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三国同盟と人質回収作戦
雪斎の外交の最高傑作が、第十章で信玄側から見た甲相駿三国同盟である。
武田・今川・北条の三すくみを、相互婚姻の三角同盟へ転換する構想の推進役が雪斎だったと考えられている。同盟成立の舞台裏では、三家間の積年の係争(河東一乱の後始末など)を一つずつ精算する必要があり、雪斎はその実務交渉を駿河側で束ねた。
この同盟が義元に与えたものは明確である。背後(東と北)の完全な安全。それによって初めて、今川は全力を西──三河・尾張方面──に向けられた。外交が戦略の自由度を作り、軍事はそれを消費する。この順序を、雪斎ほど明快に体現した例は少ない。
そして冒頭の少年に関わる仕事がある。
竹千代は今川への護送途上で織田方に奪われていた。雪斎は天文十八年(一五四九)、自ら軍を指揮して三河 安祥城を攻め、織田信秀の庶長子・信広を生け捕りにすると、これを竹千代との交換に持ち込んだ。
人質を武力で「回収」し、外交カードとして使い切る──第四章で見た人質制度の運用の、教科書的な一例である。
軍を動かして少年一人を取り返す。この投資判断の確かさは、竹千代=家康のその後の人生が、多少過剰なくらいに証明することになる。




