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戦国時代と調略の歴史 ~天才秀吉の無双~  作者: 泰 然
第七章 毛利元就(二)──国人衆の取り込みと「三本の矢」
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元就(に)小括──元就という到達点と限界

 元就の調略を総括しておこう。


 戦術級の欺瞞(厳島)

 養子と婚姻による家の接収(両川)

 包囲と投降勧誘による無血開城(月山富田)

 権威と信仰による格付け(朝廷・厳島神社)

 そして自家の分裂耐性設計(教訓状)


 まで、調略のほぼ全領域を一人で体系化した。戦国前期に散発的だった諸技術は、元就において初めて一人の頭脳の中で統合されたのである。


 だが、元就には決定的にないものがあった。それは天下への意思である。


 元就は子らに「天下を競望せず」と戒めたと伝えられ、毛利の戦略は終始、中国地方の保全に自足した。


 調略を防衛と地域覇権の道具にとどめた元就に対し、これを天下統一の主動力にまで拡張する者が、やがて東から現れる。それが信長であり、その手足として中国戦線で毛利と対峙し、元就の遺産と正面から知恵比べをすることになるのが、羽柴秀吉であったのだ。


 その前に、次章では時計を少し戻そう。


 元就が安芸で綱渡りをしていた頃、山陰にはすでに「謀聖」と呼ばれた先達がいた。十一ヶ国に覇を唱えた尼子経久──元就が青年期に間近で観察し、学び、そして最後にはその家を滅ぼした男である。


エピソードをもうひとつ。

吉田郡山城の拡張工事のときに、難工事の続く石垣に人柱を立てるべし、という声が上がったそうです。元就はこれを退け、代わりに「百万一心」の四字を刻んだ大石を埋めさせた──という伝承があるのですが、「百万一心」の字は、崩して読めば「一日一力一心」とも読める細工で、皆が日々力と心を一つにすれば人柱に勝る、という意味なんだそうです。面白いですね。


この石は江戸後期に長州藩士が拓本を取ったと伝えられるものの、原石は今も見つかってはいません。まあ、これも伝承の域を出ない話ではありますが、結局、元就という深謀遠慮な人物のイメージ形成史としては面白いと思います。


数十の家を謀略で割っていった男の記憶が、後世「人心を一つに束ねた男」の物語へ編集されていくのですからね(笑)──評判ってのは、死後も運用され続ける資産だという、私としての影の主題を、この四文字はよく表しているんじゃないかと思うのですね。


ちなみにですが、「百万一心」は現在、毛利ゆかりの地の石碑や揮毫で広く使われていて、企業の社訓にも好まれるそうです。謀将の遺産のうち、偽書の技術ではなく標語の方が現代に継承されたのは、たぶん、良いこと(笑)?



- 毛利家文書(『大日本古文書』)──三子教訓状(毛利博物館蔵・重要文化財)、家臣連署起請文ほか

- 岸田裕之『毛利元就』(ミネルヴァ書房)──両川体制・国人統合の実証研究

- 光成準治『毛利輝元』(ミネルヴァ書房)──元就死後の毛利家の構造

- 『雲陽軍実記』『陰徳太平記』──月山富田城攻めの軍記的記述(史実性に留意)

- 長谷川博史『戦国大名尼子氏の研究』──尼子側から見た毛利の切り崩し

- 「百万一心」伝承──吉田郡山城跡の伝承・碑文(伝承としての性格に留意)


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