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国人一揆──調略の対象となる「横の連合」
下剋上の主役たちが登り詰めた先で直面したのが、国人一揆という壁である。
一揆とは本来、「揆を一つにする」こと、すなわち対等な者同士の盟約を意味する。現代語の「一揆=暴動」は、この語の長い歴史の最後の一齣にすぎない。戦国期の地方には、郡や国の単位で国人領主たちが盟約を結び、相互の紛争を調停し、外部精力に共同で当たる「国人一揆」が広く存在した。
また、安芸国人一揆の盟約状には毛利氏も名を連ねている。大名権力とは、突き詰めればこの横の連合を縦の主従関係へ組み替える事業であり、その組み替えの主要な手段が調略だった。
国人たちは自立の気風が強く、大名への従属は「当面の保護者を選ぶ」感覚に近い。だから、大名間の抗争は常に「敵の傘下の国人をいかに引き剥がすか」の競争になった。
そして国人の「裏切り」には内在する論理がある。
国人にとって最優先の価値は、先祖伝来の本領と一族郎党の存続だった。大名Aが自領を守れず、大名Bが安堵を約束するなら、Bにつくのは背信ではなくもはや責務である。戦国の調略文書が、ほとんど例外なく「本領安堵」の一句を含むのはこのためだ。
調略とは、国人のこの内在論理に、外から形を与える行為だった。




