首一つで戦争を終わらせる
桶狭間の調略史的意義は、勝ち方そのものにある。
信長は今川軍を殲滅していない。討ち取ったのは義元と旗本の一部だけで、今川軍主力は無傷で撤退した。にもかかわらず、戦争は終わった。当主の首一つで、三河・遠江・駿河にまたがる今川の勢力圏全体が機能停止に陥ったのである。
なぜか。第三章で見た通り、大名権力とは国人連合の盟主にすぎない。盟主の急死は、連合各員の「保護と奉公」の契約を宙に浮かせる。
三河の松平元康は岡崎城に自立し、やがて信長と結ぶ(清洲同盟)。
遠江・駿河の国人は動揺し、数年後には武田・徳川の挟撃で今川領国は解体される。信長が学んだのは──そして以後の彼の戦争が示すのは──「敵の当主(意思決定の中枢)だけを狙えば、最小のコストで最大の政治的効果が得られる」という原理だった。
同時に信長は、この勝利を拡大しない自制も見せた。
今川領への深追いをせず、東は家康との同盟で固定し、自身は美濃攻略に専念する。桶狭間の最大の戦利品は、駿河の土地ではなく、東方の安全保障(清洲同盟)と「信長恐るべし」の評判、そして時間だった。
そしてもう一つ──信長は桶狭間を二度と繰り返さなかった。
以後の彼は、寡兵の急襲ではなく、圧倒的な兵力と経済力を「作ってから」戦う堅実な戦略家に転じる。一世一代の博打に勝った男が、その日を限りに博打をやめる。これは、勝った博打打ちには最も難しい芸当であり、偶発的な勝利は一度しかないことを、この怜悧な知恵者はよく知っていたのである。




