「はげねずみ」の手紙
秀吉夫婦の関係、そして信長との関係を伝える、天下の奇文書がある。
天正年間、ねねが安土の信長に伺候して進物を献じた際、信長がねねに与えた自筆感状──俗に「はげねずみ書状」と呼ばれる一通である。有名なものであるが、ここであらためて趣旨を現代語で示そう。
──このたびは、わざわざ訪ねてくれて嬉しく思う。土産の数々、美しさ、言い尽くせない。久しぶりに会ったが、そなたの容色は以前に倍して美しくなった。藤吉郎が、そなたについて何かと不満を申しているとか、言語道断、けしからぬことである。どこを尋ね歩いても、そなたほどの女房を、あの「はげねずみ」が二度と迎えられるはずがない。以後は身持ちを陽快にし、いかにも奥方らしく重々しく構えて、嫉妬などは起こさぬがよい。ただし、女の役目として、言うべきことは全部は言わず、少しは残しておくのがよい。この手紙は羽柴(秀吉)にも見せてやれ──。
天下人が、家臣の夫婦喧嘩の仲裁に、これほど筆を尽くした文書は他にない。
はげねずみという、秀吉の女癖への大いなる皮肉、ねねの人柄への破格の敬意、そして「秀吉にも見せよ」という追い打ち。歴史家がこの一通から読み取れることは多い。
第一に、ねねが信長に直接伺候し、直筆の書状を受け取れる立場だった──つまり羽柴家の対信長外交は、夫婦二系統で走っていた。
第二に、信長が秀吉夫婦の家庭内力学を掌握し、それを家臣統制のユーモアに使う程度には、この主従は近かった。
第三に、後年の北政所が豊臣政権で果たす政治的役割──大名の妻子の統括、家康との交渉窓口──の原型が、この時点で既にある。
秀吉の「家」は、当主一人の才覚ではなく、最初から夫婦共同経営だったのである。




