第1話:ウチの恋心、絶対お兄ちゃんに言えない
朝からまじで超だるい。
お気に入りのカラコンがなかなか上手く入らないし、昨日の夜遅くまでスマホを見ていたせいで、目の下にはうっすらとクマができている。
でも、お兄ちゃんのためなら、ウチは早起きだって余裕でできる。
私は中学二年生の心愛。
見た目はちょっと(というか、学校の先生から言わせればかなり)ギャル。
金髪のインナーカラーをチラ見せさせて、スカートは規定よりも二回折って短くしている。スクールバッグは、お気に入りのキャラクターのキーホルダーでジャラジャラだ。
対するお兄ちゃんは、この春から高校一年生になった。
名前は、大和。
黒髪で、優しくて、ちょっと冴えない。運動も勉強もそこそこだけど、ウチにとっては世界で一番の自慢の兄だ。
……ただ、信じられないくらい、恋愛のセンスがゼロ。
人の気持ちに疎すぎる、宇宙一の「鈍感男」でもある。
「ちょっと大和! お弁当、忘れてるんだけど!」
ローファーを雑に履いて、バタバタと家を出ていこうとする背中に、私はタッパーを突きつける。
中身は、昨日から仕込んでおいたお兄ちゃんの好物の唐揚げ。ニンニク控えめ、生姜多めの特製だ。
「お、サンキュ、ここあ。助かったわ。ガチで忘れるところだった」
お兄ちゃんは振り返り、私の頭をポンポンと雑に撫でた。
その瞬間、お兄ちゃんの制服から、少し大人びたワックスの匂いがふわっと香る。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなった。
(……ちょ、また子ども扱い。ウチ、もう中2だし。ギャルだし)
お兄ちゃんの大きな手が離れたあとも、頭のてっぺんがじんわりと熱い。
「ここあ、お前また髪の毛明るくした? 補導されんなよ?
あとスカート短すぎ。冷えるぞ、ほら」
大和は私の金髪をかるく引っ張って、眉をひそめる。
私の「大人っぽく見せたい」っていうギャルメイクを、大和はただの『クソガキの悪目立ち』としか思っていない。
男の子として意識してほしくてやってるのに、ただの心配性な兄の顔をされる。
それがまじでムカつくし、もどかしい。
「あ、そうだ。ここあにちょっと相談なんだけど」
お兄ちゃんが、玄関のドアノブに手をかけたまま、ふと思い出したように振り返った。
「あん? なに。ウチ、これから学校なんだけど。早くしてよね。遅刻したら大和のせいだから」
わざとツンとした態度を取る。
口を尖らせて、冷たい声を出す。
そうでもしないと、嬉しくてにやけそうな顔を隠せないからだ。
「いや、大したことじゃないんだけどさ。……俺のクラスの新井さんって子がいて」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
頭の中の思考が、一瞬で真っ白になる。
「……は? クラスの、女子?」
「うん。なんか今度の日曜、映画誘おうか迷ってて。ギャル……じゃなくて、中学生の目から見て、男から急に誘われたら引く?」
照れくさそうに頭を掻く大和。
その耳の付け根が、ほんのり赤くなっているのが見えた。
(待って。無理。無理無理無理)
お兄ちゃんが、別の女の子を「女」として意識してる。
その事実が、ウチの胸に鋭いナイフみたいに突き刺さる。
さっき一生懸命入れたカラコンの奥が、急に熱くなって、視界がじんわりと滲みそうになる。
「……引かない、んじゃない? お兄ちゃん、一応……顔だけはまともだし。誘えば?」
声が震えそうになるのを、必死にギャルのテンションで隠す。
「そっ加! よかったー。俺、女子の気持ちとかガチで分かんないからさ。
いつも一緒にいるここあがそう言うなら、男としてちょっと自信出るわ!」
大和は、まじで嬉しそうに笑って、ウチの肩をバシバシと叩いた。
男として自信出る、って……。
ウチの気持ち、これっぽっちも分かってないくせに。
「行ってきます!」
「……行ってらっしゃい」
バタン、と重い音がして、ウチは一人、玄関に取り残される。
私はその場にへたり込んだ。
ひんやりとしたタイルの冷たさが、短いスカート越しに伝わってくる。
「……なによ、新井さんって。まじ意味不。クソむかつくんだけど……っ」
「妹」っていう呪いのせいで、ウチはお兄ちゃんの『特別』になれない。
それ以上に、このお兄ちゃん、ウチがどれだけ嫉妬で死にそうになってるか、爪の先ほども気づいてない。
◇
トボトボと学校へ向かう通学路。
いつものギャル友達、ユナとマイが「ここあ、おはよ〜!」と手を振って近づいてくる。
「ねえ、ここあ、なんか今日元気なくない? メイク薄い?」
「あ、それウチも思った。カラコンずれてる?」
友達の鋭い指摘に、私は慌ててスマホのインカメラを起動して顔をチェックする。
「あー、ちょっと寝不足なだけ。まじ大丈夫。それよりさ……」
私は二人に、探るように聞いてみた。
「高校生の男子が、同じクラスの女子を映画に誘うのって……やっぱり、気があるってことだよね?」
ユナとマイが、顔を見合わせてニヤニヤし始めた。
「なにそれ! ここあ、好きな人できたの!? 高校生!?」
「やば! どこの高校? メンエグ系? それとも黒髪系?」
「違うってば! ウチのことじゃないし!」
必死に否定するけど、胸のモヤモヤは消えない。
(ウチが妹じゃなくて、ただの隣のクラスの女子だったら……大和はウチのこと、少しは女の子として見てくれたのかな。髪型変えただけで、補導の心配なんてされなかったのかな)
授業中も、頭の中はお兄ちゃんのことばかり。
スマホの画面を隠しながら、LINEの画面を開く。
お兄ちゃんのアカウント。アイコンは、去年家族で行った海で、ウチが無理やり撮らせた大和のピン写真。
『今日、映画誘ってみた?』
そう打ち込んで、送信ボタンを押しかけて、指が止まる。
そんなの、いかにも気にしてるみたいで、ウザい妹じゃん。
それに、あの鈍感兄貴のことだから、送ったら送ったで『おう!誘ったぞ!応援サンキュ!』とか無邪気な返信が来るに決まっている。それが一番傷つく。
結局、文字を全部消して、スマホを机に突っ伏した。
◇
「ただいま……」
夕方。どんよりした気分のまま家に帰ると、リビングからお兄ちゃんの声が聞こえた。
「あ、ここあ、おかえり」
ソファに寝転がってスマホを見ていた大和が、気楽な声で言った。
「……ねえ。朝のアレ、どうなったわけ?」
「あー、新井さんのこと?」
大和はスマホの画面をウチに向けてきた。
そこには、新井さんと思われる女子とのLINEのトーク画面。
『日曜日の映画、いいよ! 行こう!』
可愛いスタンプ付きの、快諾の返信。
ドクン、と今日一番の大きな衝撃が、私の胸を突き抜けた。
「……行くんだ。映画」
「おう。ここあが背中押してくれたおかげだわ。
あ、そうだ。映画のあと、女子ってどこ連れてけば喜ぶ?
マックとかじゃダメだよな? サイゼ? お前ギャルだから、そういうの詳しいだろ?」
悪気のない、100%ピュアな笑顔。
ウチの気持ちを踏みにじっている自覚なんて、この男には、これっぽっちもない。
ただ「頼りになる妹に、アドバイスを求めている」だけの、バカなお兄ちゃん。
その笑顔を見ていたら、何かが私の中でプツンと切れた。
大和は、何も知らずに、ウチの頭をまた撫でようとする。
「触らないでっ!!」
私はその手を、強い力で振り払った。
パチン、とリビングに高い音が響く。
「……ここあ?」
大和が目を見開いて驚いている。
「……大和のバカ。まじで大嫌い。一生新井さんと映画観てればいいじゃん!」
「え? え、待てよここあ! なんで怒って……あ、もしかして、お前もお小遣い足りなくて映画行きたいのか? 貸してやるから!」
後ろから聞こえる、的外れすぎる大和の声。
お小遣い!? 映画に行きたい!?
違う、違う、違う!!!
「……っ、バカ大和!!!」
私はお兄ちゃんの顔を見ることができず、自分の部屋へと駆け上がった。
ドアを乱暴に閉めて、ベッドに飛び込む。
ウチは枕に顔を押し付けて、声を殺して泣いた。
どこまで疎いの。どれだけウチを「妹」としてしか見てないの。
涙でぐしょぐしょになった顔を上げ、私は鏡に映る自分を見た。
こんなにボロボロに泣かされて、悔しくてたまらない。でも、やっぱり諦められない。
私はスマホを掴み、ユナとマイのグループLINEにメッセージを打ち込んだ。
『緊急事態。今週の日曜、ウチに付き合って。お兄ちゃんを尾行する』
私の、絶対に負けられない戦いが、ここから始まる。
あのスーパー鈍感兄貴の目を、絶対にウチの方へ向かせたいやる。




