77/168
自分の力量を以て
雪斎の時代の今川家が到達した政治思想を、一つの条文が証言している。義元が定めた分国法の追加法、『仮名目録追加』(天文二十二年〔一五五三〕)の一節である。
守護使不入──幕府が保障した治外法権の地──を廃止するにあたり、義元はその理由をこう宣言した。
「只今はをしなべて、自分の力量を以て、国の法度を申し付け、静謐する事なれば、守護の手入るまじき事、かつて有るべからず」
──今はどこの国でも、大名が自分の力量によって国の法を定め、平和を保っているのである。ならば「守護(幕府の任命)の権限が及ばない土地」など、あってよいはずがない──。
さらりと書かれているが、これは革命的な宣言である。
今川家は代々の駿河守護であり、幕府の権威の受益者だった。その今川が、「われわれの支配の根拠は、幕府の任命ではなく、自分の力量である」と、法典の中で公言したのだ。
第三章で見た「権威の換金」の時代にあって、権威の側に立つ名門が、実力主義の原理を自ら明文化する。戦国大名というものの自己認識が、ここまで明晰に言語化された史料は他にない。
そしてこの条文の背後に、京都の秩序を知り尽くした上でそれを相対化できる知性──雪斎的な頭脳──を想定することは、決して不自然ではないだろう。




