元日の舞い手たち
文明十八年(一四八六)の元日未明、出雲月山富田城。城内は正月の祝いに緩んでいる。
やがて城門が開き、恒例の千秋万歳──新年を寿ぐ芸能の一座が招き入れられた。鼓を打ち、舞い、祝言を唱える一座の芸に、城兵たちは相好を崩して見入っている。
その芸人たちの荷の中に、得物が隠されていた。
一座に紛れていたのは、二年前にこの城を追われた前守護代・尼子経久の手の者どもである。合図とともに芸人は兵に変わり、それと同時に城内の内応者が呼応し、火の手が上がる。
祝いの城は、一夜にして戦場に変わり、朝日が昇る頃、月山富田城の主は経久に戻っていた──。
***
『雲陽軍実記』などが伝えるこの奪回劇は、実は史料的裏付けの弱い物語である。
近年の研究によると、経久の復帰を、在地国人の支持を回復しての政治的な帰還と見る説を有力とする。つまり、実像は「芸人に化けた奇襲」ではなく「支持基盤を固め直した復権」であるらしい。
だが、それならそれで問いは残る。なぜ後世は、この男の復権を、わざわざ変装と奇襲の物語に仕立てたのか。答えは簡単で、経久が「そういうことをやりかねない男」として記憶されていたからである。
伝説は人物評の結晶だと本書は繰り返してきた。経久に貼られた評は、後世に「謀聖」の二字に凝縮される。謀りごとの聖人。褒めているのか貶しているのかよく判然としないところが、いかにもこの男に似合っている。




