↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第十三章 今川義元と外交僧・太原雪斎
PR
76/168

三国同盟と人質回収作戦

 雪斎の外交の最高傑作が、第十章で信玄側から見た甲相駿三国同盟である。


 武田・今川・北条の三すくみを、相互婚姻の三角同盟へ転換する構想の推進役が雪斎だったと考えられている。同盟成立の舞台裏では、三家間の積年の係争(河東一乱(かとういちらん)の後始末など)を一つずつ精算する必要があり、雪斎はその実務交渉を駿河側で束ねた。


 この同盟が義元に与えたものは明確である。背後(東と北)の完全な安全。それによって初めて、今川は全力を西──三河・尾張方面──に向けられた。外交が戦略の自由度を作り、軍事はそれを消費する。この順序を、雪斎ほど明快に体現した例は少ない。


 そして冒頭の少年に関わる仕事がある。


 竹千代は今川への護送途上で織田方に奪われていた。雪斎は天文十八年(一五四九)、自ら軍を指揮して三河 安祥城(あんじょうじょう)を攻め、織田信秀の庶長子・信広(のぶひろ)を生け捕りにすると、これを竹千代との交換に持ち込んだ。


 人質を武力で「回収」し、外交カードとして使い切る──第四章で見た人質制度の運用の、教科書的な一例である。


 軍を動かして少年一人を取り返す。この投資判断の確かさは、竹千代=家康のその後の人生が、多少過剰なくらいに証明することになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。