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経久と元就──師弟なき師弟関係
経久と元就の間には、直接の師弟関係はない。
だが元就は青年期から壮年期にかけて、尼子の勢力圏の縁で生き、尼子への従属と離反を経験し、経久の手口を「食らう側」から観察し続けた。元就の家督相続に際して尼子が異母弟擁立の動きを支援した経緯を思えば、元就にとって経久流の調略は、まず自分に向けられた脅威として学習されたはずである。
両者の手口を比べると、継承と超克の関係が見えてくる。
国人の推戴を権力基盤とする点、気前の良い分配で求心力を買う点、正面決戦より謀略と包囲を好む点は共通する。
だが元就は、経久の弱点を修正した。
分配依存の遠心構造に対しては、婚姻網と両川体制で構造的な結束を作った。一族の力の偏在に対しては、三子教訓状で「割れない設計」を明文化した。尼子家が新宮党誅殺で自壊した年のわずか数ヶ月後に、元就が厳島への工作戦を開始しているのは象徴的である。
第一世代の謀略が自家の統御に失敗して倒れ、その失敗を教材とした第二世代が覇権を継いだ──中国地方の五十年は、調略技術の世代交代の実験場だった。




