界へ帰りたい。
その渇望が真実なら、この言葉は最大限に効く。
とはいうものの、彼女が容易く折れる相手とは思えない。
私は、思わず小さく息を飲むと…
黒装束の少女は、ほんの数秒の沈黙の後――
刹那、迷いの欠片すら見せず、こくり、と首を縦に振ってきた。
意外なのか。
それとも、必然だったのか。
その判断は、まだつかない。
静寂だけが、この世界の時を、ゆっくりと進めていたのであった。




