新宮党──強すぎる刃
尼子家の軍事力の中核は、経久の次男国久が率いる新宮党だった。
彼らは富田城下の新宮谷に屋敷を構えた精鋭一族衆で、その武勇は山陰に鳴り響いたが、同時に本家に対する尊大な振る舞いが家中の火種となっていた。
経久の孫・晴久の代の天文二十三年(一五五四)、晴久は突如、国久・誠久父子ら新宮党を誅殺する。この事件について、江戸期の軍記は「元就の離間工作が原因」と語ってきた。元就が、国久が毛利に内通しているかのような偽の書状を仕立てて尼子方に流し、晴久に一族の刃を向けさせた──という筋である。
しかし近年の研究では、偽書工作の実在を示す確かな史料はなく、晴久による権力集中策(叔父たちの排除と直臣団の強化)として理解する説が有力である。
ただし、これも調略史の観点からは、どちらの解釈でも教訓は同じ場所に落ちる。
第一に、同時代人と後世の人々が「元就ならやりかねない」と信じたこと自体が、元就の調略者としての評判の高さを示す。
第二に、実際に外部工作がなかったとしても、新宮党誅殺は「一族内の力の偏在は、外敵の工作がなくとも自壊を生む」ことを示している。
強すぎる分家は、それだけで本家の疑心を吸い寄せる。調略とは多くの場合、すでにある疑心に形を与えるだけでよい──元就が本当に偽書を送ったのだとすれば、彼はこの原理を利用したのであり、送っていないのだとすれば、原理が工作なしで作動したのである。
まさに犯人がいなくても起きる殺人──推理小説なら反則だが、歴史ではしばしば起きるのだ。
新宮党の消滅により尼子は最精鋭を失い、山陰における毛利との力関係は決定的に傾いた。前章で見た月山富田城の落城は、この自傷の延長線上にあった。




