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『何者にもなれなかった男』  作者: こうた
第1章何者にもなれなかった男

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第1話「余命宣告」

病院の天井は、いつ見ても白すぎる。


広岡悟はその白さを見ながら、自分の呼吸が浅くなっていることに気づいていた。

検査結果を待っている間、時間だけが妙に長く引き伸ばされているようだった。


「広岡さん」


医師の声は静かだった。

静かすぎて、むしろ悪い知らせだと直感できた。


机の上に置かれたCT画像。

そこに映っている影を、医師は淡々と指さした。


「肺に腫瘍があります。進行具合からして、悪性の可能性が高いです」


その瞬間、広岡の頭の中は一度だけ真っ白になった。


だがすぐに、妙に現実的な思考が戻ってくる。


(ああ、そうか)


(俺、もうダメなんだな)


恐怖より先に来たのは、妙な納得だった。


医師は続ける。


「治療は可能ですが、進行度からして……余命は、長く見積もっても1年程度と考えてください」


1年。


その数字は現実感がなかった。


長いようで短い。短いようで長い。

ただ、自分の人生を切り取るには十分すぎる時間だった。



---


病院を出ると、空は曇っていた。


広岡は傘を持っていなかったが、どうでもよかった。

雨が降っているのかすら、よくわからない感覚だった。


スマホが震える。

地元グループのLINEだ。


「今日いつもの店な」


「広岡来るだろ?」


いつもの店。

いつものメンバー。


広岡は少しだけ画面を見て、それから返事を打った。


「行く」


送信してから、自分でも驚くほど早くその文字を消した。


代わりに短く打つ。


「行く」


結局、行くのだ。



---


居酒屋の中は、いつもと同じだった。


タバコの煙。

安い焼酎。

大声の笑い声。


そこにいるのは、小学校から変わらない顔ぶれだった。


広岡悟を中心にできた、小さな王国。


「おう悟、遅えよ」


「病院行ってたんだろ?健康診断か?」


笑いながらビールを差し出す竹中清。

相変わらずの“いじられ役”だが、どこか昔より目が柔らかい。


広岡は笑った。


「まあな」


それだけで会話は終わる。


誰も深くは聞かない。

それがこの関係の心地よさだった。


心地よさは、時に毒になる。



---


隣では阪田健吾が酒をあおっている。


「最近よ、仕事もつまんねえしよ」


「人生って結局こんなもんだろ」


笑いながら言うその言葉に、広岡は少しだけ引っかかった。


“こんなもん”。


それは本当に正しいのか。


だがすぐに思考を止める。


考えても意味がない。

いつもそうしてきた。



---


話題は昔話に流れていく。


中学の頃の喧嘩。

高校の文化祭。

誰が誰を好きだったか。


笑い声が重なる。


広岡も笑っていた。


笑っているはずだった。


しかし頭の片隅で、さっきの医師の言葉が繰り返されている。


「余命は1年程度」


その言葉は、この空間に似合わない。



---


店を出る頃には、夜は深くなっていた。


酔いと疲れが混ざる中、広岡は一人で帰る。


コンビニの前で若いグループが騒いでいる。


まだ未来がある顔だった。


それを見て、なぜか腹が立った。


(俺にも、ああいう時期はあった)


(でも何も変わらなかった)


家に着く。


電気をつけると、部屋は異様に静かだった。


靴を脱ぐ音だけが響く。



---


鏡を見る。


そこには、メタボ体型の中年男がいた。


成功もない。

家族もない。

資格もない。

友達はいるが、それは“変わらない関係”だ。


広岡は自分に問いかける。


(俺の人生、なんだったんだ?)


答えは出ない。


出る前に、思考を止める癖がついている。



---


その夜、広岡はなかなか眠れなかった。


天井を見ながら、ふと思う。


(もし、もう一回だけやり直せるなら)


(俺はちゃんとやるのか?)


だがすぐに自分で笑う。


そんなものはない。


人生は一回きりだ。



---


しかしその言葉の直後。


スマホが、勝手に光った。


通知はない。


画面には見覚えのないメッセージが一行だけ表示されていた。



---


「人生に、交差点は存在します」



---


その瞬間、部屋の空気が変わる。


静かだったはずの部屋の奥から、かすかな音がする。


時計の針が、止まったような気がした。


広岡はゆっくりと立ち上がる。


そして気づく。


玄関のドアの向こうに、見覚えのない“明かり”があることに。



---


(続く)

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