ある閉ざされた国境
天文十年(一五四一)六月、甲斐と駿河の国境。
武田信虎はさぞや上機嫌だったに違いない。娘婿である駿河の今川義元のもとで歓待を受け、あとは甲府へ帰るのみである。
ところが、国境の河内路に差しかかった信虎の一行は、異様な光景に出会う。なんと道が、封鎖されていた。
固めているのは、他国の兵ではない。わが武田の兵である。指揮しているのは、重臣・板垣信方──嫡男晴信の傅役だった男だ。
信虎はようやく悟った。
これは謀反ではない。謀反なら、兵は自分に斬りかかってくる。兵たちはただ、道を塞いで、頭を下げている。つまりこれは、家中全体の総意による、丁重きわまる「追放」なのだ。
甲府では、二十一歳の晴信──後の信玄──が家督を継承していた。このクーデターによって血は一滴も流れなかった。そしてこの結果、信虎の身柄は娘婿の今川家が引き受け、隠居料まで整えられていた。
受け入れ先への根回し、重臣層の合意形成、実力行使は「国境を閉める」だけ──今でいう、株主総会による社長解任に近い。強権で家臣団を軋ませていた父は、こうして「円満に」排除された……。
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信玄の生涯は、この無血クーデターで始まる。そしてこの開幕が、彼の統治の性格を決めた。
重要なことは、信玄は、自分の権力が「家中の合意」の上に載っていることを、即位の瞬間から知り抜いていた君主であった、ということである。合意の上の権力は、合意の管理を要求する。武田の調略が、当主の閃きではなく組織の工程として発達した理由は、ここにあった。




