老将、筆を執る
弘治三年(一五五七)十一月、吉田郡山城の一室。
六十一歳の毛利元就は、夜更けの灯りの下で筆を走らせていた。書いているのは軍令でも外交文書でもない。三人の息子──隆元、元春、隆景──に宛てた書状である。常ならば、右筆に代筆させるのが習いであったが、今日ばかりは、自筆の、異様に長い手紙である。
条数にして十四ヶ条の家訓であった。
内容は、ほとんど同じことの繰り返しである。三人の間に少しでも隔てが生じれば、三人とも滅ぶと思え。毛利の名字が末代まで廃らぬよう、それだけを頼む。亡き母・妙玖の名に免じて、仲良くしてくれ──。
老耄であろうか。書いているうちに筆は乱れ、話は逸れ、自分は幼くして父を失い、兄も失い、一族の多くが非業に死ぬ中を、ただ運だけで生き延びてきた身の上話にまで及ぶ。天下の謀将の手紙とは思えない。これでは、心配性の父の、ほとんど泣き言である。
だが、この泣き言の手紙こそ、元就の調略人生の最終到達点だった。
生涯に数十の家を割り、幾多の兄弟仲を裂いてきた男は、割れぬ家がこの世でいかに稀かを、誰よりも知っていた。
手紙一通で家の結束が保てるなら苦労はない──それも彼は知っていた。だからこそ彼は、手紙と送るとともに、そのからくり――構造を作ったのだ。物理的に割れようのない家の設計である。
***
それが本章の主題、両川体制である。




