中世の「誓い」と、その裏側
さて、裏切りが日常化すれば、社会は約束を担保する仕組みを発達させる。中世日本が生んだ担保装置は、起請文と人質である。
起請文とは、神仏に誓って約束の遵守を宣言する文書である。実物の神文(罰文)の定型を見てみよう。中世の起請文の後段には、おおむね次のような文言が並ぶ。
「右の条々、偽り申すにおいては、梵天・帝釈・四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小神祇、別しては伊豆・箱根両所権現、三嶋大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神の御罰を、罷り蒙るべきものなり」
──この誓いに偽りあらば、天竺の神々から日本全国の神々、ことに当地の氏神と、正直の神・天神様の罰まで、残らずこの身に受けます──。神仏の名を、保険の特約のように列挙するのである。列挙が長いほど誓いは重い、とされた。
重要なのは、この文書が「破られることを前提に」発達した点だ。約束が必ず守られる社会なら、神罰の威嚇は要らない。起証文の様式が精緻化していく過程は、そのまま、約束が破られ続けた歴史の裏返しである。
そして人々は、起請文にすら抜け道を用意した。誓紙を交わした相手を討つ際には「神慮に任せる」と称して籤を引き、あるいは誓約の文言の解釈をずらし、時には「先に相手が破った」と主張するための証拠作りから始めた。調略とは、こうした誓約の網の目をかいくぐる技術でもあった。
戦国の調略を理解するには、彼らが「何でもあり」の世界に生きていたのではなく、濃密な誓約と信義の網の中で、その網の破り方とつくろい方を競っていたことを押さえる必要がある。畢竟、無法者の世界に謀略は要らない。謀略が芸になるのは、法と信義がある世界だけなのでである。




