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戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第十章 武田信玄──甲州流の外交と内応工作
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システムとしての調略

 これまで見てきた早雲・元就・経久・道三の調略は、いずれも当主個人の頭脳に依存していた。しかし、武田信玄の新しさは、調略を属人技から組織の機能へと移し替えた点にある。


 信玄の信濃攻略は約二十年を要した長期事業だったが、その手順は驚くほど一貫している。


(一) 対象地域の国人の系図・縁戚・係争を調べ上げる。

(二) 不満分子・傍流に使者を送り、所領安堵と加増を約束して内応させる。

(三) 内応の手引きで侵攻し、抵抗する本家を潰す。

(四) 降った国人は本領を安堵し、武田軍団の先方衆(先鋒部隊)に編成する。

(五) 娘・養女の婚姻で縛る。

──この五工程が、諏訪でも、佐久でも、伊那でも、判で押したように反復される。


 諏訪攻め(天文十一年)はこの型の初出である。


 信玄は諏訪頼重(すわよりしげ)の一族・高遠頼継(たかとおよりつぐ)の領土的野心を煽って味方につけ、諏訪を挟撃した。頼重を降して甲府で自害させた後、今度は用済みとなった頼継を「諏訪の正統を守る」名分で討ち、諏訪領を丸ごと併呑する。


 さらに頼重の娘を側室に迎え、生まれた勝頼に諏訪家の名跡を継がせた。内応者を使い捨て、滅ぼした家の血と名跡は自家に取り込む──これは冷徹だが、諏訪の民と旧臣から見れば「諏訪家は武田の中に続いている」形が残る。占領統治の摩擦を名跡の継承で潤滑する、元就と同型の技術である。


 信濃経略で特筆すべきは、真田幸綱(さなだゆきつな)(幸隆)の登用であった。


 幸綱は武田の侵攻で所領を失った小県の国人だったが、信玄はこれを破格の条件で召し抱え、旧領回復を約束した。


 幸綱は上州・信州の国人網に深い人脈を持ち、難攻不落とされた砥石城(といしじょう)──村上義清(むらかみよしきよ)の拠点で、信玄自身が力攻めに失敗し「砥石崩れ」の大敗を喫した城──を、調略によってほぼ無血で落とした(天文二十年)。


 当主が力攻めで落とせなかった城を、雇われた亡命者が言葉で落としたことになる。敵地の人脈を持つ者を調略の専門家として処遇する信玄の人事は、調略を「外注可能な専門職能」として扱った最初期の例なのだ。


 真田家が以後、幸綱・昌幸(まさゆき)・信繁(のぶしげ)と三代にわたり謀略の家として名を馳せる出発点がここにあった。



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