41 気を遣えない女
太陽から降り注ぐ白色の光線が、エメラルドグリーンの海面に触れた瞬間、ぱっと砕け散った。無数の光の粒となって跳ね返り、波のうねりに揺られながらきらきらと瞬き続けている。思わず目を細めてしまうほどの眩さで、視界の奥がじんわりと白く滲んだ。
ザァ……ザァ……と、真白な砂浜へ押し寄せては引いていく波音が、一定のリズムを刻みながら耳元を撫でてくる。その音は強すぎず、弱すぎず、時間そのものを引き延ばすように穏やかだった。
生ぬるい風が海から砂漠へ向かって吹き抜け、潮の湿り気と、乾ききった大地の匂いを混ぜ合わせながら運んでくる。その混ざり合った匂いが、ここが境界線であることを静かに主張していた。
ふと砂漠へ視線を移すと、灼けた地表がぼんやりと揺らぎ、陽炎の向こう側で、ふっと砂煙が立ち上っていた。何者かがこちらへ向かっている確かな兆しなのか。
その砂煙を生み出した張本人――つまり、バスを呼び寄せたのは、私を都市まで運ぶために行動してくれた、ペンギンである。
バスの接近に気付いた彼は、、ちらりと海へと去っていく移動都市へ視線を送った。それは「永遠の別れ」とでも言いたげな気配が滲んでいる。
そして何事もなかったかのように、ペタペタと砂を踏みしめながら、砂漠の方へ歩き出していった。
やがて、砂煙を豪快に巻き上げながら迫ってきたバスは、重たい巨体を唸らせつつ徐々に減速し、私の目の前でピタリと停止すると、シューッ、と空気が抜けるような音と共に扉が開かれた。だが、中から降りてくる者の気配はない。沈黙だけが、妙に間延びして漂う。
――勝手に乗っても、いいのだろうか。
そんな疑念を抱きつつ、一歩、前へ踏み出した。その瞬間だった。
背後から、ペタ、ペタ、と柔らかい感触が太ももの裏を叩いてきた。
振り向くと、そこにはペンギンがいた。深々と溜息を吐き、まるで“どうしようもない存在を発見してしまった”とでも言いたげな目で、じっとこちらを見上げてくる。
「ペンギンさん、どうかされたのですか」
何が不満なのか。理由は分からないものの、胸の奥に、嫌な予兆がじわりと灯る。
彼は呆れを隠す素振りすら見せず、左右に首を振ると、淡々と、しかし容赦なくダメ出しを開始してきた。
「三華月様。バスに乗車するには、約35cmの段差を登る必要があると認識されていると思いますが……私のこの足をご覧になって、何か感じるところはありませんか」
「ああ、なるほど。つまりペンギンさんのその足の長さでは、自力乗車は厳しいということですか。では、私が抱っこして差し上げましょう」
「言われてから動くのは雑用です。そして言われる前に動くのが気配りです。どれほど姿が美しかろうと、他者を気遣えない者はアウトなのです。そもそも聖女とは、周囲の心を汲み取り、皆の手本たるべき存在ではありませんか」
「なるほど。では、気が利かない聖女の私から一つ教えて差し上げますと……理想と現実は大抵乖離するものです。男達には、可愛い女子に貢ぐ習性がございます。私くらい可愛いと、男に気を遣う必要なんて微塵も必要ありません」
「やれやれ。それは机上の空論ではありませんか。実際、三華月様に男は寄ってこないのではありませんか?」
「まぁそうですね。無闇に寄ってきたら鉄拳制裁を叩き込んでおりますから」
ペンギンは、はぁ……と大げさに息を吐き、肩を落としながら左右に首を振った。その仕草全体が、“話にならない”と雄弁に語っている。
とはいうものの、抱えられるつもりではいるらしく、自分から動く気配は微塵もない。
私は小さく息を吐き、そっと背後から両腕を回して彼を抱き上げていく。
思っていた以上に軽い。重心は素直に腕の中へ収まり、ふわりとした安定感がある。
そのまま段差を越え、ステップを上がって車内へと足を進めていった。
運転席の親父とバスガイドは、揃って仮眠中の様子であった。
親父に至っては、仮眠と本眠の境界線が完全に溶けているようで、常時眠っている気さえする。
このまま永久冬眠に移行してくれた方が、世の中がほんの少し平和になるのではないか――そんな不謹慎な考えが、ふと脳裏をよぎる。
車内は快適な温度に保たれており、外の灼熱が嘘だったかのように感じられる。
乗り込んだ瞬間、AIの北冬辺が、落ち着き払った声で挨拶を投げかけてきた。
「三華月様。事情はペンギン様から聞いております。これより高速道路を利用し、砂漠の都市へ向かいます」
「よろしくお願いします」
「うむ、北冬辺。急ぎの旅ではあるが、余裕はある。我が主の身に何かあっては困る。法定速度を遵守し、安全運転を頼むぞ」
「ペンギン様。承知いたしました」
————
朝日がフロントガラス越しに差し込み、車内に淡い金色が満ちていく。
外の砂地は、細かな粒子が光を吸い込み、アプリコット色に揺らめいていた。
車内モニターには、時速200kmという数字が表示されている。とはいうものの、遠景は緩やかに流れているようにしか見えず、逆に近くをかすめる岩や標識だけが、シュッ、シュッと一瞬で過去へと溶けていく。
運転手は相変わらず眠り続けており、最前列のバスガイドが、ようやく水面から顔を出すように身を起こした。
朝日に照らされた砂漠の都市が、遠くに輪郭を現し始めた頃。
私の腕の中にいるペンギンが、静かに北冬辺へ声をかけたてきた。
「北冬辺。私の声、聞こえているか」
「はい。ペンギン様。ご用件をどうぞ」
「うむ。我々は、誰にも気付かれずに都市へ侵入したい。バスに“光学迷彩”を施せるか」
「お任せください」
そのやり取りが、ちょうど終わった瞬間だった。
これまで爆睡していたはずの運転手が、ガバッと勢いよく目を開き、跳ね起きたのである。
寝ぼけた視線で周囲を彷徨わせながらも、“光学迷彩”という単語だけには異様に敏感に反応したらしい。
「高額明細って、どないやねん!」
……惜しいにも程がある聞き間違いだった。
とはいうものの、それを正してやる価値があるかと問われれば、答えは否だろう。ペンギンも北冬辺も、完全に無視を決め込んでいる。
返答がないことに業を煮やしたのか、運転手は額に青筋を浮かべ、怒鳴り声を響かせた。
「だから!高額明細とは何のことや!!」
その叫びが何度も車内に反響する中、同時に目を覚ましたバスガイドが、慌てて彼をなだめている。
そんな、どこか間の抜けた騒動を背に、バスは静かに都市へと近づいていくのであった。




