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『何者にもなれなかった男』  作者: こうた
第1章何者にもなれなかった男

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第2話「いつもの店」

玄関の外にあったはずの“光”は、次の瞬間には消えていた。


広岡悟はドアの前で立ち尽くしていた。


手を伸ばしても何もない。

廊下の薄暗さだけが戻っている。


(気のせいか)


そう思うには、妙に鮮明だった。


スマホを見ても、さっきのメッセージは残っていない。


「人生に、交差点は存在します」


あの一文だけが、記憶の中でだけ浮いている。



---


翌日。


広岡はいつも通り会社へ行き、いつも通り仕事をこなした。


変わったことは何もない。


同僚との会話も、上司の小言も、全部予定調和だった。


ただ一つ違うのは、頭のどこかで“余命”が居座っていることだった。



---


夕方。


またLINEが来る。


「今日もいつもの店な」


「広岡来るよな?」


何も考えずに指が動く。


「行く」


送信してから、少しだけため息をつく。


(いつもの店)


この言葉が、妙に重く感じた。



---


居酒屋は、昨日と同じだった。


違うのは、客の顔が少しだけ疲れているように見えることくらいだ。


暖簾をくぐると、むっとした煙と酒の匂いが鼻に刺さる。


「おう悟」


竹中清が笑う。


「昨日病院行ってたんだろ?大丈夫だったのかよ」


広岡は一瞬だけ言葉に詰まる。


だがすぐに笑う。


「別に、なんともねえよ」


その瞬間、自分でもわかるくらい嘘だった。



---


席に座ると、グループの空気が流れ始める。


阪田健吾が缶ビールを開ける。


「結局さ、人生なんてこんなもんだよな」


「働いて、飲んで、寝て」


「それで終わり」


笑いながら言うその言葉に、誰も反論しない。


広岡も、しない。


昔からそうだった。


このグループでは“否定しないこと”がルールだった。



---


話題は自然と昔へ戻る。


中学時代の武勇伝。


高校のサボり話。


誰が一番モテたか。


笑い声が広がる。


その中心に、広岡はいる。


いつも通りだ。



---


だが途中で、竹中清がぽつりと言う。


「俺さ、ちょっと格闘技やってみようと思ってるんだよな」


一瞬、空気が止まる。


「は?」


阪田が笑う。


「お前が?やめとけって」


「どうせ三日で終わるだろ」


笑いが戻る。


しかし竹中だけは、少しだけ真面目な顔をしていた。



---


広岡はその顔を見ていた。


昔の竹中は、もっと“流される側”だったはずだ。


いじられて、笑われて、それで終わる男だった。


それなのに今は、どこか違う。



---


「悟はどう思う?」


竹中が聞く。


一瞬だけ、視線が集まる。


広岡は少し迷ってから言う。


「まあ、いいんじゃねえの」


軽い返事。


それ以上は言わない。



---


竹中は笑った。


「だよな」


そして話題はすぐ別の方向へ流れる。


まるで何も起きなかったように。



---


店を出る頃、夜はさらに深くなっていた。


帰り道、広岡は一人で歩く。


コンビニの明かりがやけに眩しい。


ガラス越しに若い客が見える。


笑っている。


未来の匂いがする。



---


(俺はあいつらの年齢のとき、何してた?)


思い出そうとする。


だが、うまく出てこない。


代わりに出てくるのは、


飲み会と、仲間と、いつもの場所だけだ。



---


そのとき、スマホが震える。


またLINEだ。


竹中からだった。


「悟、俺さ、マジでちょっと変わろうと思うわ」


短い文章。


冗談ではない感じ。


広岡は画面を見つめる。



---


(変わる?)


(今さら?)


(何のために?)



---


指が止まる。


返信が出てこない。



---


ふと、昨日の“光”を思い出す。


玄関の外にあった、あの意味不明な明かり。


そして、あのメッセージ。


「人生に、交差点は存在します」



---


広岡は空を見上げる。


何もない夜空。


だがその奥に、何かがある気がした。


説明できない違和感。



---


その瞬間だった。


視界の端で、街灯の下に“誰か”が立っているのが見えた。


さっきまで、そこには誰もいなかったはずだ。



---


広岡は足を止める。


ゆっくりと振り向く。



---


そこに立っていたのは、スーツ姿の男だった。


年齢はわからない。


若くも老いても見える。


ただ一つだけ確かなのは、


その男が、広岡をまっすぐ見ているということだった。



---


男は静かに言う。


「広岡悟さん」



---


広岡の背中に、冷たいものが走る。



---


(続く)

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