↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラックな聖女『終わっことは仕方がないという言葉を考えた者は天才ですね』  作者: ヨシムラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
101/223

主人公になりたいモブ

浮島に取り残されていた300人の漂流者たちが、300m級の巨大旗艦ポラリスに現れた聖女――そして深真樹の言葉を耳にしてから、まだ1時間も経っていない。


地上世界へ帰す――。


その宣言がもたらしたのは、歓喜というには早すぎる、しかし絶望とは程遠い、奇妙な戸惑いだったのかもしれない。

喜ぶべきなのか。信じていいのか。それとも、疑うべきなのか。

判断を下せない感情が、表情の奥で揺れ、迷い、交錯する。だが、深真樹が語った“帰還までの道筋”を一言一言、最後まで聞き終えたとき――その迷いは、薄紙がはがれるように、静かに、しかし確かに消え去っていた。


地上へ戻るためには、海王生物を呼び寄せるクラーケンたちが跋扈する外洋を突破しなければならない。

その事実は、誰の胸にも等しく重くのしかかる。恐怖――それ以外の言葉が見つからないほど、心臓を締め付ける感覚である。

とはいうものの、その恐怖を押しのけるほどの希望も、同時に胸の奥で燃え始めていた。

深真樹の言葉は、その希望に確かな火を点け、揺らめきながらも、確実に漂流者たちの心の奥へと広がっていったのだろう。


結果として、浮島の空気は以前とは比べものにならないほど変化していた。

緊張感が消えたわけではない。むしろ張り詰めた糸は確かに存在している。だが、それ以上に士気が高まり、空気そのものに弾力が生まれていた。

50m先、沖合に停泊する旗艦ポラリスへ医療物資を取りに行くため、タグボートに乗り込もうとする漂流者たちの声も自然と弾み、甲板には「ははっ」「よし、行くぞ」と軽やかな笑い声が広がっていく。


その中心にいたのは、深真樹の“緋色の嫁”と紹介された2人の少女だった。

まだ幼さの残る顔立ちであるものの、動きには無駄がなく、指示を飛ばす声には芯がある。

必要な物資を次々と確認し、数を間違えることなく手渡していく手際は、小柄な体躯とは裏腹に、まるで熟練の指揮官のようだった。


島には、服が擦り切れ、ぼろぼろになった者も少なくない。

それでも、あちこちから明るい声が途切れることはなく、視線には確かな光が宿っている。

灰色の雲に覆われた空とは対照的に、島全体はどこか祭りの前夜のような、高揚と期待に包まれていた。


――だが。


その活気の中に、ひとつだけ、ぽつりと異質な気配が混ざっていた。


緋色。

旗艦ポラリスには乗らず、浮島に残ることを選んだ青年だ。


人々が忙しく動き回る中、彼だけは輪の外で膝を抱え、背を丸めて座り込んでいた。

その小さく縮こまった背中から漂うのは、拗ね、迷い、諦め、そして未練。

複雑に絡み合った感情の気配が、重く、湿った空気となって滲み出ている。


その背後へ、深真樹が音も立てずに近づく。

雨と海の湿った匂いが混じる中、彼女の声だけが、はっきりと空間を切り取った。


「緋色。どうして一人でここに残るのですか。理由を教えて下さい」


しとしとと降り続く雨音に溶け込むように、その声は柔らかく、穏やかだった。

とはいうものの、その奥には隠しきれない心配と温度があり、微かに震える感情が確かに伝わってくる。

だが緋色は、その気遣いを受け止める余裕すらなく、雨に煙る空の彼方をぼんやりと見つめていた。

視線は定まらず、焦点は揺れ、聞いてはいるが、意味は届かない。

そんな空虚さが、彼の周囲に重く漂っている。


周囲を見渡しても、彼に目を向ける者は深真樹以外にいなかった。

まるで「もうあの人は自分たちとは関係ない」と、集団の意識が無言の線を引いたかのようである。

つい先ほどまで「浮島のリーダーだ」と胸を張っていた姿とは似ても似つかず、今の彼は、存在そのものの輪郭が薄れた影法師のようだった。


沈黙が、じわりと広がっていく。


――その瞬間だった。


緋色が、ガシッ、と深真樹の両肩をつかむと、雨音を切り裂くように、声を張り上げてきた。


「元の世界に戻ってしまったら、俺は主人公でなくなる! モブキャラに戻ってしまうんだ! だから、地上世界へ戻れるわけがないんだよ!」


堰を切った濁流のように、押し込めていた感情と言葉が一気に溢れ出してくる。

深真樹は一瞬だけ彼を見つめ、それから静かに口を開いた。


「どういうことですか。緋色はスキル『フロート』を使って、私たちを救ったではありませんか。自信を持って下さい」


『フロート』――緋色の固有スキル。

触れている物体に継続的な浮力を与える能力であり、この浮島が長く沈まずに空に留まっていられたのも、すべて彼の力によるものだった。

とはいうものの、このスキルには明確な制約がある。

一度沈んだ物には効果が及ばず、さらに海上でしか作用しない。

つまり、地上世界ではほとんど意味を持たない能力なのだ。

もし沈没物まで引き上げられたなら、沈没船を回収し、国家規模の富を築くことも夢ではなかったかもしれない。

――だが、人の力とは、そう都合よくできていないのだろう。


緋色は宙を見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「深真樹は聖女さんと地上世界へ戻ってくれ。ここには、また別の奴らが迷い込んでくるだろうし、俺はその人たちのために、ここに残るよ」


「人の役に立ちたいという気持ちは立派です。それに、主人公でなくても、緋色は緋色です。自分らしく生きればいいじゃないですか」


深真樹の言葉は、いつも真っ直ぐだ。

飾り気はなく、それでいて、不思議なほど相手の胸に深く刺さる。

心を動かし、揺さぶり、ときに逃げ道を塞ぐ刃のようでもある。

その正論を前に、緋色は唇をぎゅっと噛みしめ、視線を床へ落としていく。

心の奥――いや、全身で「そんなこと分かってる! 出来るならとっくにやってる!」と叫んでいるのだろう。

正論は、時に人を縛る枷となる。


そして彼は、かすれるほど細い声で呟いた。


「俺が地上世界に帰ったとしても、結局、深真樹も俺から離れていくんだろう」


「……」


「みんなから頼りにされてる深真樹には、俺の気持ちなんか分かるはずもないんだ」


瞳に滲む水滴は、雨ではない。

必死に平静を装っても、崩れかけた心は隠せなかった。

説得は行き詰まり、言葉は宙を彷徨う。

とはいうものの、このまま緋色を残せば、私自身が困る。


なぜなら――。


私が誤って撃ち込んだ『SKILL_VIRUS』が、今まさに、静かに彼のスキルを蝕んでいるからだ。


『フロート』の崩壊はすでに始まっている。

長くは持たない。

このラグナロク領域で能力を失えば、浮島は即座に沈み、緋色も命を落とすこととなるだろう。それは同族殺しとして扱われ、信仰心の深刻な低下を招く。結果は、あまりにも明白だ。


だから――強制的に連れて帰るしかない。

鉄拳制裁で気絶させる以外に、手段はないのか。


そう腹を固め、一歩踏み出した瞬間――。


ぐにり。


足元の床が、不自然な粘り気を帯びて“うねった”。

黒い液体がじわじわと滲み出し、形を変えながら波紋を大きくなっていった。

床そのものが生き物のように蠢き、何かが這い出ようとする気配が、空気を重く染め、胸の奥を押し潰すような圧迫感が、湿った空気とともに広がっていく。


黒い中心が膨張し、周囲の空気が沈む。

足元から淡い神気が立ち上り、温度が僅かに変わった。

ざわり、と肌に鳥肌が走る。


次の瞬間――。


床を突き破り、片膝をつき、深く頭を垂れた人型の影が姿を現してきた。


「私は、空の支配者であるホルム神の四柱の一角を担う、イムセティという者です。三華月様が厚い雲を突き破って下さったおかげで、少し力を取り戻し、自由になることができました」


異界の天空神ホルス。

その加護を授かるはずの神――だが、イムセティが纏う神気は驚くほど弱い。

とはいうものの、それは枯れ果てたものではなく、長く封じられていた力の残滓のようでもあった。


しかし、この場に現れた理由が「礼」だけであるはずもない。

むしろ、緋色への鉄拳制裁を止めるために現れたと考える方が自然だろう。


「イムセティ。あなたを助けるために雲を突き破ったわけではありません。礼には及びません。私の前から消えて下さい」


イムセティは頭を下げたまま、動かない。

私が緋色へ近づこうとすれば、するりと進路に回り込み、静かに立ちはだかる。

――緋色を守る意思は明白だった。


神気を帯びる以上、実力は未知数。

それでも、信仰心を守るためなら、異界の神であろうと排除する。


私は右手を伸ばし、力を解放します。


運命の弓――スナイパーモード、起動。


掌の中で、全長3mを超える白銀の弓がゆっくりと形を取り、眩い光で闇を押し返していく。

空気が一変し、戦場特有の緊張が張り詰めていた。


「イムセティ。私の邪魔をしたら、あなたを排除させて頂きます」


「三華月様。緋色自身は、ここに残りたいと望んでおります。本人の意思を無視し、力ずくで連れ去る行為には賛同しかねます」


「あなたに意見は求めていません。聞くつもりもありません。ここは実力行使で対処する――そう判断させて頂きます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。