第二段階・浸透──お家騒動を燃料にする
道三(初名は規秀、後に利政)の代になると、事業は攻勢に転じる。燃料となったのは、土岐家の家督争いだった。
守護土岐政房の死後、土岐家は頼武と頼芸の兄弟が家督を争っていた。
道三は弟・頼芸に付き、大永七年(一五二七)頃までに頼武を越前へ追い、頼芸を守護の座に押し上げる。この過程で道三は、主筋の長井氏の当主を排除して長井家の実権を奪い、さらに美濃守護代の名門・斎藤氏の名跡が空くと、これを継承して「斎藤新九郎利政」と名乗った(天文七年〔一五三八〕頃)。
注目すべきは、道三が一貫して「他人の争いの当事者の一方」として力を蓄えたことである。
自分のための戦いは、常に誰かのための戦いの形をとった。頼芸のために兄を追い、頼芸のために政敵を除く──その都度、実際に強くなるのは道三自身だった。
お家騒動は、外部の介入者に「正当な参戦資格」を与える。第三章で見た亀裂の構造を、道三は内側から使ったのである。
もう一つの布石が、名跡の階段である。
西村→長井→斎藤と、道三父子はその乗っ取りのたびに、その家の由緒ある名を継いだ。名跡の継承は、実力の簒奪を家格の上昇として偽装する。
美濃の国人たちから見れば、成り上がり者が守護代になったのではなく、「斎藤家」が(中身は入れ替わっても)守護代であり続けたことになる。
形式の連続性は、実質の断絶を覆い隠す。
これは看板を残して中身を入れ替える老舗商法の、最も剣呑な応用例なのである。




