聖徳寺の会見
天文二十二年(一五五三)四月、尾張と美濃の境、富田の聖徳寺。この日、美濃の斎藤道三と、娘婿である尾張の織田信長が、初めて顔を合わせることになっていた。
道三には腹案があった。
会見に先立ち、街道沿いの小屋に潜み、やって来る婿の行列を覗き見る。相手は「尾張の大うつけ」と評判の十九歳。どれほどの阿呆か、自然な姿をこの目で確かめておきたい──。
やがて現れた信長の行列に、道三は目を疑う。うつけは評判通りだった。湯帷子の袖を外し、腰には火打袋やら瓢箪やらをじゃらじゃらと下げ、髪は茶筅に巻き立て、虎革と豹革を半々に継いだ袴。
奇装の若者が、しかし、なんと七百挺の鉄砲と、自分らが使うよりも長い、長槍五百本の整然たる隊列を従えている。
やがて会見の席。
先に着いて待つ道三の前に現れた信長は、別人だった。髪を折り目正しく結い、褐色の長袴、小刀も正式の拵え。道中の奇装は、どこの誰に見せるための芝居だったのか。
見せる相手は、小屋の中の自分だったのだと、道三は悟ったはずである。帰路、家臣の猪子兵介が「どう見ても、信長は阿呆でございましたな」と言うと、道三は苦い顔で答えた。
「されば無念なことよ。わしの息子たちは、あの阿呆の門前に馬を繋ぐ(家来になる)ことになろう」
『信長公記』が伝える、戦国で最も有名な「面接」の顛末である。
人を試す者が、より深い観察眼に試されていた。道三という男の生涯は、観察と偽装の生涯である。その彼が最晩年に見抜いた唯一の「本物」が、型破りの婿だった。
さて、この場面から、国盗りの物語を巻き戻そう。




