第4話「20代の上司」
朝のオフィスは、いつも通り冷えていた。
蛍光灯の白い光。
キーボードの音。
小さく鳴る電話。
すべてが機械のように規則正しい。
広岡悟はデスクに座り、昨日の違和感を押し込めるように仕事を始めた。
(気のせいだ)
(ただ疲れてるだけだ)
そう思えば、日常は戻る。
戻るはずだった。
---
午前10時。
部長がやって来る。
「広岡、お前ちょっと来い」
短い言葉。
嫌な予感だけが残る。
---
会議室に入ると、そこには見慣れない男がいた。
スーツ姿。
若い。
まだ30代前半にも見える。
広岡は一瞬だけ違和感を覚える。
(誰だ?)
---
部長が言う。
「今日からこの部署のリーダーだ」
---
空気が一瞬止まる。
広岡は理解が遅れた。
リーダー。
その言葉が自分に向けられていない気がした。
---
「よろしくお願いします、広岡さん」
若い男が軽く頭を下げる。
---
広岡は笑おうとして失敗する。
顔が動かない。
---
(は?)
---
部長は淡々と続ける。
「黒田誠二くんだ。資格も持ってるし、実務経験もある」
「お前よりはるかに動ける」
---
その言葉は、刺さるというより“事実”だった。
否定できない種類の現実。
---
会議室を出た後、広岡は廊下に立ち尽くす。
背中に汗がにじむ。
---
(年下だろ)
(なんで俺が)
(俺の方が長くやってるだろ)
---
頭の中で言葉が渦を巻く。
だが、どれも意味を持たない。
---
デスクに戻ると、後輩たちの視線が少し変わっていた。
気のせいではない。
空気が変わっている。
---
昼休み。
広岡は一人で弁当を食べる。
スマホを見る。
地元グループのLINEは動いている。
「今日も飲むか?」
「広岡来るよな」
---
いつもなら迷わず「行く」と返す。
だが今日は少しだけ指が止まる。
---
そのとき、後ろから声がする。
「広岡さん」
振り向くと、さっきの若い男――黒田誠二が立っていた。
---
「少しいいですか」
---
会議室とは違う静かな場所。
二人きり。
---
黒田は淡々と言う。
「正直に言います」
「この会社、広岡さんのやり方だと限界があります」
---
広岡は笑いそうになる。
だが笑えない。
---
「……若い奴に何がわかる」
出た言葉は、想定通りだった。
---
黒田は少しだけ首を振る。
「若いとか関係ないです」
「結果です」
---
その言葉が、いちばん重かった。
---
沈黙。
広岡は初めて気づく。
この男は“敵意”で話していない。
ただ事実を言っているだけだ。
---
(俺は、ここまで落ちてたのか?)
---
会話はそこで終わる。
黒田は去っていく。
残された広岡は動けない。
---
夕方。
仕事は何も進まないまま終わる。
---
帰り道。
空は少しだけ赤い。
---
コンビニの前を通る。
昨日と同じ若者たち。
笑っている。
---
広岡は足を止めない。
止めたくない。
---
だが、ふと気づく。
視界の端に、あの男がいる。
---
街灯の下。
スーツの男。
昨日と同じ場所。
---
広岡の足が止まる。
---
男は静かに言う。
「少し、早くなりましたね」
---
広岡は声を荒げる。
「お前誰だよ!」
---
だが次の瞬間。
---
世界が“ずれる”。
音が消える。
街が薄くなる。
---
気づくと、そこは――
---
古い木造の扉の前だった。
---
上には看板。
---
『人生の交差点』
---
広岡は息を呑む。
---
扉の向こうから、ジャズの音が漏れていた。
---
(続く)




