「調略」という言葉
調略という語は、現代語では「敵を内応させる工作」という意味である。しかし戦国期の用例を見ると、その意味範囲はもっと広いことがわかる。「調」は「ととのえる」、すなわち交渉し、話をまとめること。「略」は「はかりごと」、すなわち計画と謀略である。合わせれば「交渉と謀略によって事をととのえる」となる。
実際の使われ方を、史料で確かめておこう。戦国大名の発給文書には、この語が実務用語として頻出する。たとえば城攻めに関する指示で「調略を以て申し付くべく候」とあれば、「力攻めではなく、内応工作や降伏交渉で処理せよ」という意味である。
刮目すべきは、これらがいずれも、特別な陰謀をさす言葉としてではなく、軍事作戦の選択肢の一つとして、兵糧や普請と同じ調子で命じられていることだ。戦国の実務としては、すなわち調略は正規の業務だった。稟議書に「賄賂」とは書けないが「渉外費」なら書ける、とゆう感覚に少し似ている。
さて、この作品では調略を、次の五つの機能に分けて捉えておきたい。
第一に「内応」。敵方の武将や家臣を寝返らせる工作である。調略の中核であり、最も劇的な効果を生む。
第二に「離間」。敵の主従、同盟者同士の間に不信の楔を打ち込む工作。
第三に「懐柔」。降伏や臣従を、面目を保たせながら受け入れさせる交渉術。
第四に「情報」。敵情の収集と、偽情報の流布。
第五に「威圧」。実際には戦わずに、戦えば負けると敵に確信させる示威である。
もちろん、この五つは独立した技術ではなく、常に組み合わせて使われた。序章:三木城の例で言えば、包囲壁は威圧であり、周辺勢力の切り崩しは内応であり、「降れば助命」の繰り返しは懐柔であり、毛利の搬入計画を掴む網は情報である。
そして戦国後期に進むほど、この組み合わせは洗練され、体系化されていく。北条早雲や毛利元就が個人の才覚で行った調略を、織田信長は組織として運用し、秀吉はついに「調略だけで天下を統一する」領域にまで高めた。本書が描くのは、この技術進化の百五十年である。
ぼちぼち書き始めています。調略は面白い。面白いが体系的に整理統合されたないので、ライフワーク的にまとめていければ、と思いました。




