乗っ取りという建築術──両川体制
元就の調略の最高傑作は、厳島の欺瞞工作ではなく、吉川・小早川両家の乗っ取り、いわゆる両川体制の構築である。これは婚姻・養子・粛清・世論工作を組み合わせた十年がかりの「家の建築」だった。
吉川氏は安芸北部の名門国人で、元就の正室・妙玖の実家である。天文年間、当主の吉川興経は大内方と尼子方の間で去就が定まらず、家中は分裂していた。
元就はまず吉川家中の反興経派の重臣たちと結び、「興経では家が保たない」という空気を家中に醸成する。そのうえで、正室・妙玖の子──元就の次男元春──を興経の養子とする案を、吉川家中の側から求めさせた。天文十六年(一五四七)、興経は隠居に追い込まれ、元春が吉川家を継承。
三年後、興経父子は殺害され、乗っ取りは完成する。
小早川氏は瀬戸内水運をにぎる沼田・竹原の両小早川家に分かれていた。竹原家が当主を欠くと、元就は大内義隆の口添えも得て三男隆景を養子に送りこむ。
次いで本家筋の沼田小早川家では、当主繁平が盲目であることを理由に家中の不安を煽り、繁平を出家・隠居させて隆景に本家を継がせ、繁平の妹を隆景の正室とすることで新旧の血を接いだ。
水軍力を持つ小早川の掌握が、厳島での村上水軍交渉の土台になったことは前章で見た通りである。
この二つの乗っ取りに共通する型は明確だ。
まず、対象の家の内部対立を把握し、反主流派を味方につける。
次に、「家の存続のため」という大義名分を、家中の側かrw言わせる。
また、血縁(実子)を養子として注入し、形式は円満な継承に整える。
最後に、旧当主の系統は、時間を置いて除去する。
力ずくの併合ではなく、相手の家の論理を利用した接収──これが元就流である。乗っ取られた側の家臣団は「家が残った」ため抵抗せず、むしろ新当主の下で戦力として機能した。
いわば、建物を壊さず、登記だけを書き換えるのである。まるで不動産取引だが、旧所有者の行方だけは聞かないのが作法である。




