10 今日の私は乗れていない
———影使い———
S級スキル。
自身の影を変幻自在に使いこなす。
攻撃に対しては自身の影がオートで迎撃する為、攻略は難しい。
――――――
聖騎士(旧聖戦士)と、ロリ巨乳聖女(旧神官)が帝都を発つ姿を見送った後、私はそのまま彼――聖騎士が管理していた屋敷の前へと足を運んでいた。
忍者からの申し入れに応じ、美人賢者の代理として、単身で訪れているのであった。
A級冒険者は、新人冒険者の育成を目的としたギルドを設立・運営する義務を負っており、その対価として帝国から専用の屋敷が支給されていた。
敷地内に建つのは、間口の広いレンガ造りの建物。細長い窓が等間隔に並び、左右対称の美しいシンメトリーを描いている。積み重ねられた歴史が、その佇まいから自然と伝わってくる。
ほかにも、訓練用と思しき別棟や、貸し出し用の武器庫などが点在しており、ここが単なる住居ではないことを雄弁に物語っていた。
門をくぐり、建物へと続くアプローチを進んでいくと、木製の玄関扉の前で、先日パーティーを組んだ重戦士が、腕を組んで待ち構えていた。
身長は180cmほど。だが、それ以上に横方向への厚みが目を引く。鎧の上からでも分かる筋肉量は、まさに重戦士の理想形といった体躯である。
彼はすでに、私が美人賢者側の人間であることを把握していたのだろう。視線が合うと、軽く顎を引き、無駄のない会釈を返してきた。
「美人賢者の代理として参りました。先日の迷宮以来ですね」
「聖女様。お待ちしておりました。中で忍者様がお待ちです」
重戦士は、現在このギルドにおいて、忍者に次ぐ地位を持つ存在――いわば副官のような役割を担っている人物だ。
玄関ホールに足を踏み入れると、そこは吹き抜け構造になっていた。天井近くに設けられた大きな窓ガラスから陽光が降り注ぎ、広い空間全体を柔らかく照らしている。
床には大判のレンガが整然と敷き詰められ、灰色がかった塗り壁には、細かなひび割れがいくつも走っていた。それらは劣化というより、年月の重みを静かに語る刻印のように見える。
ホールには、ファミリーメンバー全28名が集結していた。
その視線が、一斉に私へと向けられる。好奇、警戒、期待、猜疑――様々な感情が入り混じった視線の束だ。
その中から、ひとり。
背の低い、黒装束の男が代表するように歩み出てきた。
どこにでもいそうな風貌。目立たず、印象にも残りにくい。例えるなら、村人A。
だが、その正体はスキル『影使い』を操る忍者。私の獲物を横取りし、信仰心低下という最悪の結果を招いた張本人である。
忍者は気さくな笑みを浮かべ、すっと手を差し出してきた。握手を求める仕草だ。
「先日は失礼しました。再び聖女さんにお会いできて光栄です」
迷宮で聖戦士を罠に嵌め、巧妙に状況を操ったあの男と、目の前の人物が同一だとは思えないほどの柔らかさ。
……とはいうものの、それはそれ。
むしろ好都合だ。
奴が有する『影使い』を破壊する好機が、想定よりもずっと早く訪れただけのこと。
そう──私は、この男のスキル『影使い』へ『SKILL_VIRUS』を撃ち込むために、ここに来たのだから。
差し出された手が、まるで重力を帯びたかのように、じわり、じわりと私の方へ引き寄せられる。
心の中でスキル発動のカウントダウンを進めていく。
あと、ほんの僅か。指先が触れる、その瞬間──
すっ、と。
二人の間へ、重戦士が割って入ってきた。
「忍者様。敵である聖女との接触はお控えください」
和みかけていた空気が、ぱん、と音を立てて弾けたかのように一変する。
張り詰める緊張。肌がひりつく。
何をしてくれる、重戦士……。
だが、同時に思う。実に、見どころのある男だと。
一方の忍者は、あまりにも不用心に見えた。
迷宮であれほど周到に罠を張り、聖戦士をギルドマスターの座から引き摺り下ろした男と、今の姿が結びつかない。
重戦士と視線がぶつかった。
その奥に、確かな敵意が宿るのを感じ取る。
ここで戦闘を始めるつもりなのか。
同族殺しは禁止されている。こちらから手を出すことはできない。
だが、向こうから仕掛けてくるならば話は別だ。
――来るなら、いつでもどうぞ。
その一瞬の静寂を破ったのは、正面に立つ忍者だった。
「聖女さん。こちらからお呼び立てしておきながら、本当に申し訳ありません」
「いえいえ。重戦士様の仰る通り、たとえ聖女であっても、オリオンでは敵対関係にありますもの。警戒されるのは当然です」
……何だろう。
思っていたよりも、ずっと礼儀正しい。
重戦士が一歩、後ろへ下がると、張り詰めていた空気が、すうっと緩んでいく。
そのまま彼の案内で会議室へ通され、忍者とは距離を置き、向かい合う形で席につくこととなった。
入口の反対側に設けられた細長い窓から、太陽光が差し込み、風に揺れるレースカーテンが、さらさらと音を立てる。
外壁一面に並ぶ大きな窓のおかげで、会議室内は驚くほど明るかった。
室内の端には、会話を聞くため、ギルドメンバー全員が入ってきている。
本来であれば来客用の応接室で行うべき話だが、全員に聞いてもらいたいという申し入れがあり、私はそれを快く受け入れた。
……そこの新人冒険者君たち。
私を見る目がエロいぞ。
話を始める前に、帝都を去った聖女から預かっていた手紙を取り出し、テーブルの上に差し出した。
ギルド脱退の意思が記された書簡だ。本来であれば本人が提出すべきものだろうが、私から申し出て、半ば強引に預かってきた経緯がある。
会議室にいる全員の視線が、その手紙へと集中してくる。
「これはメルンさんから預かった手紙です。こちらのギルドを脱退する旨が記されております。どうぞ、お受け取り下さい」
会議室内に、ざわり、と低く重たいざわめきが走った。
空気が一瞬で濁り、視線と視線がぶつかり合う。その中心で、脇に座っていた重戦士が乱暴に椅子を蹴るように押しのけると、ガタン、と木製の脚が床を擦り、鈍い音が響く。
彼はそのまま大股でこちらへ迫り、鎧の重さを主張するかのように、どす、どす、と床を踏み鳴らしてきた。
近づくや否や、彼は私の手元から手紙をひったくるようにむしり取り、封を引き裂いた。
びりり、と紙の裂ける音がやけに大きく響く。
その内容を目で追い始めた頃には、会議室のあちこちで抑えきれない私語が噴き出している。
統率も秩序もない、疑念と動揺のざわめき。――いい。とてもいい。
その喧騒の中、席を立つこともなく、わずかに眉をひそめていた忍者が、淡々と、しかし確かな声量で問いを投げてくる。
「聖女さん。メルンは今、どこにいるのか教えていただけませんか」
静まり返る気配。
私はその視線を真正面から受け止め、あらかじめ用意していた言葉を、澱みなく口にした。
「聖女は、聖騎士と共に、故郷たる教国へ戻るべく、すでに帝都を発ちました」
その瞬間、どよめきは一段、いや二段階ほど膨れ上がった。
椅子が軋み、誰かが息を呑む音がする。
思ったとおり。実に、好都合な反応だった。
そう。
私がロリ巨乳聖女からこの手紙を託された理由はひとつ。
忍者たちの均衡を崩し、不協和音を撒き散らすため。
ならば、この混乱――もっと、煽ってやらねばならないだろう。
案の定、重戦士が拳を握りしめ、怒気を露わにして声を張り上げた。
「これは本当にメルンが書いたものなのか! なぜメルンは、裏切り者ジェットと一緒に教国へ向かった! そんな話、到底信じられん!」
その剣幕に、会議室の空気がさらに張り詰める。
私はわずかに顎を上げ、静かな微笑を浮かべた。
「聖女たる私が、嘘を申し上げているとでも?」
一般の者にとって、神につかえ治癒を司る聖女は、最も崇拝される存在だ。
清廉で、清らかな容姿を持つ者の言葉は、それだけで重みを帯びる。
とはいうものの――実際の私は、信仰心を得られるのであれば、平然と偽りを口にできる。
神託の実行はすべてに優先される。それが人類への裏切りであろうと、呵責など抱かないのだ。
もっとも、聖騎士とロリ巨乳神聖女が帝都を去ったのは、紛れもない事実。
会議室の者たちは、その事実と私の言葉を、都合よく不審がってくれている。
いいぞ。その疑念、もっと膨らめ。
「メルンは、ジェットの追放劇に加担した己の行為を、深く悔いていました」
「そんな事があるはず無い!」
即座に噛みついたのは、やはり重戦士だった。
忍者は沈黙し、顎に手を当てたまま考え込んでいる。
他の面々も息を潜め、私と忍者のやり取りに耳を澄ませていた。
……思ったより、刺激が足りない。
もっと激情に駆られ、刀を抜くかと思っていたものの。
今日の私は、どうにも波に乗れていないのだろうか。
ならば――もう一段、踏み込んでやろう。
「やれやれですね。あなた達全員が、メルンを追い詰めていたのだと、よく分かりました」
その言葉が落ちた瞬間。
「聖女さんの言われる通りなら……本当に、俺がメルンを追い込んでしまっていた事になりますね」
――は?
想定と、まるで違う。
忍者は開き直るでも、誤魔化すでもなく、あまりに素直にそう言ったのだ。
怒り狂って切りかかってくる――そう踏んでいた私は、完全に拍子を外される。
副官である重戦士でさえ、戸惑いを隠せない様子だった。
なぜ、こんな展開になるのだろう。
どこで、ボタンを掛け違えたのか。
澄ました顔でこちらを見据える忍者に、確認するように問い返した。
「つまり忍者様は、自身の行いが誤りだったと、そう仰るのですか」
「はい。メルンに酷い事をしました。すいませんでした」
……あれ?
ここは謝る場面ではなく、逆上する流れではないのか。
なぜ忍者は、深々と頭を下げているのだろう。
誘導しているはずなのに、すべてが逆方向へ進んでいる。
やはり今日の私は、のれていないのかしら。
頭を下げ続ける忍者に、重戦士が慌ててフォローを入れてきた。
「忍者様は、皆の未来を案じて行動なさったのですよね」
「はい。俺は常に、皆さんのために動いています」
その姿勢は、誰に対しても驚くほど素直だ。
A級迷宮で聖戦士を陥れた時の、あの狡猾さが微塵も感じられない。
駄目だ。
完全に、私の方が迷子になっている。
忍者の思考原理が、まったく理解できていない。とはいえ、ここで引き下がるわけにはいかない。
何としても、忍者を追い詰めねばならないところのはず。
私は会話に割り込むように、少しだけ声のトーンを強めてみた。
「忍者様が、皆を思って取られた行動であっても、結果として迷惑を及ぼすこともあるのではありませんか」
「はい。俺の判断が、誤りだったかもしれません」
……まただ。
噛み合っているのか、いないのか。
分からない。心が、少しずつ削られていく。
「忍者様にお聞きします。そんなに聖騎士は、悪辣な人物だったのですか」
「はい。皆の言葉を総合して、俺はそう結論づけました」
思うようにはいかない。
ものの、それでも一つ、見えてきたことがある。
忍者のキーワードは――『みんな』だ。
その“みんな”とは、一体誰なのか。
もう少し、探る必要がある。
「忍者様は、S級スキル『影使い』の使い手であることを、なぜ聖騎士に伏せていたのですか」
「はい。俺が成り上がるためです。偉くならなきゃ、帝都を変革なんてできないでしょう」
帝都を、変革。
その言葉に、会議室の空気が微かに揺れる。
具体性のない理想論――なのか、それとも。
周囲に視線を巡らせると、会議室の端で聞き耳を立てていた初心者冒険者たちの表情も、困惑に染まっている。
よく分からない流れだが、今は話を続けるしかない。
「つまり忍者様は、偉くなるために聖戦士を抹殺なさったのですね」
「聖戦士は悪者でした。皆から、俺こそがファミリーのボスに相応しいと言われたんです」
「その“皆”の一人である聖女は、聖騎士にした仕打ちを悔いていましたよね」
忍者は、少しだけ言葉に詰まった。
「それでは……聖女さんのお言葉を踏まえると、“皆”という前提そのものが、揺らいでしまいますね」
……ああ、もう。
私のリズムが、完全に崩れている。
原因は明白だった。忍者――この男が、あまりにも素直すぎるからだ。
痛いところを突き、揺さぶり、怒らせて本音を引きずり出す。
それが本来の流れであったはずなのに、彼はどうだ。
こちらの言葉を一つ残らず肯定し、真正面から受け止め、疑いすらしない。
つまり、頭の中が――お花畑、というやつなのだろう。
こんなお花畑思考の持ち主が『S級スキル』を所持している。
危険すぎる。
とはいうものの……同時に、素敵すぎるではないですか。
忍者という存在が、ようやく分かってきた。
この男は、私に莫大な信仰心をもたらしてくれる可能性を秘めた逸材だ。
そう遠くない未来、彼はきっと大きな“やらかし”をしてくれる。
世界を揺るがす混乱を引き起こし、討伐対象として神託が降りてくる……そんな予感が、確かにある。
逸材。
しかも、逸材の中の逸材。
処刑するつもりでここへ来たはずなのに、気づけば評価が真逆になっていた。
しばらく泳がせておくべき存在だ。
いや、もうこれは無罪放免しても問題ないのではないか。
そうと分かれば、用件だけ済ませて、さっさと帰るとしよう。
そう……用件だ。
思い返せば、私がここへ来たのは、忍者に呼ばれたからだったのだ。
「ところで本日、私をお呼びになったご用件を、教えて頂けませんか」
「はい、そうでしたね。俺は『オリオン』でA級迷宮を攻略しようと思っています」
……それだけ?
そんなこと、誰でも知っている。
それがどうしたというのかしら。
……。
この沈黙は、何なのでしょう。
もしかして、今度は私が喋る番なのか。
とはいえ、何かが違う気もする。
だが困った時は――そう、オウム返しである。
「つまり忍者様は、A級迷宮を踏破なさるおつもり、ということですね」
「そうです。その通りです。さすが聖女さん、理解が早くて助かります」
はい。
言葉の意味は、理解している。
だが、あなたの“意図”と“気持ち”は、まったく理解できません。
どうしたものか。
しかし、ここは話を合わせておくべきだろう。
とりあえず――“みんな”という単語を使っておけば、だいたい正解な気がする。
「よく分かります。忍者様は、みんなの為に、世界を変革なさりたいのですよね」
「そうです。俺は、一から帝都を作り直そうと思います」
……なるほど。
変革とは、帝都を一度、完全に平地にして、最初から作り直すという意味だったのか。
迷惑の度合いが、もはや災害級を軽く超えている。
うむ。
さすがだ。
私が見込んだ男だけのことはある。
ようやく、こちらもノッてきました。
エンジンが、ぐっと音を立ててかかる。
希望という名の種に、水と肥料をたっぷり与えて、思う存分育ててやろうではないか。
「私から提案があります。一から造り直すのであれば、帝都ではなく、未開の地で国造りを始めてはいかがでしょう。それこそが、本当の意味での“最初から”になるのではありませんか」
「なるほど。一から作るのなら、何も無い場所から始めるべきですよね」
……やはり、素直だ。
話がどんどんおかしな方向へ転がっている気もするが、そんなことは些細な問題だ。
周囲でこの会話を聞いていた重戦士たちが、明らかに戸惑っている。
その表情が、実に愉快で楽しい。
やがて重戦士が耐えきれなくなったのか、ずいっと前に出て口を挟んできた。
「光太様、ちょっと待って下さい! 未開の地って……俺達を、見捨てるおつもりですか!」
「何を仰るのです。皆さんも忍者様とご一緒に、未開の地へ行けばよいではありませんか」
「違う! 俺達は、この帝都を変えてほしいんです!」
「はい。みんなの願いに応えて、僕は世界を変革します」
……ああ、本当に。
忍者は、世界にとってはクソ迷惑な存在だ。
だがそれは裏を返せば、私にとってのダイヤの原石。
磨けば磨くほど輝く、逸材中の逸材なのである。
泳がせれば泳がせるほど、世界が混乱する確率は上がる。
同時に、私に神託が降りる確率も、確実に上がっていく。
その未来を思い描き、胸が高鳴った――その瞬間。
――ずしり、と。
重く、抗いがたい感覚が、頭の奥に落ちてきた。
神託だ。
しかも、内容は――
―――――――――――――その天然忍者をなんとかしろ
……マジですか。
まだ早い。
忍者を刈り取るには、どう考えても早すぎる。
このタイミングで神託が降りてくるとは、なんということでしょう。
熟す前の果実を、泣く泣く刈り取らねばならない農家の気持ちが、今ならよく分かる。
とはいうものの、神託を拒否することは出来ない。
苦渋の決断となるが……仕方がありません。
YES MINE GOD!!
忍者を、処刑させてもらいます。
……とはいえ。
忍者は、殺すにはあまりにも惜しい人材である。
私は何か、抜け道のようなものはないのか。
助ける方法は、本当に存在しないのか。
そう考え始めていた。




