元就(一)小括──弱者の調略の三原則
厳島に至る元就の工作から、三つの原則を抽出できる。
第一に、決戦の場所と条件を自分で設計する。弱者は、強者が全力を発揮できる戦場で戦ってはならない。
第二に、敵の意思決定を汚染する。名参謀を除き、偽情報を刷り込み、敵が「自分の判断」で罠に入るよう導く。
第三に、外部勢力は低いハードルで巻き込む。相手が頷きやすい形に要求を刻む。
厳島で大内(陶)勢力を葬った元就の前には、しかし、より広大な戦場が広がっていた。すなわち、防長二ヶ国の経略、そして宿敵尼子氏との十年戦争である。
次章では、元就の調略が「奪う技術」から「治める技術」「乗っ取る技術」へと深化していく過程を見る。両川体制──吉川と小早川、二つの他家を養子で乗っ取って自家の両翼に変えた、日本史上屈指の家の謀略設計である。
厳島にも行ってきました。ここはもう、島そのものが神体とされている聖地です。古来、島内では出産も埋葬も忌まれたそうで、その聖地を、元就はあえて決戦場に選んだというところに、彼の凄みを感じますね。
しかもですよ、合戦の後が大変。島は数千の死体と血で覆われ、神域は最大級の穢れに。
というわけで、毛利方は戦後、遺体を対岸に移し、血に染まった土を除き、社殿を洗い清め、大規模な祓を執り行ったそうです。。つまり元就は、勝利の直後に「神様への大掃除と詫び」までを作戦の一部としていたんでしょうね。
神域を汚した者としてではなく、神域を清め直した者として振る舞うことで、元就は厳島の神威を敵ではなく後ろ盾に変えたとも言えます。以後、毛利氏は厳島神社の最大の庇護者として社殿を支え続け、「厳島の神は毛利に勝たせた」という物語までが定着するわけです。神様との事後交渉まで抜かりない──これを敬虔と呼ぶか調略と呼ぶかは……読者のみなさまにお任せします(笑)。
- 毛利家文書(『大日本古文書』所収)──井上一族誅殺後の家臣連署起請文ほか
- 『陰徳太平記』──江良房栄謀殺・桂元澄偽装内応など厳島前夜の工作譚(軍記としての性格に留意)
- 『房顕覚書』──厳島神社社家による合戦の記録
- 岸田裕之『毛利元就』(ミネルヴァ書房)──実証的な元就伝
- 河合正治『安芸毛利一族』ほか──毛利氏と安芸国人社会
- 山内譲『瀬戸内の海賊』ほか──村上水軍の実像




