なぜ戦わないことが合理的だったのか
戦国大名にとって、合戦は最後の手段だった。理由は単純で、割に合わないからである。かるく勘定してみよう。
まず、兵は農民だった。戦国前期から中期の軍隊の主力は、田畑を耕す百姓が武装した兵でしかなく、彼らを長期間戦場に拘束すれば、領国の農業生産が崩壊してしまう。田植えと稲刈りの季節に大軍を動かせないという制約は、ほぼすべての大名に共通していた。
上杉謙信の関東出兵が冬に集中し、雪解けとともに帰国を繰り返したのは有名な例である。軍神と呼ばれた男でさえ、稲の都合には勝てなかった。
次に、勝っても損をする。城を力攻めにすれば、攻め手は守り手の数倍の損害を覚悟せねばならない。仮に城を落としても、殺したのはこれから自分の領民・家臣になるはずだた人々である。田畑は荒れ、町は焼け、手に入るのは焦土ばかりだ。
それよりも、城主を調略で寝返らせれば、城も兵も領地も無傷のまま自陣営に加わるのである。敵の戦力がそのまま自分の戦力になるのだから、差し引きの効果は二倍である。戦国大名はこうやって帳簿を読むし、読めない大名は、だいたい滅んだ。
さらに、負けたときの代償が大きすぎた。戦国の合戦は一度の敗北が家の滅亡に直結する。桶狭間の今川義元、厳島の陶晴賢、長篠の武田勝頼──当主が戦場で判断を誤った家は、坂を転げ落ちるように滅んだ。
であるならば、勝敗を運に委ねる会戦よりも、事前に勝敗を確定させてから戦場に出る方がずっとよい。調略とは、戦う前に勝負を決めておくための技術なのだ。
孫子はいわく……「百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」。
百回戦って百回勝つのは、最善ではない。戦わずに敵を屈服させることこそ最善である──。戦国武将たちが孫子をどこまで精読していたかは個人によって差があるが、彼らは実践を通じて、この東洋最古の兵学が説いた結論と同じ場所にたどり着いていた。
書物で学ぶ者と、痛い目で学ぶ者は、しばしば同じ答案を書くものだ。けだし、後者の答案には血がついているだけ強かった。
けだし?いや、なんとなく




