情報はどう流れたか──忍びだけではない
ただし、戦国の情報網を忍び中心に描くのは誤りである。実際の情報流通の主役は、もっと日常の中にいた。
第一に、商人。行商人、馬借、廻船の船頭は、国境を越える正当な理由を持つ天然の情報員である。大名たちは御用商人を通じて他国の米相場・普請・兵の動きを把握した。相場の変動そのものが軍事情報だった──兵糧の買い付けが始まれば米価が動く。米相場は、戦国最速の通信社だったのである。
第二に、宗教者。山伏・修験者は諸国の山を巡る通行の自由を持ち、勧進聖や高野聖は村々の内情に通じた。武田信玄が領内外の修験・巫女を情報網に組織したという伝えは、細部はともかく、宗教者の可動性が諜報に転用されたことを示す。
第三に、連歌師・医師・茶人。大名の座敷に上がれる文化人は、最上級の情報が集まる場に立ち会う。
第四に、被差別民や芸能民など、共同体の境界を移動しながら生きた人々。境界の人々は、境界を越える情報の運び手だった。
忍びとは、この重層的な情報生態系の中の、非合法作戦部門である。平時の情報収集は商人・宗教者の網が担い、開戦が近づくと忍びが潜入・破壊の実働に入る。調略の名人とは、この生態系全体を設計・運用できる者のことだった。
防御の技術もまた並走してあった。
夜間の合言葉の設定と定期変更。
陣中での誰何規定。
城下の宿改めと他国者の登録。
犬の飼育(犬は夜の侵入者への最良のセンサーである。忍者の最大の天敵が犬だったという身も蓋もない事実は、あらゆる忍者映画が黙殺している)。
鳴子や砂利敷きによる音の警報。
そして「草」を刈る「草」──敵の潜伏者を狩る対忍び部隊のことである。冒頭に描いた闇の対峙は、国境地帯の日常でもあった。




