薬を配る侵略者
明応の頃、伊豆のある村。
戦乱と流行り病で、村はもう明るい昼だというのに静まり返っている。働き手は倒れ、田は荒れ、残った者は山に逃げる支度をしていた。国が武士に踏み荒らされるとき、百姓にできるのは逃げることだけであり、それがこの国の常識だった。
岩肌の剝き出しになった田舎道を、新しくこの地を切り取ったばかりの武将の手の者がやって来た。
村人は身を固くする。
――さては徴発か、放火か。
ところが、使いの者たちが荷から降ろしたのは、薬と、看病の人手だった。触れが大声で読み上げられる。
「病の者は届け出よ!手当てを致す。逃げた者は帰り来たれ。田に戻る者の年貢は、四公六民とする!」
四公六民。収穫の四割を領主に、六割は百姓の手元に、という意味である。周りの国々は当然ながら、もっと重い年貢を搾りとっている。
村人たちは顔を見合わせた。罠ではないのか。
だが病人は現に手当てを受け、触れの通りの年貢で秋を越した村の噂は、山一つ向こうの村へ、さらにその向こうへと伝わっていく。
この翌年、逃げていた者が帰り始めた。再来年には、他国から移ってくる者さえ現れた。
侵略者が来て、暮らしが良くなった──この倒錯した事態こそ、伊勢宗瑞、後世に言う北条早雲が伊豆で起こした「事件」であった。
***
軍記の脚色を差し引いても、早雲の伊豆平定が短期間で深く根を張ったこと、北条氏の民政が同時代に抜きん出ていたことは、その後百年の関東支配が証明している。
早雲は、調略の対象を武士階級から民衆へ拡張した最初の戦国大名だった。そしてこの男の実像は、長く信じられてきた「素浪人の国盗り」伝説とは、まるで違うものなのである。




