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戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第三部 信長と調略 第十五章 織田信長(一)──桶狭間と情報戦
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第二層と第三層──秘匿と誘導

 情報戦の第二層は、秘匿である。


 軍議で何も語らなかった信長の振る舞いは、無策の居直りではなく、最も原始的で確実な防諜だった。作戦計画が当主の頭の中にしか存在しない以上、漏れようがない。


 現に織田家からは、鳴海城主山口教継(やまぐちのりつぐ)が今川へ寝返ったばかりだったことからもわかるように、敵中に内通者を想定しなければならない戦国の軍議において、「誰にも言わない」は合理的な選択である。ただし属人的機密保持は、当主が討たれれば全軍が崩壊する賭けと裏腹であることも、記しておかねばならない。


 第三層は、認識の誘導である。


 緒戦で丸根・鷲津の両砦は陥落し、松平元康(まつだいらもとやす)(後の家康)が大高城への兵糧搬入に成功する。今川方から見れば、作戦は予定通り進捗し、織田方は各所で受け身に回っていた。義元本隊が桶狭間山で休息したのは、慢心というより、「勝ちつつある遠征軍の定常運転」だったと見るべきだろう。


 信長は善照寺砦(ぜんしょうじとりで)に兵を集結させつつ、佐々政次(さっさまさつぐ)・千秋季忠(せんしゅうすえただ)らの小部隊が今川前衛に突撃して玉砕する(命令か偶発かは議論がある)。結果としてこの犠牲は、「織田の反撃はこの程度の散発的なもの」という認識を今川本陣に植え付けた。


 そこへ豪雨が来た。


 視界と音を消す雨は、接近する織田軍の最後の天然の隠れ蓑となった。雨が上がった瞬間、信長軍は今川本陣へ突っ込んだ。長く信じられてきた「山越えの迂回奇襲」に対し、近年は『信長公記』の記述に忠実な正面強襲説が有力である。


 牛一の記述はこうだ──信長は中島砦(なかじまとりで)から出撃し、「敵は宵に兵糧を使い、夜通し働いて疲れた兵。こちらは新手である。運は天にあり。かかれ」と下知した──。


 乱戦の中で義元の旗本は崩れ、毛利新介(もうりしんすけ)が義元を討ち取った。迂回の神話を剥がすと、そこに現れるのは、情報で敵の弛緩を確信した指揮官の、計算された正面攻撃であった。

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