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三悪人伝説の解体から
松永久秀には、有名な紹介状がある。信長が家康に久秀を引き合わせた際、「この老人は常人にできぬことを三つした。将軍(義輝)の殺害、主家三好への叛逆、そして東大寺大仏殿の焼亡である」と語った──『常山紀談』が伝える逸話である。将軍殺し、主殺し、仏敵。戦国最大の悪人という久秀像は、この三点セットで固定された。
だが近年の研究は、三つすべてに留保を付ける。
義輝殺害(永禄の変)の主体は三好三人衆と久秀の子・久通らであり、久秀本人は現場にいなかったとみられる。三好家への「叛逆」は、主家の内紛における派閥抗争の一局面であり、単純な下剋上とは言い難い。大仏殿の焼亡は三好三人衆との市街戦の中での失火説が有力である。
つまり久秀は、「悪事の実行者」というより「悪名の引受人」だった可能性が高い。
では、なぜ悪名は久秀に集中したのか。答えを先取りすれば──久秀が、出自の卑しさから成り上がった「外様の実力者」だったからである。
悪名は、しばしば実力と身分の落差に課される税なのだ。そしてこの男の面白さは、課された悪名を、途中から自分の武器に転用した形跡があることにある。




