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戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第三部 信長と調略 第十五章 織田信長(一)──桶狭間と情報戦
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敦盛を舞う男

 永禄三年(一五六〇)五月十九日、未明の清洲(きよす)城。


 今川方が丸根(まるね)・鷲津(わしづ)の砦に攻めかかった、との注進が飛び込んだとき、織田信長の取った行動を、側近くに仕えた太田牛一(おおたぎゅういち)は後年『信長公記』にこう書き残している。


 信長は幸若舞(こうわかまい)「敦盛(あつもり)」の一節を舞った。


──人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。

  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか──。


 舞い終わると、法螺を吹け、具足をよこせ、と命じ、立ったまま湯漬け(ゆづけ)をかき込み、兜を着けるや馬に飛び乗って、城を駆け出した。


 従う者、主従わずか六騎。雑兵二百ばかりが後を追った──。


 前夜の軍議で、信長は作戦をいっさい語っていない。重臣たちは「運の末には知恵の鏡も曇るというが」と嘲笑気味に退出したと牛一は書く。


 つまり織田家の重臣たちすら、当主が翌朝どう動くのか知らなかった。二千対二万五千(今川方の号する兵力は四万五千)。誰がどう計算しても勝ち目のない朝に、当主は舞を一差し舞って、単騎同然で飛び出した──。


 実に、芝居がかった場面である。


 実際、後世の芝居はこの場面を存分に使った。だが本章は、この朝を「若き英雄の霊感」としてではなく、周到な情報戦の最終工程として読み解く。


 舞っていた男の頭の中には、この数年で組み上げた尾張の情報網と、この朝届き続ける注進の断片が、時々刻々と組み合わさっていたはずなのである。


 奇跡に見えるものを分解すること。すなわち、それが調略史の仕事である。

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